独身奏者の服は燻される
『独身貴族は異世界を謳歌する』GCノベルズより書籍化いたします。発売日は8月末予定。
コンサートも練習会もない貴重な休日。私は久しぶりの休暇を謳歌していた。
最近は嬉しいことに色々と忙しくなって、まともに休日すらとれていなかった。
しかし、今日は奇跡的に何も予定が入っていない。
今日は家から一歩も出ずに休もう。そう決めた私は惰眠を貪り続け、目を覚ますと午後の中頃であった。
「あー、頭がボーっとする。ちょっと寝過ぎたかしら?」
いつもの二倍近い睡眠を摂るのは控えめに最高だったが寝過ぎた。
起きても頭が重くてボーっとしている感じがする。
「うわっ」
なんとかベッドから這い出るとリビングの床に置いてあった洗濯籠が足に引っ掛かった。
洗濯籠が倒れて靴下やら下着が床に散らばる。
飲み物を零した時に比べれば微々たる被害だけど、それでも嫌なことには変わりない。
私はため息を吐きながら零れた衣服を籠に戻す。
「洗濯するかぁ」
もう一週間も洗濯ものを溜めている。いい加減にやらなければいけない。
こうして洗濯籠を手にしている今のうちにやらなければ、きっと今日もやらないだろう。
確固たる意志を持って、私は洗濯籠を持って廊下に移動。
そこには洗濯機という魔道具があり、衣服を一気に放り込む。
あっ、一部の下着は手洗いじゃないとダメなんだった。
私は慌てて下着だけを発掘し、魔道具のボタンを押して操作した。
洗濯機に内蔵された水の魔石が反応し、ジョボジョボと水が注がれる。
後はそこに専用の洗剤を入れるだけで私の作業は終了だ。
「こんな便利な魔道具があっても面倒くさいって思える私は、きっと家事が向いてないのよねぇ……」
これだけで衣服を綺麗に洗ってくれるというのだから本当に画期的としか言いようがない魔道具だ。
洗濯機はとても便利であるが、値段は三百万ソーロと中々に高い。
最新式には乾燥機能まで付いているらしいが、そちらは五百万ソーロもする。
そのせいか一般家庭には普及していないが、王族や貴族、一部の富裕層では取り入れられており大好評だ。
うちの屋敷でも使われており、洗濯にかかるコストが減ったと父やメイド長なんかも喜んでいた。
まあ、便利過ぎる魔道具のせいで洗濯係が不要となり、解雇された使用人もいるけどそれも時代の流れというものだろう。
便利な魔道具の登場で単純作業に従事している者は、不要になるという説は二十年前から唱えられていた。
その時代の流れを作っていると言われるのが、お隣さんである天才魔道具師ジルク=ルーレン。
「これをジルクが作ったっていうのが不思議ね」
彼の作り出す便利な魔道具には大変助けられているが、その本人を目にすると何ともいえない気持ちだ。
人のことを言えたものじゃないけど、私よりも年上にも関わらず独身。
結婚といったものに異常なまでの否定感を抱く、職人気質の男。
他人に意見に決して振り回されない意思の強い男と言えば聞こえはいいが、実際は偏屈で気ままな人間だ。
そんな人物がどうしてこんな魔道具を生み出せるのか不思議でならなかった。
それから私は顔を洗って目を覚ますと、服を着替えて、朝の水分補給。
一呼吸ついてソファーで読書をしていると洗濯機から洗濯を終える音がした。
ピーピーという音によって私の意識が現実に戻され、パタリと小説を閉じる。
もう少し本を読んでいたいが、いつまでも放っておくと衣服がしわになってしまう。
そうなると干した後に念入りにアイロンまでしなくてはいけない。
その面倒くささを考えると、今すぐに干してやるのが一番良かった。
私はため息をつきながら、洗濯機に移動。
洗濯した衣服を籠に入れて、リビングにあるハンガーに掛け、洗濯バサミで挟んでいく。
「……洗濯物を干すのが面倒くさいわね」
この単純作業が苦手だ。
以前なら音の箱庭をかけて、お気に入りの曲をかけながら作業ができたが、ジルクに渡してしまったのでそれもできない。
このつまらない作業を一刻も早く終わらせるべく集中するしかない。
「乾燥機能付きの洗濯機を買おうかしら?」
一台で五百万ソーロと中々に高価だったために以前は妥協してしまった。
しかし、今は作曲のお陰で以前よりも稼げるようになっており、貯金額がとんでもないことになっている。
生活の質を上げて、音楽に集中するためなら五百万ソーロの投資くらい問題ない。
お古になった今の魔道具は売ってしまうか、平民の後輩の子にでもあげよう。
そんなことを考えていると、すべてに衣服を掛け終えることができた。
後はベランダに出て、それらを吊るして終わりだ。
「はぁー、ようやく終わりだわ!」
譜面を何度もなぞることは訳ないのに、たった一つの作業でドッと疲れた気分。
大きく息を吐いて、ベランダからリビングに戻る。
すると、手洗いするために取り分けた下着が目に入った。
しまった。こっちはまだ終わってなかったんだ。
私は先程よりも深いため息を吐いて、下着の手洗いをやるのであった。
●
洗濯作業やちょっとした掃除をやった私は、再び物語の世界へと戻っていた。
内容としては結婚したくない貴族の令嬢と子息が、婚約者のフリをして自分のやりたいことを好きにしていく。いわゆる偽装婚約ものだ。
ジャンルとしては王道ではあるが、巧みな心情描写によって気が付けばページをめくる手が止まらなくなり、気が付けばあっという間に一冊を読み終わってしまった。
「はぁー、私もこんな恋がしてみたいわね」
本をパタリと閉じて、ため息のような言葉を漏らす。
恋愛する気持ちが無い状態から、徐々に恋が芽生えていく様子は非常にワクワクした。
何だろう。共感するんじゃなく、二人の関係をずっと見守ってあげたいと思うような尊さがそこにあった。
「……まあ、現実はこんなに甘くないけどね」
読んですぐにこんなことを思ってしまう私は、つまらない大人なのだろう。
恋愛系の物語を読んでしまうと恋をしたいと思うが、それは一時的なもの。
私は音楽で生きていくと決めているので、このような恋だけの人生なんてやっぱり考えられない。
だから、深く共感することはできないのだろう。
ふと、窓の方に視線を向けると空が薄暗くなっていた。
「そろそろ洗濯物でも取り込もうかしら」
小説を読み終わると、私はソファーから立ち上がってベランダに出ようとすると、とてつもない煙が出ているのに気付いた。
「えっ!? もしかして火事っ!?」
大慌てで窓を開けてベランダに出てみると、もくもくとした煙に包まれて――そして、香ばしい匂いがした。
「……なにこの匂い? 火事じゃない?」
私のベランダにまで到達するような大量の煙が出ているが、火事ではなさそうだ。
なにかの肉を焼いているようなそんな香ばしさ。甘辛いタレも混じっているのか実にいい匂いをしている。
でも、すごい煙の量だ。そして、それをもろに浴びている洗い立ての私の衣服。
「…………もしかして!」
嫌な予感がしたのですぐに洗濯ものをリビングに取り込む。
そして、おそるおそるハンカチを鼻に近付けると実に香ばしい匂いがした。
「あ、ああ……やられた! これ、どうみても洗い直しじゃない!」
香ばしい肉の匂いに包まれながら私は崩れ落ちた。
なけなしの気力を振り絞って行った洗濯が全て水泡の泡と化したからだ。
確か流行りの焼き肉店『ニクビシ』に行って、帰ってきた時もこうなったっけ。
こんな香ばしい肉の匂いを染み付かせたままコンサートにいけるはずがない。
家で着るにしてもゴメンであった。間違いなく洗い直し。
「もう! なんなのよ、この匂い!」
私はもう一度ベランダに出て、もくもくと流れてくる煙の発生源を確かめる。
視線を辿ってみると、左隣であるジルクの家の換気扇からだ。
これは文句を言ってやらなければ我慢できない。
ムカムカとした怒りを胸に秘めながら、私は家を出てジルクの家のベルを鳴らした。




