独身貴族は食事に誘われる
外出前に俺は冷蔵庫の中を確認する。
そこには三日前から仕込んでいたヒラメが鎮座していた。
大きなものが一つではない。フィレにしてそれぞれ小さなバッドの上に置いてある。
それらは左から一日目、二日目、三日目と割り振られており、それぞれの熟成期間を表している。ヒラメは適切な処理をすれば、長期間寝かせることも可能だ。
そのままの状態で熟成させているものもあれば、昆布締めにしているものもあった。
「……よし、今晩が食べごろだろう」
昨晩に昆布締めをしたので、もっとも美味しいのは今日の夜だろう。
せっかくホムラから醤油を貰ったのだ。刺身だって美味しく味わいたいからな。
その横には特製の塩レモンソースもある。
特製の岩塩と塩レモン、オリーブオイル、三種類のハーブを混ぜ込んだ特製カルパッチョソースだ。
「夕食はヒラメの刺身に昆布締め、カルパッチョと豪勢にいくぞ」
ヒラメの熟成具合を確かめた俺はニヤリと笑みを浮かべて、冷蔵庫の扉を閉めた。
それからリビングに設置してある音の箱庭をマジックバッグに収納。
これから歌劇場に向かって曲の録音だ。
前回は俺の曲のイメージを伝えて、それに慣れさせるために時間を使ってしまったからな。
今日でしっかりと演奏してもらい、宝具の中に曲を収めるつもりだ。
歌劇場に行くような服装に着替えると、アパートを出て歌劇場に向かった。
「あっ、ジルクさん! おはようございます!」
歌劇場の前にやってくると、桃色の髪をしたヴァイオリンケースを背負った女が出てきた。
「ローラか。随分と早いんだな」
「今日は寝起きが良かったもので早めに家を出ちゃいました」
今、偶然やってきた風を醸し出していたが、柱の陰で待機していたのは気配でわかっていた。本当に早くやってきて待機していたのか、狙っていたのかは正直ちょっとわからないが、彼女は奏者の中で一際熱心にやっているように見えるので前者だろう。俺に待ち伏せして声をかける意味などないし
な。
「ジルクさんこそお早いんですね?」
「ホールの貸し出し手続きがあるからな。早めにやってくるのが当然だろう。奏者は毎日が忙しいしな。とはいっても、ローラを待たせてしまったわけだが……」
こちらの依頼で呼びつけたというのにホールが使えず、廊下で待ちぼうけになる。などということは、あまりさせたくない。
「いえ、私が勝手に早く着いてしまっただけなので気にしないでください」
そのように言うと、ローラが慌てた様子で首を横に振る。
「そうか。そう言ってくれると助かる」
「私たちのことをそこまで気遣っていただいて本当に嬉しいです」
なんだか妙に持ち上げられている気がするのは気のせいだろうか? まあ、金払いのいい依頼人なので気を遣っているのだろう。
「手続きをしてくる」
「はい、お待ちしていますね」
別に先に向かってくれていてもいいのだが、ローラは健気にそう答えて待機した。
とりあえず、俺は係員のいる受付に向かう。
三番ホールの貸し出しのための書類の記入をし、先払いで清算を済ませる。
それが終わると待っていたローラと一緒に三番ホールに向かった。
貸し出された鍵を使って扉を開けると、当然中には誰もいない。
廊下にも誰もいない様子だし、ローラ以外に早く着いたものはいないようだった。
軽く扉や窓を開けてホールの換気を行うと、奏者が座るイスを倉庫から出すことにする。
「手伝いますね」
「いや、すぐに終わるから大丈夫だ」
俺がやることを察してローラがやってくるが必要はない。
俺は重ねられているイス目がけて、無属性の魔法サイキックを発動する。
俺の魔力が浸透したイスがふわりと浮き上がり、ひとりでにホールの中へと移動した。
数十人分のイスも魔法を使えばあっという間だ。
「……ジルクさんは魔法も使えるのですね」
「魔道具師だからな」
「どういう意味です?」
「魔道具を作る際には魔法を付与したり、魔力を注入して素材を加工することがある。魔法付与か魔力加工の練習として、魔道具師は魔法も練習するんだ。極まれに魔法の練習をサボっている者がいるが、そういった者の魔道具は大体が魔法付与が下手で、魔力加工も杜撰――どうでもいいことを喋り過ぎたな」
ふとローラの顔を見ると、ぽかんとした表情をしていた。
つい魔道具の話となって饒舌になってしまったが、奏者でしかない彼女にそんな話をしても面白くもないだろう。
「い、いえ、そんなことはありません。興味深いお話でした」
「そうか」
などと大袈裟に返事をしてくれるが、それは依頼人だからだろう。
イスを並べて換気していた窓を閉じると、俺はホールの中央に戻る。
俺はマジックバッグから音の箱庭を取り出した。既に何度もホールを利用しているので、ここでの録音が一番いい事はわかっている。
ローラと二人きりというのは気まずいが、自分の依頼した仕事なので仕方があるまい。
宝具でも触って他の奏者がくるのを待っていよう。
他人と向か合うのは面倒だが、宝具と向き合うのは大歓迎だ。
ひとまず、今日の録音のために容量を確保しよう。
「その宝具って、カタリナが持っていた音の箱庭ですよね? いくつか曲を保存して、聴くことができると聞きましたが、どの程度保存しておけるのですか?」
録音されていた必要のない曲を削除していると、ローラが傍にやってきた。
どうして俺に話しかけてくるんだ。
奏者なら奏者らしく楽器の調整でもしていればいいものを。
しかし、ローラは熱意のある奏者だ。今後のことも考えるとあまり邪見にするわけにはいかない。
俺は早く他の奏者がやってくることを願いながら、ローラと適当に会話するのであった。
●
俺は音の箱庭に録音された五つの曲を始めから再生していく。
今日演奏した曲がしっかりと録音できているか確かめるためだ。
演奏した奏者たちは、自分たちの奏でた曲がどのように聴こえるのか気になるのか静かに耳を傾けていた。
そして、五つの曲を録音し終わると、俺はボタンを押して宝具を止めた。
「ていうか、あーしたちの音ってああいう風に聴こえてたんだー」
「いつもの曲よりもちょっとアレンジが多いけど、これはこれでアリかも!」
「目の前で録音するというのは、意外と緊張するものですね」
「なんか普段のコンサートよりも緊張した気分だぜ!」
曲を聴き終わるなり、やや興奮したように声を上げる奏者たち。
自分たちが奏でている音を聴く機会はあれど、第三者としてゆったりと聴くのは初めてだったのだろう。
前世のような録音機器がなければ、難しいことなので興奮してしまうのも無理はない。
場の空気が落ち着くのを待っていると、しばらくして我に返ったローラが尋ねてくる。
「ジルクさん、宝具での録音はいかがでしたか? 希望に添えた出来栄えだったでしょうか?」
「きっちりと録音できている。演奏も問題ないし、雑音も入り込んでいない。これで今回の依頼は終了だ」
無事に依頼が終了したことを告げると、ローラはホッとしたように息を吐いて、他の奏者たちは喜びの声を口々に上げた。
「よっしゃ! これで終わりだな!」
「よかったー、もうやり直しがなくて」
「演奏途中に間違って他の利用者が入ってきた時は殺意が湧いたからね」
スルリと録音できた曲もあったが、よく聴いてみると奏者のミスが目立っていた曲もあったし、他の利用者の侵入という事故なんかもあったからな。
俺の要求した注文が細かかったせいで奏者は疲れたようだが、皆達成感に満ちているようだ。
「約束通り、報酬は来週までにそれぞれの口座に振り込んでおく。もう解散してもいいぞ」
「なあ、ジルクさんよ。ここってまだ貸し切り時間中だよな? せっかくだから終わるまで使ってもいいか? ちゃんと戸締りはするし、係員に顔は利くからよぉ」
そのように告げると、大柄なリザードマンが言ってきた。
ここにいるのは歌劇場を普段から使用している奏者だ。彼の言う通り、多少の融通は利くだろう。
鍵を返却するのが貸し出し人でなくても文句は言われないだろうな。
他の者に視線をやってみると、ほぼ全員が未だに楽器を仕舞う事なく期待の視線を向けてきている。
「……いいだろう。自由に使え」
「話のわかる依頼人で助かるぜ!」
「それじゃあ、俺は先に帰る。また録音したくなった時は頼む」
「おお! オレたちで良かったらいつでもやってやるぜ!」
リザードマンは頼もしい返事を聞くと、俺は宝具をマジックバッグに収納してホールを出る。
「あっ、待ってくださいジルクさん!」
すると、少し遅れてローラがこちらにやってきた。
「どうした、ローラ?」
「依頼の打ち上げということで、これからお食事でもどうですか?」
ややこちらの様子を伺うように尋ねてくるローラ。
他人と食事など真っ平ごめんであるが、ローラには今後も依頼を頼みたいと思っている。
ローラは他の奏者に比べて一番熱意が高く、皆を纏めてくれていたように思えた。
団員の中でも技術や人格共に備わっており、一目置かれているのだろう。
曲によっては今回声をかけていない奏者への繋ぎにもなってくれそうだ。
面倒ではあるが誘われた以上、乗ってやるのがいいか。
それに個人的にこの世界の音楽というのが気になるしな。
ただし、今晩はヒラメの昆布締めやカルパッチョが待っている。
晩酌ができる程度の軽い食事にしておこう。
「わかった。俺も行こう。他には誰が行く?」
「あの、えっと、私だけではダメですか?」
そのように尋ねると、ローラはやや言いづらそうな顔で言う。
「いや、別に構わない。大勢での食事はあまり好きじゃないしな」
「本当ですか! ありがとうございます!」
そのように言うと、ローラは嬉しそうな笑みを浮かべた。
大人数での食事会はどうも抜けるタイミングに気を遣う。
しかし、相手が一人であれば、適当なタイミングですっぱり解散することができるだろう。こちらにとっても二人というのは好都合だった。




