最後の手紙
『これが最後の手紙になります』
海外から送られてきた彼女からの手紙の冒頭には、そう書かれていた。
彼女とは大学の時に知り合い、しばらくは友人関係だったが、お互いに気の置けない相手として、気が付けば恋人関係になっていた。
大学卒業後はお互い仕事で地方を転々とした。
なかなか会えはしなかったが、会えば酒を飲みながら、お互い仕事の愚痴を言って、バカみたいに笑ったりして、それなりに楽しい時間を過ごした。
これからもずっと、こんな日が続くのかなと思ったりもした。
そんなある日、彼女が言った。
「仕事を辞めて海外に行く」
と。
「何をするのか?」
と聞いても、
「別に何もしない。
ただ、世界の広さを知りたい」
とだけしか教えてくれなかった。
俺は正直寂しかった。
今までも、会えない期間が1ヶ月以上ある時もあったが、それでも連絡は頻繁に取れていたし、テレビ電話で話せば寂しさを埋められた。
でも、彼女は携帯は置いていくと言った。
必要最小限のものだけで、イチからやってみたいと言って聞かなかった。
あとから聞いた話だが、仕事で責任を押し付けられ、辞職に追い込まれていたのだそうだ。
自分はまったくその業務に関わっていなかったにも関わらず。
俺は怒った。
責任を押し付けた奴らにも、それに気付いてやれなかった自分にも。
その時に、俺が気付いて彼女を止めていれば、あんなことにはならなかったのに…………
彼女が旅立ってから、俺たちは手紙でやり取りをした。
彼女は俺からの返事が届くと、また違う国に発っているようだった。
手紙の内容自体は取り立てて言うほどのことは書いていなかった。
この食べ物が美味しかった。
子供が可愛かった。
道を尋ねた人が親切だった。
そんな内容で、手紙の文面のほとんどは埋められていた。
俺もそれに同じような内容で返した。
こんな夕飯を食べた。
大学時代の共通の友人がこんなバカやった。
母親が一人じゃ食べきれない量のじゃがいもを送ってきた。
仕事の話は何となく送りずらかった。
その時にはもう、彼女が仕事を辞めさせられたことを聞いていたから。
彼女は俺の手紙の内容に喜んでいるようだった。
そして、彼女からの手紙には、いつも一枚の写真が同封されていた。
とても良い笑顔で笑う彼女の写真だ。
海外での生活を心から楽しんでいるのが伝わる。
そしてその写真には、いつも時計が写されていた。
彼女が写真を撮った時間が分かるようにだろう。
時差がある海外で、彼女がいつその表情をしていたのかが分かると、俺も嬉しい気持ちになった。
そうして、何回目の手紙のやり取りの時だろうか。
彼女から送られてくる、彼女の写真に異変を感じるようになったのは。
彼女が目に見えて痩せ、やつれているのだ。
笑顔もなんだか弱々しい。
またしばらくすると、手紙の内容が変わってきた。
自分には才能がない。
自分はダメな人間だ。
この広いキレイな世界に比べたら、ちっぽけで、いてもいなくても同じだ。
俺は返事を急いだ。
そんなことはない!
俺は君がいないと悲しい!
絶対に必要だ!
そのあとに送られてきた彼女からの手紙にはただ一言。
『ごめんね』
そして、同封された写真の彼女は笑顔のない、真顔の彼女だった。
俺はいてもたってもいられなくなって、必死に引き留める内容を書きぬぐった手紙を投函すると、彼女のあとを追った。
手紙の住所に向かう途中、改めて今までの手紙を見返して、俺はあることに気が付いた。
写真に写っていた時計の時刻が、10時からだんだんと早くなっていたことに。
2通目は9時。
3通目は8時。
まるで、カウントダウンみたいだ。
俺はハッとして、慌てて最新の手紙を見返してみた。
真顔の彼女と一緒に写る時計は、2時を指し示していた。
俺は焦る気持ちをそのままに、彼女の手紙の住所に行くと、そこにはすでに彼女はいなかった。
家の前で呆然と立っていると、友人から連絡が来た。
その友人には事情を説明していて、彼女から手紙が届いたら連絡をくれるように頼んでおいたのだ。
友人はただ一言。
「ヤバいぞ」
それだけ言って、手紙の写真を送ってくれた。
俺はすぐにそれを見ると、手紙の出だしにはこう書かれていた。
『これが最後の手紙になります』
俺は慌てて先を読み進めた。
『今まで本当にありがとう。
こんなわがままな私と付き合ってくれて、あなたは本当に私の心の支えだった。
何よりもかけがいのない、大切な人だった。
でも、だからこそ、これ以上迷惑は掛けられない。
私のことは、私が何とかしないと。
私で終わらせないと。
ごめんね、本当にありがとう。
大好きだった』
同封されていた写真の彼女は、その瞳から一筋の涙を流していた。
ともに映る時計は、1時を指し示している。
手が震える。
嫌な予感が背筋を這ってくる。
足ががくがくとして、まともに立っている感じがしない。
ウソだウソだウソだ。
その時の俺は、ずいぶん青い顔をしていたんだと思う。
道行く人々が心配そうにこちらを見ていた。
「うわっ!」
突然、電話が鳴る。
手紙を送ってくれた友人だ。
手紙を出せという。
まだゼロになってない。
まだ間に合うかもしれない。
お前からの最後の手紙をきっと待ってる。
友人はそう矢継ぎ早に言うと、こっちはこっちで、出来る限りのことはすると言って、電話を切った。
まだ、間に合う?
手紙、書かなきゃ。
俺は大急ぎでレターセットを買った。
彼女からの最後の手紙が届いた住所を書く。
そして、いざ本文を書こうという所で、ペンを持つ手がピタッと止まる。
なんて書けばいい?
俺の言葉で、彼女の人生が決まる。
俺の言葉で、彼女が、自分の人生をどうするか、決める?
怖い。
俺は、その責任の重さで押し潰されそうだった。
自分の書いた言葉で、自分が最も大切な人を失うかもしれない。
そう考えると、なんて書けばいいのか、皆目見当もつかなかった。
でも、生きてほしい。
生きていてほしい。
これからも、俺の隣で、一緒に人生を歩んでほしい。
そして、俺は、たった一言を手紙にしたため、投函した。
そのあと、最後の手紙にあった住所に行ってみたが、やはりそこに彼女の姿はなく、手掛かりが完全に途絶えた俺は家に帰った。
いろいろと調べてくれた弁護士である友人に話を聞くと、彼女には莫大な借金があったそうだ。
会社の金を着服したとかで、会社から返済を迫られているらしい。
俺は信じなかった。
あいつがそんなバカなことをするはずがない。
きっと、何か事情があるはずだ。
数日後、再び友人が情報を教えてくれた。
どうやら、彼女には保険金が掛けられており、会社からは借金を返せないなら、両親や、彼氏である俺に返済してもらうと迫られていたらしい。
身内にすがれば金を取り戻せて、身内に迷惑を掛けたくないと自ら死を選べば保険金が手に入る。
会社はそのために、彼女に仕事の責任を押し付けて辞めさせ、さらには着服の罪を着せたのだろうと言っていた。
俺は怒りでどうにかなりそうだった。
今すぐ会社に殴り込んで、全員ぶっ殺してやりたかった。
実際、そうしようと家を飛び出そうとした。
だが、友人はそれを無理やり押さえ込んで止めた。
そんなことをしても意味がないと。
お前は彼女を待てと。
あとはプロに任せろと言って、拳を強く握り締めて出ていった。
彼も怒っていたのだ。
俺はそれを見て、少し落ち着きを取り戻した。
また数日後。
玄関のチャイムが鳴る。
友人が調査結果を教えに来てくれたのだろう。
俺は目の下の隈も、ボサボサになった頭もそのままに、ドアを開けた。
そこには、彼女が立っていた。
「…………えっ?」
俺はその光景が信じられずに、何度も目をこすった。
「……帰ってきちゃった」
気恥ずかしそうにそう呟く彼女を、俺はがばっと抱き締めていた。
ああ。
この感じ。
この香り。
間違いない。
この世界で何よりも誰よりも大切で愛しいと思えた人だ。
また会えた。
また抱き締められた。
気付いたら、俺はぼろぼろと涙を流していた。
止まらなかった。
止めるつもりもなかった。
俺がどれだけ不安で心細かったと思ってる。
号泣するぐらいいいだろう。
そういえばと、俺は顔を上げる。
「なんで、帰ってきてくれたんだ?」
正直、もうダメだと思っていた。
彼女は、誰も知らない所で、その生涯を閉じたのだろうと。
すると、彼女はくすりと笑った。
「あんな手紙をもらったら、気になっちゃって、帰ってこないわけにはいかなかったわよ」
そう言って笑う彼女は、やはり何よりもキレイだった。
俺が手紙に書いたのは、用紙いっぱいにただ一言。
『結婚してくれ!!!』
「普通、あの状況でそんなこと書く?」
けたけたと笑う彼女を見て、俺は泣きながら頬を膨らませる。
「しょうがないだろ。
それしか思い付かなかったんだから」
「……まあでも、気持ちは伝わったよ」
彼女はうつむきながらも、嬉しそうな表情をしていた。
「じゃあ、返事は?」
俺の言葉に、彼女がふわっと笑う。
「それは…………」
その後、友人が会社の不正を次々に調べあげて告発。
彼女の仕事のミスも着服もすべて会社ぐるみの嘘であることが分かった。
そいつらは狙った従業員に会社の金を着服したと指摘し、保険金で払うか身内に払ってもらうかすれば警察には言わないと脅し、金を得ていたらしい。
会社の金には手をつけていないし、警察沙汰にしたくないからと泣き寝入りする者ばかりで、これまで発覚してこなかったという。
彼女は俺や両親に迷惑を掛けられないと、自らの保険金で金を支払うことを決め、海外に飛んだそうだ。
海外の方が、日本よりも自殺判定ではなく、事故死判定となることが多い国があるというので、各国を飛びながら調べていたらしい。
最期に、キレイな所で、という思いもあったそうだ。
ともあれ、彼女を貶めていた会社には無事に警察の捜査の手が入った。
弁護士の友人も、いくら欲しい?本気を見せてやるよ、と笑っていたから、あとは任せてしまって構わないだろう。
そして、
「ねえ?」
「ん?」
「結局、本当にあれが私の最後の手紙になったわね」
「そうなのか?」
「そうよ。
だって、もう手紙を出さなくてもいいぐらい、ずっと近くにいられるじゃない」
「……そうだな」
そうして俺たちは、そっと口づけをかわした。