独身貴族は独りで味わう
自宅へと帰ってきた俺は、早速とばかりに晩酌の準備を整えた。
テーブルの上には熟成させたヒラメの刺身、昆布締め、塩レモンソースをかけたカルパッチョが皿に盛り付けられている。
熟成させてやや色味は変わっているが、それでも盛り付けられた刺身たちはとても美しい。
茶碗にはヒラメのあらを使ったお吸い物も用意している。表面や頭の中を洗い、ウロコなどの不純物を取り除き、臭みをとったら、昆布だしで煮込み、塩、醤油で味を調えるだけ。
手軽で美味しく簡単だ。
これらのお供には清酒グラスに注がれた『伝酒』だ。
夕食としては少し物足りないが、店で少し食べてきたのでこれで十分だろう。
「それじゃあ頂くとするか。まずは熟成一日目だ」
待ちに待った光景に高揚しながら、俺は箸を手にして熟成させたヒラメを食べる。
「美味い」
淡麗な味ではあるけど、咀嚼すると強い旨みがあふれ出す。
熟成させずに食べるヒラメより味が濃厚だった。
何年ぶりの刺身だろうか。感動で心が大きく震える。
こうやって薄く切った刺身を醤油に少し浸す感じ。全てが懐かしい。
「次は熟成二日目だ」
一日目を二キレほど食べると、熟成二日目のヒラメに箸を伸ばす。
こちらも美味い。少しの差ではあるが、やはり旨みが濃くなっている。
エンガワもぷりぷりで美味しい。普通の身とは明らかに異なる食感と味。ヒラメならではの楽しみといえるだろう。
「そして、熟成三日目だな」
美味い。旨みをよりダイレクトに感じることができる。
刺身のフレッシュさとジューシーさは変わらない。だが、舌への馴染みが格段に良くなっているように思えた。
「どんどん美味しくなるな」
一体、どこまで熟成させられるのだろうか。熟成の限界を試してみたいが、長期熟成には食中毒のリスクも伴う。プロでもない俺がやるには限界があるだろう。
良い状態の魚を仕入れ、処理して寝かせ、最高に旨みが蓄積されたタイミングで食べる。
工程自体は非常にシンプルであるが、シンプルだからこそ難しい。
いつかは港町などにいって熟成魚を専門に扱っている店に行ってみたいものだ。
なんてことを考えながらグイッと伝酒をあおる。
スッキリとした酸味とミネラル感もある米の旨み。
旨みを残しながらももたれることはなく、食事の妨げにはならない。
実にいい清酒だ。
「次は昆布締めだな」
二日熟成させて、一日昆布締めにしたヒラメ。
昆布締めを切るのは難しかった。水分が良い感じに抜けているんだろうか、身が刺身よりも少し硬い。特に昆布に触れているあたりが特に切りづらく、綺麗に切るのは至難の技だ。
いくつかの身は切り口が美しいとはいえないが、仕方がない。
色合いは琥珀感と透け感が普通の刺身よりやや強いように見える。
昆布の香りを楽しみながら、ゆっくりと口の中へ。
昆布の旨みが口の中に広がる。それと共に熟成された濃厚なヒラメの旨みが染み出してくる。両者の旨みが絡み合って蕩けていくような味だ。
「…………」
人間、本当に美味しいものを食べると言葉が出なくなるものだな。
俺は黙々とヒラメの昆布締めを食べ続けた。
その後は、ヒラメの塩レモンカルパッチョやあら汁を味わう。
塩レモンカルパッチョは、濃厚なヒラメをとてもサッパリと食べることができた
あら汁はスッキリとした味であるが、しっかりとあらの出汁が出ていて絶品だ。
「やっぱり、一人で食べる方が美味いな」
ローラと一緒にお気に入りの店に行ったが、やはり誰かと食べるのは気を遣う。
自分の食べたいものだけを食べることもできず、相手の食べたいものも考慮しなければいけない。
これがエイトやルードヴィッヒであれば、遠慮する必要もないし、理解してくれるのであるが仕事先の相手だったしな。いつもよりストレスは倍だった。
俺には俺の好みとペースがある。やはり、食事は可能な限り一人でしたいものだ。
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