独身貴族は和食の宴を開く
『転生貴族の万能開拓』書籍2巻が5月6日に発売です。よろしくお願いします。
「先に帰る」
手動と自動のコーヒーミルを八個ずつ作り終わると、俺は今日の作業を切り上げることにした。
「今日は随分と早いですね」
イスから立ち上がると、トリスタンが不思議そうに言う。
俺が退勤するのは基本的に薄暗くなった頃だ。
しかし、今日は夕暮れと呼ぶにもまだ早い時間帯。
「早く作ってみたい夕食があってな」
「……ひょっとして今日出てくるのが遅かったのは、それが理由かしら?」
つい浮かれてそのように話すと、ルージュがジトッとした視線を向けてくる。
ブレンド伯爵からの急なコーヒーミルの納品、結婚指輪製作のためのルーレン家とのやりとり、コーヒーミル販売への準備。
今、この工房で一番に忙しいのはそれらを担当しているルージュであるといえよう。
そんな中、工房長が呑気に午後から出勤して早上がりをしているのを見れば、皮肉を言いたくもなるだろう。
ここ最近は退勤時間が遅くなっていることも相まってかルージュは不機嫌だ。
まあ、それでも表立って文句を言われないのが工房長なのだが、従業員の溜まっている鬱憤くらいは晴らしておかないとな。
「そういえば、二人にお土産があった」
ルージュの視線から逃れるように俺はマジックバッグに手を入れて、清酒を二本取り出した。
「おっ! お酒ですか?」
「ふーん、お酒ねぇ……」
酒瓶を見たトリスタンが興味津々の様子を見せる。
ルージュも食いつくような視線も見せてはいるが、もう一押し欲しいといったところ。
不機嫌さを前に出していただけに、素直に棘を引っ込めにくいのだろう。
「ただの酒じゃない。これは清酒だ」
「それって極東で作られているお酒ってやつですか!? 聞いたことはありますけど、初めて見ました!」
「まだ国交が始まったばかりだって聞いたけど、もう店が入っていたのね……」
あり触れた酒ではなく、極東で作られたものだと説明してやるとトリスタンだけでなく、ルージュも目を剥いた。
「今日はどうしてもそれを受け取る必要があってな。ちなみに一見さんはお断りの店だからな。まだ一般的には広まっていない」
「そんな貴重なものをいいの? それなりに高い代物でしょ?」
希少価値を伝えると、ルージュが若干戸惑ったような反応を見せる。
「最近は二人に苦労させているからな。俺からの特別品だ」
「そういうことなら受け取らせてもらうわ。ありがとう、ジルク。旦那も喜ぶし、皆に自慢できるわ」
「うおお! ありがとうございます、ジルクさん!」
そのように言うと、戸惑い気味だった二人は素直に礼を言って受け取る。
トリスタンに渡したのが『黒松』で、ルージュに渡したのが『楽星』だ。
本当はホムラが見繕ってくれた料理用のものを渡してやろうと思ったが、初めて呑む清酒に嫌なイメージを持たれるのも嫌だしな。
名酒を渡したりはしないが、初心者にオススメの一品なので悪いものではないだろう。
「じゃあ、俺は帰る」
「ええ、お疲れさま!」
「戸締りはきっちりやっておきますね!」
デスクを片付けて出口に向かうと、清酒瓶を大事そうに抱えた二人が笑顔で見送ってくれる。
わかりやすい態度の変化に笑いそうになりながらも俺は扉をくぐった。
「従業員の士気を管理するのも上に立つ者の役目だからな」
いくら雇用関係を結んでいようと、働いているのは人だ。
そこには意思や感情がある。機械のように淡々と働き続けられるわけでもない。
この工房にいれば、給金以外にもメリットがあるのだと。頑張り続ければいい思いができる。そのように思わせなければ、従業員の心は離れてしまうからな。
甘やかすつもりはないが、経営するにはこのような飴も必要だ。それでコスト以上の働きをしてくれれば問題はない。
「さて、早く帰って夕食を作るか」
ホムラから貰った米や味噌、醤油がある。今日はそれらを使って和食を作るのだ。
久し振りの和食を想像し、俺は軽い足取りで帰路についた。
●
自宅に戻ってきた俺は、早速と夕食の準備にとりかかる。
作るのは和食であるが、そう難しい料理を作るつもりはない。米、味噌、醤油をシンプルに味わえるものを作るつもりだ。
「まずは米だ」
ホムラから分けてもらった米を適量ボウルに入れ、水を注ぐ。
この時、注意するべきことは米にできるだけ水を当てないようにすることだ。
お米に水を当ててしまうと、米に負荷がかかり割れてしまう原因となる。ふっくらと形のいいものを食べるためにも重要だ。
ボウルに直接水を当てるようにして水を入れていく。
一回目はぬかが多いので、できるだけ短時間で水を捨てる。
二回目の水を入れて、米を傷つけないように軽く洗う。
ジャリジャリと米を研ぐこの音が酷く懐かしい。
その感覚が心地良くていつまでもやりたくなるが、米の研ぎ過ぎは厳禁だ。
水には若干の白さが残っているが、これは米のうまみであるでんぷんなので捨てる必要はない。これで十分だ。
勿論、炊飯器なんて便利なものはないので土鍋で代用だ。
つけ汁ごとお米を移動させると、そのまま蓋をして火にかけた。
後は火加減を調整しながら炊き上げていくだけだ。
それが終わるとニンジン、大根、ネギ、豚肉をカットしていく。
それらを沸騰したお湯に入れ、それと同時に昆布からとっていた出汁も適量投入。
後は煮込んで出汁をつぎ足し、味噌をとくだけで豚汁の出来上がりだ。
本当は豆腐やワカメだけの単純な味噌汁で良かったが、豆腐がないので具だくさんの豚汁風にした。
土鍋の火加減を弱火から強火に変えると、冷蔵庫から卵を取り出す。
作るのは勿論、出汁巻き玉子だ。王都には玉子焼き用の四角いフライパンなんてものは売っていなかったので、鍛冶屋に頼んで作ってもらった一品だ。
ちょうどいい昆布出汁を再利用して、俺は瞬く間に出汁巻き玉子を作り上げていく。
「完璧な形だな」
出来上がった出汁巻き玉子は実に美しい形をしていた。
普段から作ることも多い故に、俺の出汁巻き玉子のクオリティは非常に高いだろう。
その辺の定食屋よりも美味い自信がある。
出汁巻き玉子が出来上がると、次は冷蔵庫にあったサバーナの開きをグリルに入れた。
グリルは通常の魔道コンロにはつけていない。俺の魔道コンロにだけある便利機能だ。
一般的な魔道コンロには売り出す際のコスト削減として削られているので、普及している魔道コンロにグリル機能は付いていない。
富裕層向けには付属したものを売ってもいいが、そこまでする義理もないので放置している。
父さんや母さんはこのことも知っているので、冷蔵庫の改良が落ち着いたら売り出すかもしれないな。
そんなことを考えながら豚汁に出汁をつぎ足し、そこに味噌をといていく。
鍋から立ち昇る出汁と味噌の香りが実に素晴らしい。
胃袋を刺激するような派手な香りではないがホッと落ち着かせてくれる。
味噌汁が出来上がると、土鍋のご飯も炊きあがったので火を止めて蒸らす。
サバーナも無事に焼き上がり、食卓には茶碗に盛り付けられた豚汁、出汁巻き玉子、サバーナの塩焼き、ホムラに貰ったきゅうりとカブのぬか漬けが並ぶ。
夕食として和食をいただくには十分なメニュー。
しかし、あくまでこれは定食であって、清酒で晩酌するには少し弱い。
なので、ご飯が蒸し上がる間に、キノコのおろし合え、根菜巻きベーコンをちゃちゃっと作ってしまう。これで清酒のお供も完璧だ。
土鍋のご飯が蒸しあがったので、よく混ぜて茶碗に盛り付ける。
茶碗にこんもりと積み上がった白米。それを最後にテーブルの上に乗せて、俺は席に着いた。
「いただきます」
前世でよく食べていたメニューが並んでいたので、前世の作法に則って手を合わせる。
まずは白米。箸でそれを持ち上げると、もくもくとした湯気が上がる。
真っ白な粒は、とても大きくきめ細やかだ。
その美しさに満足しながら口へと運ぶ。
ジルク=ルーレンとしての身体は米を食べるのは初めてだが、前世の記憶を持つ独楽場利徳からすれば慣れ親しんだもの。久し振りの故郷の味に魂が震える。
「……美味い」
ホッとため息を漏らすかのように出てくる感想。
噛めば噛むほど米の旨みが広がっていく。
甘みも強く、おかずなどなくともこれだけで食べ進められるくらいだ。
「おっと、あまりご飯ばかり食べていては勿体ないな」
気が付けば茶碗から半分のご飯が消えていた。多めに作っているとはいえ、このままではおかずにたどり着く前に無くなってしまう。それは勿体ない。
皿の上に並んでいる出汁巻き玉子に手を伸ばす。
玉子の甘みと出汁の旨みがよく効いている。
ちなみに俺は玉子焼きを甘くしない派だ。出汁や醤油を駆使して、玉子本来の旨みを活かす方が好みだ。砂糖たっぷりの玉子焼きなどという邪道は認めない。
一つ目を単体で味わい、二つ目はご飯と一緒にかき込む。
出汁巻き玉子と熱々のご飯が混ざり合う。
それぞれの旨みと甘みが混ざり合いながらも喧嘩することなく調和していく。
「やはりご飯は偉大だな」
出汁巻き玉子を食べてホッと息を吐くと、次にサバーナの塩焼きを口へ。
少し強いサバーナの塩気。しかし、すぐにご飯を掻き込むと、それを見事に包み込んでくれる。
口の中が塩気で強くなったところで、豚汁をすする。
味噌と出汁の味が口の中に広がる。
しっかりと煮込まれたニンジンや大根はとても軟らかく、味噌の味をしっかりと吸っていた。
そして、箸休めのぬか漬け。塩っけがありながらも瑞々しいこの味が堪らない。
出汁巻き玉子、サバーナの塩焼き、ご飯、豚汁、ぬか漬け……それぞれの連鎖が止まらない。
気が付けば俺は夢中になって箸を動かして、皿の上はすっかりと空っぽになっていた。
決して派手で豪華なメニューとはいえないが、二十八年ぶりの故郷飯は控えめにいっても最高だった。
そして、これが毎日のようにとはいかないが、頻繁に食べることが嬉しくて堪らない。
「さて、最後に軽い晩酌だな」
お腹がまあまあ膨れてきてはいるが、俺の宴はまだまだ終わりではない。
本日のメインともいえる、清酒が残っている。
「……どれにするべきか」
テーブルの上にはホムラの店で買った主な清酒は『十三代』『赤龍』『伝酒』『谷間』『島鍋』がずらりと並んでいる。
色や形の違う清酒瓶がここまで並んでいる姿は壮観だ。しかも、どれもが名酒。
こうして眺めているだけでも十分に満足だが、酒は味わってこそのものだ。
「十三代にするか」
その中で決め手になったのは前世で馴染みがあったものと似たもの。
俺が日本酒にはまるきっかけとなった酒だけに思い入れは強い。勿論、この十三代とは別物だろうが、それでも惹かれてしまう。
「こっちのグラスで注ぐか」
徳利やおちょこという選択肢もあるが、使ったことのない清酒用グラスに興味が湧いた。
飲み口の小さくて薄いグラスを丁寧にテーブルに乗せて、そこに『十三代』を注ぐ。
清酒グラスに並々と注がれた清酒。
透明なグラスの中に入っているので清酒の透き通る美しさが際立つ。
グラスを鼻に近付けてみると、芳醇な清酒の香りが立ち上る。
味覚だけでなく、視覚と嗅覚と幅広く楽しめる。ホムラが勧めるのも納得だな。
「……清酒グラスも悪くない」
しばらく香りを堪能すると、俺はグラスに口をつけてゆっくりとあおった。
「……ッ!」
米の旨みをしっかりと引き出した芳醇で深みのある味わいながらも、その中で主張するフルーティーな甘み。
穏やかな吟醸香をたたえながらも、まろやかな甘みが口の中に広がった。
前世で味わった『十四代』よりも若干キレは弱い気がするが非常に似ている。
全体的にバランスのとれた優秀な清酒だ。
「これは美味い」
フルーティーさを備えているが、決してくどくはない。スッキリと喉の奥を通っていく。
二口、三口と口をつけるが決して飽きることはない。
「やっぱり、当たりだな」
前世と似た銘柄を買って正解だった。自然と口の端が緩むのを感じる。
チビチビと清酒に口をつけながら、つまみとなるキノコのおろし合えを口に。
香り豊かなキノコには、醤油の少しかかった擦りおろされた大根。
どこか上品な味がするおつまみと一緒に清酒をぐびっとあおると最高だ。
根菜巻きベーコンの塩気とも非常にマッチしており、美味しい。
清酒をチビチビとやりながら、テーブルの上にある清酒たちを眺める。
『十三代』以外にも清酒は四種類ある。
清酒の味を比べるなどナンセンスかもしれないが、これに匹敵する味がまだ四種類も残っていると考えると笑みが止まらない。
ホムラの店を紹介してくれたエルシーには本当に感謝だ。
明日にでも炭酸水を樽で送っておこう。
なんて考えていると、グラスの中が空になっていることに気付いた。
「もう一杯呑むか」
しかし、動じる必要はない。俺にはたくさんの清酒がある。
まだまだ俺の宴は終わらず、夜遅くまで清酒を呑み続けるのであった。




