独身貴族と元独身貴族の宴
「腹が減ったな」
コーヒーの飲み終わり、一人で湖畔を散歩していると唐突に空腹感に見舞われた。
見上げれば既に太陽が中天を過ぎている。
湖畔の居心地があまりにも良すぎたせいで、昼食時を過ぎてしまっているようだ。
王都もこれくらい物静かならいいのにな。しかし、人が集まらなければ物は集まらず、建物が建つことはない。
のんびりとした暮らしやすさをとれば、生活レベルが下がる。
快適さをとれば、暮らしやすさが損なわれ心が磨り減る。
生活の便利さと暮らしやすさの釣り合いがしっかりとれればいいのにな。
家電製品が溢れて、ネットが繋がっていた前世ならともかく、この世界ではまだまだ難しそうな課題だ。
従って、このように過ごしやすい場所に赴いてバランスを取るしかないのだろう。
なんてことを考えながらテントに戻ると、俺は昼食の準備をする。
とはいっても、既に大まかな仕込みは家で終わらせてきている。
マジックバッグから取り出した大きな箱を開けると、そこにはローストチキンが入っていた。
「うおお、すげえな! 丸ごとじゃないか!」
食事の準備を始めると、ちゃっかりとやってくるエイト。
つい先ほどまで向かい側のテントに気配があったのにな。匂いを嗅ぎつけるのが早いやつだ。
「これ、ジルクが用意したのか?」
「ああ、昨日のうちにな」
「気合いが入ってるなぁ」
精肉店で買えば、内臓はしっかりと抜かれているし、臭みの処理もしてくれている。
俺がやったことといえば、きっちりと調味料で味付けをしたり、タレを作ってオーブンで焼いたくらいだ。丸ごとと言えば、面倒くさそうに思えるが実はそれほど手間ではない。
だが、エイトが言ったのはそういうことではない。今日の昼食のために用意した俺の熱意について感心しているのだろう。
「これをそのまま食べるのか?」
「いや、燻製して軽く風味をつける」
このまま食べても美味いだろうが、さらに一手間をかけていただくつもりだ。
「それは絶対に美味しいだろうな」
「で、お前はいつまでここにいるんだ?」
いつまでも傍にいるエイトに俺はじっとりとした視線を向ける。
「そうつれないこと言うなよ。一緒させてもらうために今日はいい食材を持ってきたんだ」
そう言って同じくマジックバッグに手を入れるエイト。
高ランク冒険者だけあって当たり前のようにマジックバッグを所持しているな。
「セルベロスのワインか!」
「いや、さすがにアレは毎回持てねえよ」
「なんだ」
またあのワインが呑めると思っていただけに期待外れだ。
「まあ、そう落胆するな。希少価値ではあれには劣るが、今回の食料もいいものだぞ」
そう言ってエイトが取り出したのは、いくつもの包みだ。
それを開けていくと次々と肉が姿を現す。
「オークキングの腹肉、スカイサーペントのヒレ肉」
「おお!」
豪華な魔物肉を前にさすがに俺も驚嘆の声を上げる。
オークキングの腹肉はたっぷりと脂が乗っているだけでなく、分厚くて柔らかさそうだ。
スカイサーペントの肉はやや薄ピンク色をしている。
にしても、どれも危険度Aに属される魔物だ。
確かにセルベロスのワインに比べれば劣るかもしれないが、これらも相当な希少品だ。
オークキングやスカイサーペントの肉は食べたことがなかった。
燻製にしたらどのような味になるのか非常に気になる。
「さすがにこれだけ豪華な肉を提供すれば、文句はないだろう?」
「ない」
得意げな顔をするエイトが少しだけ癪だったが、これだけ豪華な肉であれば許可する他はなかった。
「魔物肉は全部焼いて燻製にするか?」
「いくつかは塩焼きにしてくれ。素材そのものを味わいたい」
「わかった。じゃあ、焼いていくぜ」
そのように頼むと、エイトは小型の魔道コンロを取り出して、その上に鉄板を載せた。
「それは大人の鉄板……」
「おっ、その反応はジルクも使ってるな? オークキングの肉をこれで焼いたらどんな味になるか気になってな!」
大人の鉄板は『オークの肉をオークキングの味に』という売り文句が有名だ。
果たしてそれを使ってオークキングの肉を焼けば一体どうなってしまうのか。ワクワクが止まらないな。
エイトは鉄板の上に油を垂らすと、そこにオークキングの肉を載せていく。
静かな湖畔にジュウウウウという肉の焼ける音が響いた。
なんとも心地のいい音だろうか。
自分の作った魔道コンロで他人が肉を焼いている姿は、何とも不思議な感じだな。
エイトが次々と肉を焼いていく音をBGMに、俺は燻製の魔道具を用意してローストチキンを燻製する。
箱の中に入れて、チューブを差し込み、チップを燃やすと煙が噴射される。
香ばしい匂いを感じながらマジックバッグからキャベツを取り出し、手で千切っていく。
それを皿に盛り付けたらゴマを撒いて、特製のシソソースをさっと振りかければ完成だ。
いくらお酒と一緒に食べるとはいえ、全部肉だけでは口や胃がもたれるからな。
箸休めの一品を作り終えると、次は燻製料理にかかせないお酒だ。
マジックバッグからハイボールを作るのに必要な道具を出していく。
氷魔法でグラスを冷やし、その中に次々と氷魔法で作ったブロック氷を入れていく。
魔法が使えると、こうやって外でも酒を作りやすいので便利だ。
ウイスキーを適量注いでステア――かき混ぜる。ウイスキーは常温であるためにこの作業が大切だ。
ウイスキーを冷やすと、泡沫の酒杯を手に取る。
「『湧け』」
キーワードとなる言葉を紡ぐと、金色の酒杯に炭酸水が湧き出してくる。
氷に当たらないように炭酸水を注ぎ、マドラーで一回転混ぜて持ち上げれば出来上がりだ。
空きっ腹に酒はあまりよろしくないのだが、出来立ての酒を放置しておくのは失礼だ。
そんな言い訳を心の中でして出来立てのハイボールを煽る。
「ぷはぁ、美味い」
口の中で広がるウイスキーの苦みと炭酸が混じり合って爽やかだ。
「おいおい、なに先におっぱじめてんだよ!? もうすぐ焼き上がるから俺の分も頼むぜ!」
「しょうがないな」
先に酒の呑んでいるのを目ざとく確認したエイトが頼んでくるので、仕方なく作ってやることにする。
新しいグラスを取り出したら同じような手順でハイボールを作っていく。
「ほら、作ってやったぞ」
「おう! こっちもちょうどオークキングのステーキができたぞ!」
エイトのハイボールが完成すると、ちょうど肉も焼き上がったようだ。
エイトがまな板の上でステーキを切り分けていた。
銀色のナイフがスッと通り、分厚くて柔らかな肉から肉汁が溢れ出る。
「まずはそのままいただくか」
予定通り、オークキングの肉を味わう。
塩、胡椒で味付けがされているのでソースなどはいらない。
切り分けてもなおボリュームのある肉をそのまま一口で。
噛んだ瞬間に肉汁が口の中で弾ける。
まるで瑞々しい野菜を口にしたかのような大量の肉汁だ。口いっぱいに旨みが広がった。
味は豚系の味。脂はとろけるように甘いのにしつこさはなく、不思議とさっぱり。それにまったく臭みもなかった。
分厚いながらも歯を立てれば、スッと噛み切れる肉質。
「これがオークキングの味か!」
「そうだ! これが本物のオークキングの肉だ!」
俺が驚嘆の声を上げると、エイトが誇らしげに笑う。
オークの肉を大人の鉄板で焼いて、オークキングの味と楽しんでいたが実物はまるで違った。
勿論、オークの肉を鉄板で焼くのも美味しいが、オークキングの肉はそもそも旨さの次元が違う。
そもそもの肉質が違うのだから当然であるが、まさかここまでとは。
「なんて考察している場合じゃないな」
俺はすかさずハイボールを口にする。
クリーミーな脂身をハイボールがサッと流してくれる。ウイスキーの甘みとオークキングの旨みが組み合わさってまた美味い。
「これはいいな」
オークキングのステーキ、最高だ。ハイボールがお供にあれば、無限に食べることができそうだ。
「うん? この酒はウイスキーなのに泡立ってないか?」
ハイボールをチビチビと口にしていると、エイトがグラスを手にして訝しげな表情をする。
「泡立っているんじゃない。炭酸が入っているんだ」
「炭酸? まあ、よくわからないがウイスキーなら問題ない」
不思議に思いながらエイトはそのままハイボールを口にした。
すると、エイトがカッと目を見開いた。彼の後ろで雷が落ちるエフェクトが見えたような気がする。
「うおっ! なんだこりゃ! 口の中でシュワシュワッてしたぞ!」
「それが炭酸だ。ウイスキーと混ぜ合わせることで爽やかな味わいになる」
「舌がちょっとピリッてするけど美味いな! ロックでも水割りでもない、ウイスキーにこんな飲み方があるなんて知らなかった」
エイトは炭酸が平気なのか、ハイボールをすっかりと気に入った様子だ。
ぐびぐびと飲んであっという間にグラスを空にした。
「お代わりを頼む!」
「わかったから、スカイサーペントの肉も焼いてくれ」
「任せろ!」
俺はエイトの分のハイボールの用意を進める傍らにローストチキンの箱を開ける。
こちらもすっかりと燻されていい感じに仕上がっていた。
ローストチキンを取り出すと、今度はオークキングのステーキを箱の中に入れる。
塩胡椒だけで食べるのも美味かったが燻製するとどうなるか楽しみだ。
「なあ、ジルク。その炭酸っていうのはどこに売ってるんだ?」
スカイサーペントに肉を焼きながらエイトが尋ねてくる。
その瞳は酷く真剣でエイトも炭酸割りをすっかりと気に入ったのだろう。
酒好きとしては気に入った酒や飲み方があれば、手に入れたくなるものだ。
「さあな。俺の知っている限りじゃ売っている店はない」
「じゃあ、どうやって手に入れたんだ? エルシーの店でもそんなものは出てこないぞ?」
「俺の場合はそういう宝具を見つけただけだ。『湧け』」
実際に示してやるために目の前で宝具を使ってみせる。
「おおおお! そんな宝具があったのか! ジルク、売ってくれ!」
「拒否する」
「買った値段の倍払う!」
「いくら金を積まれようが売る気はない」
断固として拒否する姿勢を見せると、エイトは悔しそうに歯噛みする。
そして、そのタイミングでエイトの分のハイボールを渡してやる。
「ちくしょう、炭酸割りが美味え」
ごくりと飲んで複雑な表情を浮かべるエイト。
一方で泡沫の酒杯を持っている俺はご機嫌だ。優越感がとてつもないな。
「当然、飲み方はウイスキーだけにはとどまらない。カクテルやワインと合わせることもできるし、ジュースにだってしてもいい。暑い夏に冷たい炭酸をあおるのは最高だろうな」
「宝具が売れねえなら炭酸水だけを売ってくれ! それならいいだろう!?」
やはり買った当初の目論見通り、気に入る奴はそういう申し出をしてくるか。
湧き出した炭酸水は時間が経過するにつれて劣化していくが、俺と同じようにマジックバッグを持っているエイトなら問題はないか。
「オークキングの肉と交換で譲ってやろう」
「交渉成立だ!」
俺とエイトはグッと握手を酌み交わす。
元手になるのは少量の魔力だけだ。それでこのような取り引きができるのだから、三千万ソーロとは安すぎる買い物だな。
なんてことを考えながら燻製したローストチキンをナイフとフォークで食べやすいように解体。それぞれの足を切って、皿に盛り付ける。
そして、最後の仕上げとばかりにバーナーの魔道具で軽く表面を炙る。
こうすることで皮に焦げ目がついて香ばしさが増し、表面がパリッとした食感になるのだ。
「ローストチキンの燻製ができたぞ」
「こいつも美味そうだ!」
俺とエイトは出来上がったローストチキンを手で掴む。
ここはレストランでもなく、他に第三者がいるわけでもない。
ナイフやフォークは使わず、豪快に手で掴めばいい。
ふっくらとした鶏肉にかぶりつく。するりとしっとりした身が剥がれる。
表面をバーナーで炙ったからか表面はパリッとしていた。
中はしっとりとしており、燻製の香ばしい風味が付いている。
通常のローストチキンとは違った上品な旨みだ。
「……美味い」
「やっぱり燻すと美味しさが段違いだな」
互いにローストチキンを口にしながらしみじみと呟く。
エイトの持ってきたものに比べれば、あり触れたものであるが安定の美味しさがある。
ローストチキンを食べながら箸休めとしてキャベツを食べる。
シソソースとキャベツの瑞々しさが口の中をリセットしてくれた。
「そろそろスカイサーペントも良い感じだな」
エイトが鉄板の上に乗っている肉をまな板に移して、ナイフで切り分けてくれる。
綺麗なピンク色をしていたスカイサーペントの肉は、薄白ピンクになっていた。
まるで刺身のような鮮やかさだ。
切り分けてもらった身をフォークで刺して口に運ぶ。
すると、柔らかな見た目をしている割には意外と弾力がある。
噛みしめると肉本来の旨みがじわじわと染み出してくる。
「……思っていた味と違ったが、これも美味いな」
「スカイサーペントの肉は脂身が少ないからな。どっちかっていうと赤身肉に近い感じだ」
エイトの言う通り、赤身肉のようなさっぱりとした旨みのある味だ。
これはこれで悪くない。醤油やワサビといった調味料が非常に合いそうだが、前者については持ち合わせていないのが残念だ。
「オークキングのステーキも燻製できたか?」
「そろそろいけるだろう」
エイトに言われて、箱を開けると内部に閉じ込められていた煙がむわっと広がる。
中に鎮座しているオークキングもすっかり燻されたようで少し変色していた。
「この香ばしい匂いがたまらないな」
すっかりエイトは燻製にハマっているな。匂いを嗅いだエイトは恍惚とした表情を浮かべていた。
オークキングのステーキを取り出して、代わりにスカイサーペントの肉を入れる。
食べ終わる頃には、こちらも燻されているだろう。
「よし、オークキングの燻製ステーキの実食だ」
「待ってくれ、ジルク! 俺のハイボールがもうない!」
「後にしろ」
「いや、こんないい肉を前にして酒無しとか鬼だろ!」
「ったく、しょうがない奴だな」
エイトが切実な様子で懇願してくるので俺は仕方なくグラスを受け取ってハイボールを作り始める。
「まったく、お前は結婚したというのに行いが以前と変わらないな」
「当たり前だろ? 結婚しただけで性格が変わるわけないだろ」
俺がそんな風に呟くと、エイトが何を当たり前なことをと言った様子で笑う。
そんな当然の事実であるのに、どこかホッとしている自分がいて不思議だった。
結局、俺たちは日が沈む前まで、燻製肉とハイボールをチビチビとやり続けた。
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ありがとうございます。これからもジルクのおひとりさま道をよろしくお願いします。




