とてもえらい彼の仕事は判子を押すことです
彼は偉い。
偉いので服装は自由。ニット帽にパーカーにジーパン。
出勤は好きな時に出来る。
仕事も好きな時に止めて帰れる。
この日。彼はジェット機で『勝手に作られた支店』に出勤し、書類の山を抱え、ガラス張りの廊下を歩いて偉い人の部屋にあるフカフカの椅子にドスンと座った。
(うーん)
彼は日本から持ってきた書類の山を机に置いてうんざりした。
この書類全てに目を通して判を押すのが彼の仕事である。
班長。会長。市長。社長。理事。総監。大臣。
書類一杯に偉い人達の判子が押されている。
彼はいつも(誰か1人でいいだろう)と思っていた。
(この書類なんて私の所に来るまで3年かかっている。そして審議にかけられ、また何年か後に私が最終決定の判子を押す)
「アホか」
一度口に出すともう仕事なんてする気にならなかった。
帰ろう。
「……パンを」
「何だお前は?どうやって入ってきた?」
いつの間にか黒人の少女が彼の部屋の中にいた。
「おいっ!何故扉が開いている?誰か来なさいっ!ここのセキュリティはどうなっている?SPは!?いや。KNはどこにいる!?」
「……パン」
おかしな事に誰もこなかった。
少女は机の上に透明な石を置いた。
「私はパン屋ではない!パンが欲しけりゃパン屋に行け!」
少女はジーッと男を見て帰っていった。
「入室と退室の挨拶もできんか!?親の顔が見てみたいな!」
「……」
…
「クソっ!」
改めて書類を見る。
久しく見ない綺麗な書類だった。
誰の判子も押されていない。
書類には「パン」とだけ書かれている。
「くだらん。誰の判子もおされていないなら審査に通らなかったって事だ」
自分なら話を聞いてくれるだろうと思ったのかと甜められたようで腹がたった。
この書類を下の者や審議にも通さず彼の独断で可決したら流石の彼でも冷ややかな目で見られる事は間違いない。
彼は面と向かって批判されるのも陰口もへっちゃらな男だったが『下のものが上の者の判断に不服があるがグッと耐える』というのがかなり『効く』。
「組織ってのは面倒だ」
(あーあ。やめちゃうか)
「そうだな!やめちゃうかぁ!」
思ったことを口に出したら今度はやる気が出てきた。
向こうの組織から独立して信頼できる部下だけ呼んでこっちに住もう。
後に残した仕事は子供なり孫なり先代なりに任せよう。
彼は少女が持ってきた書類に○の判子を押して机の引き出しにしまった。
独立を決断するきっかけを作ってくれたお礼だ。
・
黒人の少年が黒人の少女と『神社』に来ていた。
「神様はいるのよ」
「いたとしても日本の神様だ。俺達には興味ないよ。神様が地雷を撤去してくれるのか?病気を治してくれるのか?」
「お腹が空いた私たちの願いを神様が叶えてくれたのは君も知ってるでしょ?」
「……ありゃあ夢だったのかも」
「でも実際に私のママは元気よ?」
ここは内戦地区から少し離れた貧しい村。
村に電気を通しに来た日本人が小さな神社を建てていった時は村人からの反発もあった。
日本の神は現地の人間にとって異形だ。
しかし今では『御扉』の前には芋や綺麗な石がお供えしてある。
少女に起きた奇跡を見た村人は日本の神の存在を信じずにはいられなくなった。
少女が神社にお祈りをしたその夜。パーカーの男がシェフの集団とドクターを連れて村にやって来た。
「パンだけじゃお腹いっぱいにならないだろう?」
と男が言うとシェフ達はご馳走を村人達に振る舞い。
「お前の親の顔を見に来たが病気らしいな。青白い顔なんて見たくない。顔色が良くなったら顔を見せに来い」と言うとドクターが少女の母親の治療をしてくれた。
お土産に沢山の食料を置いて男もシェフもドクターも翌朝には消えていた。
「そそ。それでも日本の神様なんか信じないぞ!俺は絶対信じない!俺の願いは自分で叶えるんだー!」
少年は少女の肩を掴んで瞳を見つめた。
「……絶対に神頼みなんてしない。僕は君の事を……」
「……?」
・
彼は久しぶりに○○国にやってきた。
独立したといっても日本での仕事を全て放り投げる事は結局彼には出来なかった。
(全く日本には神事が多すぎる。やれやれ)
「おつかれ様」
「……? 何か聴こえたような?」
黒人のKN。神主に挨拶をして彼は職場に向かう。
自室に到着すると椅子に座って書類の山を見る。
やはりため息が出る。
人間は面倒臭い。
あまり願いを叶えすぎるとすぐに努力をせず神頼みをしだすのだ。
日本の神界から独立し、こちらの神々の知り合いもいない彼は願い主が判子を押すに値する人間かも自分で調べなくてはいけない。
神は別に賽銭に喜ばない。
金が好きなのは人間だけだ。
心のこもっていない金より少女が宝物にしている綺麗な石の方がゴッド来る。
いや。グッと来る。
「ええと。作物が育ちますように。内戦が終わりますように。綺麗なトイレを作りたい……ね。私は全知全能の神じゃないんだけどね」
(内戦の方は向こうの担当に話を聞いてみないと。部下に?いや。私が直接出向くのが礼儀か)
管轄外の願いを叶えるとうるさい神もいる。
「ん?好きな子が振り向いてくれますように?こりゃ完全に頼む神を間違っている。恋愛相談は専門外だ。願い受け付けも深夜にしたのか。男なら昼間に堂々と来なさい」
神は少年の願いが書かれた書類に☓の判子を押してゴミ箱に捨てた。
胸にゴッド来たろ?