独身貴族は結婚しない
「おはよう!」
工房のデスクでクーラーの設計図を描いていると、工房の扉を開けて元気よく入ってくる者がいた。少し癖のある赤髪に翡翠色の瞳をした女性。
彼女はルージュといって、うちの工房の従業員の一人だ。
「新しい魔道具の制作依頼がきたわよ!」
ルージュは快活な声を上げて、デスクに依頼書を並べた。
ルージュの仕事は、販売ルートの確保や納品作業、依頼の受注などといった工房の雑事だ。
「またすか?」
「仕事があるのはいいことじゃない。そんな嫌そうな顔しないの」
「そうなんですけど、問題は従業員が少ないことなんですよね」
トリスタンがやや嫌みのこもった声を俺に飛ばしてくる。
「確かにそれもそうよね。これだけ売り上げも増えたのに従業員がたったの二人しかいないなんて……」
そう、ジルク工房の従業員はトリスタンとルージュの二人だけ。俺を合わせてもたった三人だ。
「ねえ、ジルク。冷蔵庫の納品も落ち着いて、安定的な黒字も出ていることだし、そろそろ人を雇ってみない?」
「必要ない」
ルージュが気持ちの悪い猫撫で声で言ってくるので即座に却下した。
「どうして? もっと人を増やせばたくさんの魔道具が作れて、工房の売り上げももっと上がるのよ? 世の中にはジルクの魔道具を欲しがっている人がたくさんいるわ」
「何度も言っているが、俺は自分の生活を快適にするために魔道具を作っているんだ。誰かのためだとか高尚な思いはさらさらない。自分が作りたいものを作るだけだ」
そう、俺は魔道具で人々を笑顔にする、街を豊かにするだなんて青い思いは持ってはいない。
全ては自分の生活を快適にするために作っているだけだ。魔道具を売っているのは、それらの開発費用や、自分の生活のためだけで、ルージュのような熱意は抱いていない。
「はぁ……あなたの考えはちっとも変わらないのね。発明している魔道具はすごいのに、本人がこれだなんて」
人はそう簡単には変われない。
一度死んで、二度目の人生を送っているのにもかかわらずに、まったく変わってない俺が言うのだ。間違いではないだろう。
とりあえず、俺はルージュの持ってきてくれた依頼書を確認する。
この中から自分のやりたいものだけをやればいい。興味がないものは引き受けない。
後は勝手にルージュが他所の工房に流すか、辞退するなど上手くやってくれるだろう。
「それでも俺は従業員の増員を願います!」
ルージュの意見を否定したにもかかわらずに、またしても願い出るトリスタン。
即座に却下したいところであるが、彼には彼なりの切実な意見があるかもしれないので一依頼書の確認を止めて一応は聞いてやる。
「どうしてだ?」
「だって、このままじゃいつまで経っても俺に彼女ができないじゃないですか! ルージュさんは綺麗だけど既婚者だし、他に女性はおらず、無愛想な男の上司のみ! こんな職場じゃ出会いすらないんですよ!?」
少しは多角的な意見が出ると思って真面目に聞いた俺がバカだった。
なんて浅はかな理由だろう。
「俺ももうすぐ十八歳です。そろそろ結婚を視野に入れたお付き合いってやつがしたいんですよ!」
「職場はあくまで仕事をする場所であって、出会いの場じゃない。うちの工房をなんだと思っている」
「うう、確かにそれはそうですけど、俺にだって潤いが欲しいし、結婚だってしたいんです!」
「大体、結婚のどこがいいんだ? 結婚すれば、財産は共有され好きに使うこともできなくなる。それに自由に遊べる時間もなくなるし、趣味や仕事に打ち込む時間もなくなるんだぞ? 大体、まだ魔道具師の資格もとれていない癖に女に現を抜かすような時間がお前にあるのか?」
トリスタンは魔道具師の見習いであり、まだ資格試験を突破できていない。
魔道具師になるには国の筆記試験と、魔道具作りの実演を突破して、初めて魔道具師としての資格を手に入れることができる。
それがなければ自ら作り上げた魔道具を売ることもできないし、自分の店を開くこともできない。
ただでさえ、結婚は金がかかる。
まだ一人で自立して収入を得ることすらできていないトリスタンが、結婚などという茨の道に進むことができるのだろうか。
そんなしょうもない考えは捨てて、まずは魔道具師への道を真っすぐに進むべきだろう。
「うう、ルージュさん。ジルクさんが酷いことを言ってきます」
「言っていること全てに賛同はできないけど、ある意味正しいっていうのが質悪いわよね」
痛いところを突かれて半泣きになっているトリスタンと、苦笑いしているルージュ。
トリスタンも普通に業務過多だとか真面目に言ってくれれば検討くらいはしてやるのにな。
まあ、一番にそういう理由が出てこないということは、今の作業量でも余裕があるのだろうな。
不毛な会話をしているが、部下の作業速度をしっかりと把握できたので良かったといえるだろう。
「でも、ジルク。結婚も悪いことばかりじゃないのよ? 愛する人と同じ時間を共有できるのは素晴らしいことだし、子供を育てる喜びだって味わえるわ」
「俺は一人が好きだ。他人と毎日同じ時間を過ごすなんて苦痛でしかない。それに子供も好きでもないしな」
ルージュが結婚の素晴らしさを丁寧に説いてくれるが、俺にはそれらが一切魅力的に思えない。
サラリと否定すると、優しげだったルージュの顔から表情が抜け落ちた。
「……何度も交わした話題だけど不毛ね」
「まったくだな」
独身を愛するものと、既婚者が相容れるはずなどない。
どれだけ議論を重ねようとも結婚観の共有は不可能だった。
そういう話題は結婚観を同じくするものとする方が生産的だろう。
「こんなんだからジルクさんは結婚できないんですよ」
「勘違いするな。俺は結婚できないんじゃない、結婚しないんだ。そこをはき違えるな」
見合いや縁談の話はたくさんある。別にその気になれば結婚はできる。
だが、俺は独身でいることが好きだから敢えて結婚しないんだ。
トリスタンのような結婚できない男とは一緒にしないでもらいたい。
別に結婚になどまったく興味はないが、そのような烙印を押されるのは不愉快だ。
そのように俺が主張をすると、トリスタンとルージュが顔を見合わせて呆れた表情を浮かべた。
「高身長、高学歴、高収入、容姿も端麗。それだけに勿体ないわよね」
ため息交じりのルージュの言葉がやけに工房内に響いた。
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