独身貴族は決意する
朝っぱらから工房の前でたむろするオヤジ共を追い払った俺はため息を吐いた。
「で、ミルはどうするの?」
「アルトに投げるか……」
「指輪も丸投げしてるのにミルまで丸投げしたら、さすがに怒らない?」
「…………」
ブレンド伯爵家との繋がりを作ってやったとはいえ、さすがにミルまで丸投げすれば怒りそうだ。
基本的に温厚な弟ではあるが、さすがに限度というものはあるだろう。
引き受けてもらえたとしても、どんな交換条件を出されるかわかったものではない。
「この件については少し考える」
「わかったけど、どこに行くの?」
「ロンデルの喫茶店だ。朝からバイスの相手をして疲れた。気分転換がしたい」
「それならついでにコーヒー豆もお願い。工房にあるストックが切れそうだから」
「わかった」
このまま工房で作業をする気になれなかった俺は、荷物をルージュに預けてロンデルの喫茶店へと足を向けることにした。
ロンデルの美味しいコーヒーを飲んで、気分をリラックスさせよう。
そんな気持ちで喫茶店にたどり着いた俺だが、扉をくぐるなり驚愕してしまう。
「……ロンデルの喫茶店が賑わっているだと?」
思わず口から漏れてしまった失礼な言葉。だけど、この光景を見たら仕方がない。
見渡す限りに見える人。いつもの落ち着いた店内の様子は微塵もなく、アンティークで揃えられたイスにはたくさんの人が座っている。
いつも店内に入っても客はあまりおらず、いたとしても三人程度。店の利益率がちょっと心配になるくらいだったが、各々が静かな時間を過ごすことのできる場所だった。
それが一転して目の前では数多の客が押しかけ、コーヒーを口にしながら談笑している。
話し声が幾重にも重なって店内がかなり騒々しい。静かにゆっくりとコーヒーを楽しめる空間がぶち壊しだった。
「いらっしゃいませ、ジルクさん」
「ロンデル、この状況は一体……?」
「どうやら今日販売のコーヒーミルを買うことをできなかった方たちが、噂を聞きつけてここにコーヒーを飲みにこられたようで」
どうやらミルの不足は魔道具店だけでなく、ロンデルの喫茶店にも影響を与えているらしい。
「まさかこっちにもここまでの影響があるとは……」
「ええ、私も予想外です」
ミルの販売によってロンデルの喫茶店に客が増えるのは予想していたが、まさかここまでとは。こちらも想像以上であった。
「今日は座れないようだし諦めよう。コーヒー豆はあるか?」
そろそろ工房や家にあるコーヒー豆が無くなってしまいそうなので買い足しておきたい。
せめてもの注文をしてみると、ロンデルが申し訳なさそうな顔で、
「それがミルをお買い求めになられたお客様がこぞっと買っていてしまって……」
「そ、そうか」
どうやらコーヒー豆の方もないようだ。
「申し訳ありません。こうなることを予想して多めに仕入れていたのですが、足りませんでした。私の判断ミスです」
「いや、気にするな。それよりもこの先の営業は大丈夫なのか?」
「それについてご相談したいのですが、コーヒー豆の仕入れを増やせるまではミルの増産を控えていただけることは可能でしょうか? 今のままではミルを買われたお客様がコーヒーを飲むことができなくなってしまうので……」
重ね重ね申し訳ないと言った様子で頼んでくるロンデル。
現状、王都に入ってくるコーヒー豆はほとんどない。俺が知っている中で扱っているのはロンデルだけだ。
この需要を見て多くの者がコーヒー豆を仕入れようとするかもしれないが、それは少し先の話であり、増産分のミルを手にした者が買おうとしても間に合わないだろう。
そうなるとコーヒー豆を売っているロンデルに負担がいってしまうことになる。
「わかった。そうしよう」
「ありがとうございます、ジルクさん」
今はクーラーの製作を優先したかったので、ロンデルからの頼みは俺としてもありがたい。
ルージュやバイスたちへの言い訳もできたので完璧だ。
「こうなると一刻も早くコーヒー豆の入荷を安定させないといけないな。あとは、ブレンド伯爵の喫茶店の開店も急いでもらいたい」
「コーヒーが広まってくれるのはありがたいですが、一人でこの状況というのは中々に辛いものがありますからね。私も伯爵家での指導の回数を増やそうかと思います」
「それは助かるが大丈夫なのか?」
「構いません。コーヒー文化を広めるために今が私の頑張り時ですから」
ロンデルは爽やかな笑みを浮かべると、客に呼ばれて接客へと戻っていく。
忙しそうにしているロンデルを目にするのは初めてであったが、そんな彼の表情はとても晴れ晴れとしており中々に悪くなかった。
●
「ミルの増産は見送ろうと思う」
喫茶店を後にして工房に戻ってきた俺は、ミルの方針についてルージュやトリスタンに説明した。
「確かに今増産して売っても肝心のコーヒー豆がないんじゃどうしようもないものね」
コーヒー豆の供給が追い付いていないことを説明すると、ルージュは納得したように頷いた。
「俺はこれがわかっていたから、あの数でいいと言ったんだ」
「いや、それは嘘でしょ」
俺の言葉にすかさず突っ込むルージュ。俺の英断を認めるつもりはないようだ。
「にしても、コーヒー前の供給量の把握を完全に見落としていたわ。ごめんなさい、あたしとロンデルさんの確認不足だわ」
「ブレンド伯爵の影響がここまでとは思いませんでしたからね。しょうがないですよ」
恐ろしいにはブレンド伯爵だ。少し動いただけでここまでの流行を作り出せるとは。
大貴族という存在を甘くみていたのかもしれない。
「とりあえず、俺は今後の方針を確定させるためにブレンド伯爵のところに向かう」
「あら、ジルクが自主的に足を運ぶなんて珍しいわね」
こういった作業を買って出ることはほぼない。それ故にルージュが目を丸くしている。
「……俺の安息地の取り戻すためだからな」
ロンデルの喫茶店が常に満席だなんて耐えられない。さっさとブレンド伯爵が喫茶店を開いて、ミーハーな客の受け皿になってもらいたい。
ロンデルには申し訳ないが、ほどほどの客入りを維持してもらいたいのだ。
そのためにもブレンド伯爵の考えを聞いておかなければ。また派手に動かれては堪ったものではないからな。
「理由はあんまり前向きじゃないけど助かるわ。あたしとトリスタンはバイスさんたちに現状を説明してくるから」
「ああ、そっちは任せた」
バイスたちへの説明を二人に任せることにした俺は、そのままブレンド伯爵の屋敷へと向かうことにした。




