独身貴族は戸惑う
応接室から工房に戻ると、ルージュが招待状を手にしていた。どうやらエイトが帰りがけに渡したようだ。
「ルージュはエイトの結婚式に参列するのか?」
「そうよ。お世話になっている方だし、招待してくれたんだから祝ってあげないと! 招待状を持ってるってことは、ジルクも結婚式に参列するんでしょ?」
「……いや、俺は迷ってる」
「どうして? せっかく呼んでくれたのに?」
小首を傾げるルージュに俺は、さっきエイトとマリエラに語った結婚式に参列するべきではない理由を話してみる。
すると、ルージュの表情がみるみる内に歪み、深いため息を吐いた。
「呆れた。普段も相当捻くれているけど、今回もかなりの捻くれ具合ね」
「どういう意味だ?」
「二人がわざわざやってきて祝ってほしいって言ってるのよ? ジルクは二人のために参列して、祝いの言葉をかけてあげるだけで十分じゃない。ジルクにとっては納得できない気持ちかもしれないけど、それだけで主役である二人を喜ばせることができるんだから」
「そうですよ。別にジルクさんが微妙な気持ちになっても、あの二人が嬉しいんならそれでいいと思いますよ?」
身も蓋もないような酷い言い草だが確かに一理ある。
結婚式での主役は間違いなくエイトとマリエラだ。二人の祝いの場である以上、優先されるべきはあの二人の気持ち。
ルージュやトリスタンの言う通り、普通に参列して祝うだけで十分なのだろうな。
しかし、普段の言動や、染み付いた独身根性が俺の心を蝕む。
結婚に対して否定的な俺が、そんなところに行くべきではないと。
二人の招待に応えてやりたい気持ちとぶつかってモヤモヤする。
「……そうかもしれないな」
そのように言うと、こちらの気持ちを察してくれたのか二人は無言で仕事に戻った。
招待状を手にして自分のイスに戻ると、デスクの上には手動ミルと自動ミルが置かれていた。
「……ああ、ミルを売るのを忘れていた」
完成したミルをエイトに売ってやろうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。
今から追いかけても遅いし、俺はエイトがどこに住んでいるかも知らない。
湖やバーに行けば会える可能性はあるが、結婚式を控えたエイトが出歩いているかは怪しいところだ。結局のところ確実に会えるのは結婚式なのだろう。
相手の家すら知らない仲だというのに、結婚式に呼ぶというのもおかしな話だ。
「悪いが今日は先に帰る。お前たちもノルマをこなしたら適当に帰っていいぞ」
「ええ、わかったわ」
モヤモヤとした気分のまま仕事をして進みやしない。
ノルマもこなしている以上、工房に居座る必要はないだろう。こういう時は気分を切り替えるのが一番だ。
サッと手荷物を片付けた俺は工房を出て、家に帰ることにした。
●
「あっ」
仕事を切り上げてアパートに戻ると、エントランスでカタリナと鉢合わせた。
ヴァイオリンケースを背負っていることからコンサートか練習の帰りなのだろう。
とはいえ、特に親しく会話をする仲でもないので俺はスルーをして先に行く。
しかし、それはカタリナの腕に止められる。
「ちょうどいいところにいたわ。そろそろ次の曲を作っておきたいから付き合ってちょうだい」
「……今じゃなきゃダメか?」
「差し迫った用事がなければ、付き合ってくれる約束でしょ?」
それが音の箱庭を譲ってもらうための条件だ。彼女と取引きを結んだ以上、楽曲提供には協力する義務がある。
タイミングが実に悪いが、音の箱庭はそれ以上の価値があった。気分ではないからと断るのもよろしくない。
「わかった。荷物を置いてくるからいつもの喫茶店に行ってろ」
「わかったわ」
そのように答えると、カタリナは満足そうに微笑んで外に出て行った。
どうやらそのまま喫茶店に向かうつもりらしい。元気な奴だ。
自分の部屋に戻った俺は無駄な荷物を置いて、ロンデルの喫茶店へと向かった。
喫茶店にたどり着くと既に奥のイス席ではカタリナが座っていた。
カタリナはコーヒーに口をつけると、澄ました表情を苦そうなものにした。
テーブルの端にある瓶を開けて、角砂糖を一つ、二つと投入していく。
どうやらまだコーヒーをブラックで飲むことはできないらしい。
窓ガラス越しにいる俺に気付いたのか、カタリナが驚いたように肩を震わせる。
それから平静を装って早く入ってこいとばかりに手を動かした。
優雅さの欠片もない彼女の仕草に鼻を鳴らし、俺はいつものように喫茶店へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ、ジルクさん」
「コーヒーを頼む」
「かしこまりました」
いつものように手早くコーヒーを頼むと、俺はカタリナのいるテーブルに腰を下ろした。
「まだそのままでは飲めないようだな」
「外から女性を覗き見するだなんて趣味が悪いわよ」
さっきの出来事なんてなかったとばかりの表情。
「お前が視界に入る位置にいただけだ」
事実、意識を向けなくても自然と視界に入っていた。
外からの視線が気になるのであれば、窓側の席に座らなければいい。
「コーヒーです」
「ありがとう」
カタリナが不満そうな視線を向けてくる中、俺はロンデルが持ってきてくれたコーヒーををあおる。
「……前とはコクや香りが違うな」
「ジルクさんのミルを使って色々な味に挑戦しています。いかがでしょう?」
「これも悪くない」
「ありがとうございます」
そのように感想を述べると、ロンデルは嬉しそうに笑ってカウンターに戻った。
うむ、やはりロンデルが淹れてくれたコーヒーは一味違うな。
自分の作ったミルのお陰でコーヒーの味がまた広がった。苦労しながら作った甲斐があるというものだ。
「さて、そろそろ歌の提供をお願いしたいんだけど?」
カタリナは防音の魔道具を発生させながら言った。
俺たちを包むように魔力障壁が展開される。
「今日はどんな歌がいいんだ?」
前世の歌は数えきれないほどの数がある。その中でも俺が知っている歌は限られているが、それでも数は膨大だ。
ジャンルやイメージを言ってもらわないと、何を提供すればいいか迷ってしまう。
「そうね。恋愛系の歌がいいわ」
「……わかった」
どうして今日に限ってそんな注文なのか。
とはいえ、前世だろうと異世界だろうとそこに男女がいる限り、恋愛というものを切ることはできないだろう。
彼女が次なるヒットを狙って、市場価値の大きな場所を狙うのも当然か。
エイトやマリエラの結婚式を思い出してしまい、モヤモヤとした気分が膨れ上がるが、それとこれとは別だ。
カタリナが紙とペンを用意し、防音の魔道具を起動すると俺は記憶にある恋愛ソングを歌っていく。
「ちょっとストップ」
しばらく歌っていると歌の途中であるというのにカタリナが静止させてきた。
楽譜に起こすために歌の途中で静止をかけることがあるが、最初に歌を聴く時は必ず最後まで聴いていた。
それなのに途中で止めてきたカタリナを俺は訝しむ。
「……なんだ?」
「今日のあなたは変だわ」
「変とはどこがだ?」
「なんか全然楽しそうじゃないのよね」
「楽しそうと言われても、これは取引きであって遊びじゃないぞ?」
俺にとってこの作業は音の箱庭を手に入れるための、分割払いのようなものであると思っている。宝具を手に入れるための仕事であって、断じて遊びなどではない。
「それでも歌っている時のあなたはいつも楽しそうにしていた。きちんと曲の良さを伝えようという気持ちがあった。でも、今のあなたはどこか上の空で音程やリズムも外れてる気がする」
「……確かに雑念が入っていたのは事実だ。すまん」
「あなたに素直に謝られると気味が悪いわね」
「失礼だな」
「そう思われるだけのことをしてきた自覚を持ちなさい」
カタリナがそう言ってくるが、そのようなことを言われる覚えはまったくなかった。
騒音についてもその時に謝ったし、ストーカーやクレーム事件についても穏便に対処した方なのだが。
「なにか悩みでもあるなら言ってみなさいよ。解決できるかはわからないけど言うだけで楽になるものよ?」
「……お前こそ気味が悪いぞ。俺にそんな優しさをかけてなんのメリットがある?」
「あなたが万全の状態で歌ってくれないと私はいい曲を作れないわけ。そこをわかってくれるかしら?」
ドン引きの表情で尋ねると、カタリナがイラっとした表情をしながら答えた。
まあ、確かにカタリナの言うことも一理あるな。
カタリナからすれば死活問題だ。それを取り除いて仕事に集中したいと思うのも当然か。
この相談についてはトリスタンやルージュにもしたが、貴族の女性としての意見も気になる。
多角的な意見を聞くために、俺はカタリナに友人の結婚式について話してみることにした。
「いいんじゃない? 気持ちなんてなくたって? 私も友人から招待されてとりあえず参列はするけど、上手いこと先に結婚しやがって死ねって思ってるわ」
「それなのにどうして参列するんだ」
どこかほの暗い瞳を浮かべながら呟くカタリナに俺はドン引きだ。
そこまで暗い思念を抱いていながらどうして参列する気になるんだ。
「どれだけ心で憎く思おうとも友人の晴れ舞台だしね。素直に祝ってやりたいじゃない。あなたもその気持ちが心にあるからこそ悩んでいるんでしょ? だって、欠片も祝う気がなかったら悩んだりしないでしょうし」
「……そうかもしれないな」
前世でも友人の結婚式に呼ばれて形だけで行ったことがあるが、それはもう形だけであった。適当な挨拶をして、新郎新婦に出会えば祝福の言葉を贈る。
しかし、相手は普段の俺の言動を知っているだけに微妙な表情を浮かべていた。
参列した俺も招待を贈った者も誰も幸せにならない状態だった。
心から結婚に対して祝福していない奴が行っても、相手の迷惑になるだけ。
それを理解してからは、できるだけ結婚式の招待から逃げるようになった。
前世の友人のようなドライな関係であればいいが、エイトは違う。
この世界で俺と同じような思想を抱いてこの年齢まで独身者という貴重な奴だ。
出会った回数こそ少ないもののエイトと俺の趣味は非常に似通っている。自由を愛する独身者であるが故に、会話の距離感も非常に適度で心地よかった。
そんな彼が既婚者という別のレールに進んでしまうことに少しの悲しさを覚えるが、それが彼の選んだ幸せの道だというなら祝ってやりたい気持ちもある。
「まあ、上手く祝いの気持ちが伝えられないって言うんだったら、代わりに派手な贈り物でもすれば? そうすれば、あなたの微妙な気持ちも和らぐでしょ?」
「贈り物か……」
「言っとくけどお金はやめておきなさいよ?」
一番に思いついたのは金であるが故にドキリとした。
冷静に考えれば、エイトは高ランクの冒険者のようだから、そこまで金には困ってないだろう。
「だったら、何がいいと思う?」
「あなたには魔道具が作れるじゃない。二人が喜ぶ魔道具を作ればいいわ」
二人の結婚を祝うための魔道具か。そんなこと考えたこともなかった。
が、カタリナの言う通り、それが一番実用的で喜んでくれやすいか。
魔道具といえばパッと思いつくのは自動ミルだ。
しかし、結婚式の日にコーヒーミルを贈るというのもどうなのだろうな。
コーヒー好きなエイトは、心から喜んでくれるだろうがマリエラはそうでもない気がする。
それにあれはエイトと個人的に売買の約束をしているし、結婚式の祝い品として贈るのは違うな。
「そういえば、この世界にはまだアレがなかったな……」
頭の中で思い浮かんだのは前世の結婚式で必須とも言われていたアイテムだ。
それをこちらで作ってやればいい。
心の整理がつき、創作欲が出てきた俺は勢いよく立ち上がる。
「すまん、歌の提供はまた今度にしてくれ」
「仕方がないわね。今度はきっちりと頼むわよ」
ロンデルに二人分の会計を渡しておくと、俺は喫茶店を出て急いで家に帰ることにした。
挙式は一か月先だ。長いとも短いともいえる期間。
それまでに二人に似合ういいものを作らないとな。
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