独身貴族は呼び出される
休日を終えて出勤してみると、工房には誰もいなかった。
荷物をデスクの上に置くと、そこに一枚のメモが置かれていた。
メモを確認してみると、トリスタンと魔道具店にミルの使い方を教えに行くと書かれていた。どうやらミルの販売が近づいているようだ。
メモの下には魔道具店で販売するのに必要なミルの数が書かれている。
各店にそれぞれ五個ずつ置いてもらう予定のようだ。
ミルは今までの魔道具のような大きな利益の出る類ではない。協力してくれたロンデルが広めたいと願い、俺の趣味と合致して商品になったものだ。
今までの納品数に比べればかなり少ないが、趣味枠なのでこれで十分だろう。
製作に必要な素材は既にトリスタンが加工し、ルージュが用意してくれているらしい。
実に準備がいい。今日からまたしばらくはコーヒーミルを作ることになりそうだ。
クーラーの製作が止まってしまい、同じものばかり作るハメになっているが、自分で手を出した作品なので仕方がないか。
ルージュの書いたメモを最後まで目を通すと、自動ミルでコーヒーを淹れる。
いつもなら作業しながら雑談をし始めるトリスタンや、忙しそうにするルージュはいない。
静かでいい。今日は仕事が捗りそうだ。
「失礼いたします、ジルクさん」
静かな工房内でコーヒーを嗜んでいると、扉が開いてノイドが入ってきた。
俺は慌ててイスから降りて、デスクの下に身を隠す。
喫茶店で出会うならともかく、直接工房にやってくる用事などロクなものではないだろう。
エイトの結婚式と同じような匂いを感じる。
「……残念ながら隠れる前にお姿が見えてしまいました」
しかし、即座にそのように声が響き渡った。
「本格的にパーテーションを設置する必要がありそうだ」
隠れる前に視線が合ってしまってはどうしようもない。
「どうかしたのかノイド?」
「実は主から招待状を渡すように言われまして」
ノイドはそのように言うと胸ポケットから取り出した招待状を渡してくる。
軽く目を通すとブレンド伯爵家の紋章が入っており、お茶会の招待状と書かれている。
「これは?」
「以前、主が言っていたコーヒーの試飲会です。そこに製作者であるジルクさんも是非ご参加を」
そういえば、他の貴族にもコーヒー仲間がいるとアルバートは言っていたな。
そのコーヒーの試飲会に俺も参加してくれと言う事か。面倒くさい。
「ちなみにアルトさんは参加されるようです」
「そうか。それなら俺まで行く必要はないだろう」
「主はジルクさんの参加を望まれています。それにバリスタについての話もしたいと……」
ちっ、アルト一人を生贄にして不参加にするつもりだったが、バリスタという魅力的な話には抗えない。
アルトとブレンド伯爵の縁は俺が繋いだものだ。
ここで俺が参加しないせいで微妙な空気になるのも悪いしな。最後まで面倒を見るのが筋か。はあ、これだから人間関係というのは面倒なのだ。
一度、構築されれば芋づる式に輪が増えていく。キリがない。
「……わかった。ブレンド伯爵には参加すると伝えてくれ」
コーヒーの試飲会にはあまり興味はないが、バリスタの動きは気になるからな。
「かしこまりました。では、当日にお会いできるのを楽しみにしております」
そのように返事するとノイドはにっこりと笑みを浮かべて退室した。
清々しいコーヒータイムが見事にぶち壊しだ。
とりあえず、お茶会のことを考えても仕方がない。
俺は先に控えた面倒事から現実逃避するようにミルの製作に没頭した。
●
「ただいまー」
「はぁー、疲れました」
窓の外の景色が茜色に染まる頃合い。
ルージュとトリスタンが転がり込むように扉を開けて帰ってきた。
静謐な工房の空気はぶち壊しとなり、ミルの製作に没頭していた俺の意識が現実に戻ってくる。
ドタドタと移動して手荷物を置いたり、新しい道具を引っ張り出したり。
二人が帰ってきただけで途端に騒がしくなったな。
「随分と疲れた様子だな?」
「そりゃ、そうよ! 王都中の魔道具店を回って、ミルの使い方を教えてきたんだから!」
「そもそもコーヒーっていう飲み物を知らない人ばかりで、毎回同じ説明をするのは面倒ですよね」
「それに今日だけで何杯コーヒーを呑んだことやら。あたし、当分はコーヒーはいらないわ」
「でも、明日も回らないといけない店がたくさんありますよ」
軽く聞いただけで出てくる二人の苦労話。
こういう時はただ黙って聞いてあげるが吉だ。
「そうか。疲れただろう。コーヒーでも飲むか?」
「いりません!」
「何杯も飲んできたって言ったでしょ。あたしたちの話聞いてた?」
「冗談だ」
ちょっと冗談のつもりで言ったのに凄く怒られてしまった。
とても疲れているせいでイライラが溜まっているようだ。
「コーヒーの呑み過ぎはよくないからな。水がいいだろう」
「えっ、なにそれ? その情報、初めて聞いたんだけど?」
「ロンデルから聞いたことはなかったのか? コーヒーには特殊な成分が含まれていて、ごく一部の人間は体質的に合わない。また、そうでなくても過剰な摂取は厳禁だ」
個人差によって体質は異なる。カフェインの過剰摂取によって胃酸の分泌が活性化して胃痛になったり、利尿作用によるビタミンの流出なんかもある。
一日二、三杯ぐらいにしておき、不調を感じたらすぐに飲むをやめるべき。
まあ、飲食において何事も食べ過ぎ呑み過ぎはNGだ。
「そういうことは早めに言いなさいよ! 明日、もう一度説明して回らないと……」
ルージュはそのように怒りながらもメモに俺の言った注意事項を書いていく。
「別にそれぐらい自己判断でできるだろう」
コーヒーの他にも紅茶だって呑み過ぎれば毒になるし、貝やとうもろこし、銀杏だってそうだ。
「後で文句を言われないためにも注意はしたってスタンスが重要なの!」
「なるほど、ご苦労なことだ」
後々面倒ごとに巻き込まれないための処置か。
前世の企業でも聞いたことのあるスタンスだった。
「ジルクが手伝ってくれれば、もっと楽になるんだけどねー」
「俺はやらん」
ルージュが助けを求めるような視線を向けてくるが、きっぱりと断る。
俺がやるべき仕事は魔道具を作ることであって、販売や雑事、経理といった仕事はルージュの分野だ。
そういった面倒ごとから逃れるために雇っているのに、それを手伝っては意味がない。
「そうよね。あなたはそういう冷たい人よね。でも、今は割と本気でカツカツなんだけど……」
「それなら増援としてロンデルに声をかけるのはどうだ?」
コーヒーを広めるのが彼の本望だ。その手伝いとなれば彼も断りはしないだろう。
「じゃあ、ジルク。ロンデルさんに頼んできて! あたし、注意書きリストの作成や今日の報告書なんかで手が離せないから」
そのように提案すると、すかさずルージュが頼んでくる。
「……トリスタン」
「俺だってルージュさんの手伝いで忙しいんですからね! 明日もルージュさんと一緒に魔道具店に回らないといけないですし! 一番仲が良いのはジルクさんなんですから、これくらいお願いしますよ」
トリスタンに頼もうと声をかけると、言い切る前にそのように言われてしまった。
どうやらルージュもトリスタンも本当に忙しいようだ。
「わかった。ロンデルには俺が頼んでおこう」
下手に二人を動かすと、俺まで営業に巻き込まれそうだからな。
Twitterや Amazonなどで表紙が公開されています。とてもいい感じです。




