独身貴族は一人焼き肉をする
「ジルク、そろそろ終わりにしたらどう?」
ルージュに声をかけられて思考の海に沈んでいた意識が現実へと戻ってくる。
窓に視線をやると、景色は夕焼けから夜へと変わりかけていた。
魔道具による灯りが普及しているとはいえ、この世界では前世のような長時間労働はあまりない。暗くなれば仕事を終えるのが通常だ。
トップである俺が仕事をやめなければ、トリスタンやルージュも帰りづらいだろう。
「……今日はここまでにするか」
「この後、皆で食事なんてどうですか?」
ペンにつけたインクを拭い、丁寧にそれをデスクに収納しているとトリスタンがそのような提案をしてきた。
「最近、変わった肉料理を提供する店ができたんですよ。焼き肉とかいって、薄く切られた肉を自分たちで焼くそうです!」
「それ知ってる! いつ見ても人が並んでるところよね。確か名前は『ニクビシ』!」
「それです! よかったらどうですか?」
「焼き肉か。悪くないな」
トリスタンの話を聞いていると今夜は焼き肉の気分になった。
最近はあまり肉を食べていなかったし、外で思いっきり食べるのもいいだろう。
「ごめん! あたし、今日は帰って子供の面倒を見ないといけないから」
申し訳なさそうに手を合わせて謝るルージュ。
「ええ、今日くらいいいじゃないですかぁ」
「あたしも行きたいんだけど子供にとっても今が大事な時期だから。ごめんね」
トリスタンがぶうたれるも、ルージュは手早く荷物を片付けると工房を出ていく。
早く仕事を終わるように急かしてきたことから、今日は早めに帰りたかったのだろうな。
このように言われては無理に引き留めることもできない。
「仕方がない。今日は二人で――」
「じゃあ、やめときますか。男二人で行ってもしょうがないですし」
「…………そうだな」
「それじゃあ、お疲れ様です」
俺が頷くと、トリスタンはさっさと帰り支度を整えて工房を出て行った。
まあ、別に行かないのなら行かないでいい。夕食は家で済ませるまでだ。
一人残された俺も、デスクにある仕事道具を片付けると、戸締りをしっかりとして出ていく。
外は既に暗くなっており、設置された魔道ランプが通りを照らしていた。
工房から中央区へと歩いていくと、仕事終わりの大工や冒険者などがこぞって酒場や居酒屋などに繰り出している姿が見える。
中央区は日が暮れようとも騒がしい。普段真っすぐに家に帰る時は、迂回して静かな住宅街を通るのであるが、今日は夕食の買い物をしなければならない。
今朝、見た時に少し冷蔵庫の中が寂しかったからな。
陽気な歌を歌うドワーフたちの横を通って、商店のある方へ歩く。
立ち並ぶ屋台やレストランからは香ばしい肉の匂いが漂っていた。
「……やっぱり肉が食べたいな」
トリスタンが焼き肉の話をするので、すっかり胃袋が肉の気分になっている。
別に家でも肉を食べることができるが、今から買って家で焼いてという手間を考えると少し面倒だ。
今日は準備や後片付けを気にすることなく、思いっきり網の上で焼いた肉を食べたい。
「焼き肉屋に行くか」
そうと決まれば買い物は中止だ。
商店エリアに向かうのをやめた俺は踵を返して、中央区にある焼き肉屋へと足を運んだ。
◆
中央区にある飲食店街にある一画。黒煉瓦で作られた一軒家の建物。
白塗りの看板に達筆な黒文字で『ニクビシ』と描かれている。
夕食時だからか店の前には大量の人が並んでいる。
それでも新しい客は気後れすることなく、さらに後ろに並び出している。
これだけの待ち時間があるとわかっていても食べる価値があるという確固たる決意があるのだろう。
普通なら後から来た俺も最後尾に並ぶことになるが、その必要はない。
俺は並んでいる客たちを無視して店の扉をくぐる。
「すみません、お客様。列に並んでお待ちください。順番にご案内しますので」
「バカ、その御方はいいんだ!」
見慣れない若い店員が声をかけてきたが、奥から恰幅のいい男性が血相を変えて出てきた。
「すみません、ジルク様。こいつはつい最近入った新人でして」
揉み手をしながら新人の頭を下げさせるニクビシの店長。
名前の後の敬称に気付いて、新人が顔を真っ青にしている。さすがに気の毒だ。
「いや、気にしてない。それよりお店は繁盛しているようだな」
「ええ、お陰様で。ジルク様に提案して頂いたことを実践してみれば、この賑わいですよ。本当にジルク様に感謝の気持ちでいっぱいです」
そう、最近流行っている焼き肉というのは、俺が店長に提案してやり始めたものだ。
元々は老舗の精肉店であったのだが、冷蔵庫の台頭によって様々な肉も食べられるようになった。
今までは食べることのできなかった動物や魔物の肉も入ってくる上に、新規の飲食店もどんどん数が増えている。
そんな多様化する食文化に対応できず、精肉店であったニクビシは経営が落ち込んでいた。
そんな風にまいっていた店長が、当時客だった俺に相談して焼き肉を始めたのだ。
薄く切った肉を提供し、客席で客自身が焼くというスタイルは王都にもなかったらしく爆発的な人気が出た。
元々老舗だけに肉の管理が良いだけあって、焼き肉との相性は抜群でこの賑わいというわけだ。
「気にするな。ただ俺は自分があったらいいなというものを述べただけだからな」
「本当にジルク様には頭が上がりません」
「それよりもいつもの席は空いているか?」
「はい、勿論空けております。すぐにご案内いたしますね」
ずっと入り口で話しているのもなんだし、いい加減に腹が減った。
俺は店長に案内してもらってフロアの奥に突き進む。
そこはオープンスペースではなく、しっかりと区切られた個室スペースだ。
わいわいと友人や家族で肉を焼くのもいいが、俺のような独り身もいるし、ゆったりと肉を味わいたいものもいるからな。そのようなニーズにこたえてのものだ。
本当は一人焼き肉専用のスペースも用意してほしかったが、この世界ではまだそこまでのニーズは少ないらしいからな。
案内された個室は四人掛けの席だ。テーブルやイス、扉の全てが黒で統一されており、非常に落ち着く空間だ。
テーブルの中央には丸い穴が空いており、そこには炭が入っている。
店長が発火の魔道具で炭に火をつけると、そっと焼き網を上に載せた。
テーブルには加熱の魔道具を設置するという案も初期にはあったが、やっぱり炭火で食べたいから敢えて魔道具は設置していない。
こんなことを言ったら「魔道具を売るチャンスだったのに!」とルージュに怒られるかもしれないが、ここは俺の拘りなので譲れない。
「ご注文はいかがいたしましょう?」
「まずは紅牛のタン、厚切りハラミ、カルビを一人前ずつ頼む。飲み物はエールだ」
「かしこまりました」
この世界には様々な種類の肉があるので迷ってしまうが、この店で食べるならやっぱり紅牛だ。ニクビシの熟成技術、カット技術、味付けは他の精肉店に追随を許さない完成度だ。
ここにきたら紅牛を食べなければ始まらない。
まずはしっとりとしながら旨味のあるタンから食べよう。
そんな風に考えていると、いつもはすぐに引っ込むはずの店長が迷ったような顔をして佇んでいた。
「……どうかしたか?」
「あの、本当に売り上げの一部を納めなくていいのですか? 今でしたらジルク様にも十分な還元ができるのですが……」
なるほど、そのことで迷っていたのか。
正直にいえば、別に上納金などいらない。
幸いなことに金には困っていない。こうしていつでも席に案内してもらって、美味い肉を売ってくれればそれでいい。
しかし、店長は庶民であり、俺はルーレン子爵の息子だ。
こちらは大して気にしなくても貴族に借りを作ったままというのも恐ろしいだろう。
店長も俺の性格はわかっているはずだが、やはり対価がないというのは落ち着かないものだろう。
「わかった。店の売り上げがこのまま三か月ほど続くようであれば一割をもらう。それ以外はこれまで通りに席の優先的確保と稀少な肉を入手したら売ってくれていい」
ここ最近黒字になったとはいえ、それまで店の経営は傾いていた。
店舗だって改装してお金がかかっただろうし、今すぐに貰って傾かれでもしたらこちらが困る。
「わかりました。ジルク様にしっかりと還元できるように努力いたします」
「ああ、頑張ってくれ」
「では、すぐにお持ちいたします」
そのように労うと、店長はにっこりとした笑みを浮かべて引っ込んだ。
それからすぐに注文したものが運ばれてくる。
「綺麗な色だ」
真っ赤な紅牛の肉色に感嘆の息を吐きながら、トングを使ってタンを一枚とる。
それから、もっとも温度の高い網の中央に置く。
表面に網目の焼き目をつけつつ、中まで火を通しすぎないようにする。
タンは縦横無尽に肉の繊維が走っている特殊な部位の肉だ。油断するとあっという間に火が通り過ぎてしまい、肉が硬くなってしまう。
そうならないように最初に焼いた面が少し反り出したら、ひっくり返して同じように焼く。
それで火の通りは十分であり、柔らかさをそのまま味わえるのだ。
焼き上げたばかりのタンを口に運ぶ。
紅牛の強い旨味と肉汁が口の中で広がる。コリッとした弾力が楽しく、噛めば噛むほどに味が染み出してくる。
そして、それをキンキンに冷えたエールで流し込む。
じゅわっと舌の上に溶け出していた脂を、冷たいエールが一気に喉まで流し込む。
この爽快感が堪らない。
同じようにタンを丁寧に焼いてはエールで流し込む。
ただその繰り返しであるが、それがたまらなく美味い。
タンを食べ終わると、次は厚切りのハラミだ。
ハラミに関しては中央からやや外側の温度の高めのところで焼くのがいい。
表面をバリッとさせるためにしっかりと焼き目をつける。
しかし、中身はミディアムレア程度にしておくのだ。
そうすることで香りも良くハラミ独特のザクザクッとした食感を楽しむことができる。
焼き上がったばかりの分厚いハラミを口に入れる。
ハラミ独特のザクッとした食感が楽しい。香りも豊かで肉の旨味も素晴らしい。
塩をつけて食べると味にいいアクセントがつき、肉の旨味が引き立つようであった。
さて、ハラミが終わったら、次はしっかりとタレで下味のつけられたカルビだ。
真っ赤な綺麗な身を中央付近の温度高めの場所に置く。
両面にしっかりと焼き目をつけつつも、内部に赤みを少し残すくらいが理想だ。
「……ここだな」
裏返したカルビをサッと箸で掴んで自らの皿に手繰り寄せる。
食べた瞬間、赤身と脂身とタレの味が渾然一体として広がる。
「美味い」
口の中で味が爆発し、香ばしさが鼻の奥へと突き抜ける。
「ああ、白飯がほしい」
惜しむらくは白飯という存在がないことか。
白飯があれば、勢いよく掻き込んだというのに。
しかし、希望がないわけではない。
つい最近、王都には清酒という日本酒みたいな物が入ってくるようになった。
極東と呼ばれる国から入ってきた酒で味はまんま日本酒だった。
清酒があるということはその元となる、米だってあるはずだ。
今はまだ輸入されていないが、もしかすると米も入ってくるかもしれない。
その時は何がなんでも手に入れたい。
そして、ニクビシのメニューにも追加させなければ。
これだけ美味しい肉を揃えておきながら白飯がないなんて罪だ。
なんてことを思いながら、俺は次々とカルビを焼いていく。
この炭焼きでの味わいは家では再現できない味だ。やっぱり、ニクビシに食べに来てよかった。
人に気を遣うことなく、好きなものを好きなだけ食べられる。
これぞ食事の幸せ。
別に焼肉だからって皆で行く必要もない。
食事は皆で食べた方が美味いなどと言うが、俺はそうは思わないな。
「一人でやってきて正解だったな」
この充実感はトリスタンやルージュがいては得られなかったことだろう。
俺はカルビをエールで流し込み、上機嫌で次に注文するものを考えるのであった。
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