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靴、偉大ですわ

 馬は荷馬車を引くための一頭だけだったから、今から追いつかれることはないだろうと考え、少しだけ休むことにし、馬の尻をペチンと叩いて先に逃がしてやる。


 馬よ、さようなら。どこかで良い飼い主に拾われておくれ。


 あんな悪党に捕まらずに幸せにおなり、と願いながら美しいフォルムの馬のお尻を見送ったら、少しだけ心細く寂しい気持ちになった。


 ちなみにどっちが隣国でどっちが自分の国なのかなどわからないままの逃避行だ。

 ヒロインなら男たちもギースも虜にしてしまって、こんな惨めな逃走をすることなどないのに。でもあのままだとおっさん国王まっしぐらだし。


「もうアンジェリカってば、本当に詰んでる!」


 己の身になってアンジェリカ様の不遇具合に嘆きが漏れる。


 家では毒を盛られ王宮では攻略対象たちに嫌われ、挙げ句には間違い? でさらわれて、ボロボロで行く先もわからず逃げている。こんな悲劇、そうそうないよね?


 けれどこの世界に来てからはそんなに悪くない日々だった。


 又従兄弟であるガゼルは予想外にもとても優しくて、ゲームの中でアンジェリカを嫌っていたのが嘘のようだし、第二王子であるシャリル王子は会社の後輩成瀬春人だし、ゲームには記憶にないほどのモブだったエバンスともそれほど悪くない関係を築けている、と思う。仕事をさせてもらえるのもありがたいところだし、部屋に帰れば侍女ズがお世話をやいてくれる。本当にありがたいことだ。


 アンジェリカとして生きていくのも悪くないと思ってしまうほどに。


 でも! やっぱり元に戻らなければ。このまま意に沿わない結婚などしたくないし、この世界では女のお一人様が生きる術がない。


 だからこそ、今は逃げるしかないのだと、震える足に力を込める。


 森の中で隠れて休む場所を探そうと歩き始めてすぐに、靴を頂戴しておいて良かったと感謝する。

 サイズはブカブカで歩きにくいが、下草の中には鋭い葉もあるし落ちた小枝も危険だ。ここを素足で歩くのは怪我の可能性が高い。これからどれほどの時間逃げ続けるかと思えば、怪我をしないことはとても大事なことだろ。


「靴、本当にすごい発明だわ」


 そんなことに感謝しつつ、森の暗がりの中に見つけた大木の元にそっと座り込んだ。


 一息つくと、森の中の虫の声がやけに響いてくる。

 風に揺れる葉擦れの音もしていて意外と静かではない森の中で、私はもう一度深く息を吸い込み、少し湿気た緑の匂いで肺を満たす。


 思えば無謀な脱出だった。


 道も方角もわからないし食料もない。それに乱れまくったと赤と黒の派手なドレスをこんな片田舎の森の中で着ている女など怪しすぎて目立ってしまう。

 あまりにも逃げることを最優先させすぎた結果、計画性がなさ過ぎたことに今更気がついて頭を抱えた。

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