独身貴族は生ハムの原木を買う
市場に買い出しにやってくると、いつもの精肉屋が大量の肉を吊っていた。
「生ハムの原木か……」
「いらっしゃいませ。本日は羽豚のいい生ハムが入っていますよ!」
まるでカーテンのように吊るされている生ハムの原木を眺めていると、店主が比較的愛想のいい声で言った。
店主としてはこの生ハムを売って利益を出したいのだろう。
いつもより笑みが三割ほど強めだ。
通常生ハムとはスライスされた状態で販売されているが、原木はスライスされる前の熟成された豚の足を示す。
水分が抜けて硬く、見た目が木のようなので原木と呼ばれるようになったのだとか。
「自宅で好きな時に生ハムをカットして食べるのは最高ですよ。しかも、今回は旨みの強い羽豚の肉です。サンドイッチやサラダ、お酒のおつまみにも合います」
「この生ハムの重量と可食量は?」
「三キロです。可食割合はカッティングの腕にもよりますが、大体六十五%ほどです」
「む? そこまで食べられるのか?」
一般的な生ハムの原木の可食割合は五十から五十五%ほど。
つまり半分が赤身を覆っている余分な脂や骨といった食べられない部分だ。
「羽豚の身は引き締まっており脂が少なく、骨も小さいのです」
「なるほど。それはお得だな」
原木の総重量が三キロ。
可食部が約一.八キロ。
一人分の生ハムの量は大体二十五グラム。
大雑把だが計算すると七十二人前の生ハムが食べられる計算だ。
お店や他の精肉店で売り出されるバラの生ハムと比べると、遥かにコストパフォーマンスがいい。それに脂や骨にまったくの使い道がないというわけではない。
脂は上質な脂として炒め物などに使えるし、ラルドとしてパンに挟むことで料理に味わいを与えることができる。
さらに骨は熟成感のある味わい深いスープをとることができる。
これらを加味すると可食部の少なさに嘆くほどでもないだろう。
「普段召し上がっていらっしゃる生ハムは、スライスされた時点で空気に触れているために食感や風味が損なわれています。それは真の生ハムとは言えません。その場でスライスして新鮮な内に味わう生ハムこそが、真の生ハムの味なのです」
静かに語りかけてくる店主。
確かにそれもそうだ。そう考えると、俺は真の生ハムの美味しさを知らないのかもしれない。
自宅で優雅に生ハムをスライスする姿を想像してみる。
……悪くない。自宅での食事に彩が出そうだ。
「よし、生ハムの原木を一つくれ」
「ありがとうございます!」
購入の意思を固めると、店主は実にいい笑顔で頭を下げた。
値段は二万ソーロ。一人前の生ハムを七十二十人前以上買うよりも安いし、原木を切る楽しさが得られると思えば、そこまで高い値段でもないだろう。
二万ソーロを渡すと、店主が原木を一つ手にして丁寧に箱詰めしてくれる。
「羽豚の食べる方法は通常の原木と同じか?」
「はい、同じです」
生ハムの原木はすぐに食べられない。
実際に食べるまでにいくつかの工程が必要であり、食べられるのは三日後くらいだ。それは羽豚でも変わらないようだ。
「食べる方法をご説明しましょうか?」
「いや、必要ない。何度か食べたことがあるからな」
「そうでしたか。わからないことがあれば、お気軽にご相談ください」
説明が不要であることを述べると、店主はよどみない手つきで梱包して手渡してくれた。
ずっしりと感じる原木の重み。箱の重さを入れると約十キロか。
これだけの重さの肉を買うなんてことは滅多にないので凄い満足感だ。
とはいえ、このまま持って帰るには重いのでマジックバッグに収納して帰路へ。
自宅にたどり着くとリビングで買ったばかりの原木を取り出す。
さあ、すぐに削って食べようといかないのが原木の難儀なところ。
まずはこのまま箱に入った状態で一日放置し、室温に馴染ませる必要がある。
生ハムの大敵である結露を防ぐためだ。
目の前にこれだけの肉の塊がありながら食べることができないとは、中々の生殺しだな。
翌日になると、今度は箱から原木を取り出す。
梱包として使われているスライムの皮を剥がすと、表面についたカビや脂、ほこりなどをオリーブオイルを付けた布で拭き取る。
すると、表面についていたカビや汚れが少しずつ取れていった。
肉の脂が絡みついてスムーズに除去とはいかないが何度も根気強く擦って世話をしてやる。
片面を終えると同じように裏面も磨いていく。
小一時間ほど磨いてやると、原木の汚れがかなりとれて美しい原木となった。
生ハムホルダーを組み立てると、セットしてそのまま原木を放置。
外気に晒してさらに一日馴染ませるのだ。
「中々の存在感だな」
自宅のリビングのテーブルに鎮座している生ハムの原木。
妙に存在感があって視線が引き寄せられる。
設置された生ハムの原木をあらゆる角度から眺める。
綺麗に磨き抜かれた原木はとても綺麗だ。
「明日からはいつでも生ハムが食べられる。楽しみだな」
ここまでが生ハムを食べるまでの工程だ。
こういう手間暇も原木の楽しみの一つと言えるだろう。
明日になれば生ハムを食べることができる。それを楽しみにいつも通りの生活を送った。
●
翌日。朝から工房でクーラーの魔道具の製作を行っていると、あっという間に夕方になった。
そろそろ帰ってもいい頃合いだろう。
「先に上がる」
「お疲れ様。今日は妙にソワソワとしてたわね」
「ええ? そうなんですか? 俺には全くわからなかったんですけど……」
「まあ、これでも付き合いは長いから」
どうやら生ハムへの期待が態度に出てしまっていたらしい。
トリスタンは全く気付かなかったようだが、付き合いの長いルージュは見抜いていたようだ。
「で、今日はこの後どんな用事があるの? 美味しいレストランでも見つけたのなら教えてよ」
どうやらルージュは俺が美味しいレストランを見つけたと思っているようだ。
「生憎と今日は外食じゃない」
「あら、そうなの? 美味しいお店を教えてもらおうと思ったのに残念」
「外食じゃないってことは宝具探しですかね」
「それも違う」
「じゃあ、なに? ジルクのことだからデートってわけでもないでしょ?」
「一昨日に生ハムの原木を買ってな。今日ようやく食べられるんだ」
ルージュに尋ねられて、俺は今日の楽しみを告げる。
「原木って……またすごいものを買ったわね」
「精肉店でたまに吊られてるでっかい肉ですよね? あれってどうなんですか? 俺気になっているんですよ!」
「一度買ったことがあるけど、かなり場所を取られるし、ちゃんと手入れをしないといけないから面倒なのよね」
「そうだな。すぐに食べたいという短気な者には向かないな」
「悪かったわね。短気で」
事実を告げただけなのにルージュがイラっとした表情を浮かべた。
「子供の世話はできるのに、原木の世話はできないのか……」
「自分の子供と原木を同列に扱うわけないでしょ!」
俺からすれば遥かに取り扱いの難しい子供の世話の方が面倒のように思える。
育児という名の縛りプレイができるのであれば、原木の世話など簡単だろうに。不思議だ。
「手間暇はかかりますが、味自体は美味しいんですよね?」
「ええ、切りたての生ハムはとても香り高くて味も濃厚よ。ただ薄く切るのが本当に難しいんだけどね……」
「気になっているならお前も買えばいい」
トリスタンの様子から原木に興味を示しているのは確実だ。話を聞くよりも実際に買ってみた方が遥かに早い。
「いや、あれって二万ソーロくらいするじゃないですか。さすがに躊躇なく買える値段じゃないですよ」
「生ハムに二万ソーロかけるって思うと、中々手が伸びづらいわよね」
そこでそう思う時点で原木を買うのは向いていないだろう。
これ以上言葉を重ねる必要はない。
会話が途切れたところで俺は帰り支度を整え、工房を後にした。




