独身貴族は自分へのご褒美を与える
なんてことのない趣味で作っていたコーヒーミルであるが、ブレンド家の当主が所望し、納品することになった。
ロンデルの想いもあってそれほど利益率の高い売り物ではないが、将来のことを考えると大きくプラスになる仕事だった。
それに個人的にコーヒーを一緒に楽しめる知己を得たのも良かった。アルバートがバリスタを育成するのであれば、俺も噛ませてもらおうと思っている。
今は自分で作ったり、ロンデルの喫茶店に通えばいいが、遠い将来はどうなるかわからないからな。
快適な環境を用意できたら隠居して、屋敷でバリスタを雇うくらいはしたいものだ。
「今日はもう帰る。お前たちも適当なところで帰っていいぞ」
お昼の中頃。今日のやっておくべきノルマを既に達成していた俺は、早めに帰ることにした。
ここ最近はミルの改良や納品作業があって忙しかったからな。
普段の業務とは別の業務を組み込んでしまい、ルージュとトリスタンに普段よりも大きな労力をかけてしまったからな。
適度なところで力を抜くのが大事だ。
「あら、本当? それは助かるわ。実は家族で外食の予定があったから」
そのように告げると一番嬉しそうにするのはルージュだ。
彼女は既婚者なので家事や子育てといった。独身者に比べると多忙な生活を送っている。
ルージュに対しては単なる給料の増額よりも、こういった時間の配慮をしてやる方が喜ばれる。
「いいですね。俺は一人暮らしなので特にやることがありませんよ」
それとは反対にこういった時間を与えると困るのが、こっちの部下だ。
「一人暮らしだからといってやることがないのはおかしいだろ?」
「じゃあ、ジルクさんは普段なにをしてるんです?」
「王都の外に出て、リフレッシュしている。自然の中でコーヒーを飲みながら読書をするのはいいぞ。他にもお気に入りの喫茶店やバーに通ったり、家で美味しい料理を作ったりしているな」
他にもバーで味わったお酒を家で再現してみたり、美味しいレストランを探したり。魔道具に必要な採取をやってみたり。一人だろうとやることは無限大にある。
俺がそのように有意義な過ごし方を説明してやるも、トリスタンは哀れなものを見るような視線を向けて一言。
「…………一人でそれをするって寂しくないですか?」
「一人でやるのがいいんだろうが」
今、述べたことは一人でやるからこそいいものだ。逆に大人数でやってみろ。自由に自分の気の向くままに追求できる趣味が全て台無しになる。
大体、一人での過ごし方を聞いておきながら寂しいとはなんだ。
「ジルクさんが特殊過ぎてぜんぜん参考にならないです……」
「それは一理あるかもだけど、トリスタンもジルクのように夢中になれる趣味を見つけられるといいわね。それじゃあ、あたしはこれで! お疲れさま!」
ルージュはトリスタンを軽くだけフォローすると、さっさとデスクを片付けて工房を出ていった。
いつもならもう少し親身になって聞いてくれただろうが、今日は家族との予定が優先されたせいで若干ドライだったな。
●
トリスタンに戸締りを任せた俺は、工房を出て中央区画にある市場に顔を出す。
今日早上がりしたのは身体を休めるためだけではない。
結果的に大きな仕事をこなした自分へご褒美を与えるためだ。
仕事自体は苦でなかったものの、伯爵家に赴いて説明をして納品をするのは俺に少なからずストレスを与えていた。だからこそ、それを乗り越えた自分を甘やかしてやるのだ。
肩の荷が下りてスッキリとした状態で食べる飯は美味いからな。
そんなわけで俺は夕食を豪勢にするべく、市場を練り歩いている。
数多の食材が集まる中央広場はとても賑わっている。
俺のような仕事終わりにフラッと立ち寄った人間や、魚屋の前で真剣に悩んでいる猫獣人の女性、家族で買い物を楽しんでいるエルフの家族など。数多の種族が今日の夕食を彩るために市場に足を運んでいる。
そんな客たちの意識を引き寄せようと、それぞれのお店からはひっきりなしに威勢のいい声が響いていた。
大型冷蔵庫のケース内では冷凍された鮮魚が並べられている。水槽の中にはレッドシュリンプや鋼蟹やドラ貝といった甲殻系の生き物やら貝類が入っている。
「……海鮮系にするのも悪くないな」
白身魚を塩焼きにして食べるのもいいし、タレを絡めて照り焼きのようにしてもいい。それぞれの食材で出汁をとって海鮮スープにするのもアリだな。
とはいえ、市場は広い上に時間はたっぷりとある。そう急いで決める必要もない。
他の店を眺めながらゆっくりと吟味すればいい。
「んん? あれはエイトとマリエラか?」
市場を歩いていると、見覚えのある男女が歩いているのに気が付いた。
前回会った時から一か月程度が過ぎているが、二人して並んで歩いている姿は実に仲が良さげだ。
あの時はマリエラが詰めて、エイトが困っているような微妙な雰囲気があったが、今見えた限りではとても落ち着いた様子だった。互いに自然体で市場を歩いているように見える。
エイトに好意を寄せているマリエラにアドバイスをしてみたが、素直にそれを実践したのだろうか。
「ドラゴンの肉はどうだい! さっき入荷したばかりだよっ!」
「ドラゴンの肉だと!?」
通り過ぎた二人を見てそんなことを考えていたが、不意に聞こえてきた威勢のいい声に一気に持っていかれた。
ドラゴン。それはこの世界に存在する魔物の上位種だ。
Aランク冒険者のパーティーでようやく仕留めることのできる怪物であり、滅多にその肉が市場に出てくることはない。
どこかの有名なパーティーが仕留めたのだろうか?
とにかくボーっとしている暇はない、本当に売っているのか確かめなければ。
急いで声の方向に向かうと、横に長い冷蔵庫を並べている精肉店があった。
冷蔵庫の中にあるケースを見てみると、デカデカとした肉が鎮座している。
楕円形をしており表皮には赤い皮がついている。さすがに鱗は食べるのに邪魔だし、歴とした素材になるので付いてはいないよう。
中央には丸い骨がついており、それを覆うように赤身の強い肉が覆っている。
紅牛やオークの肉とは違い、存在感が桁違いの肉。これはドラゴンの肉に間違いない。
「店主、ドラゴンの肉の部位はどこだ?」
「尻尾です。ドラゴンがよく動かす部位だけあって身がとっても引き締まっていて美味しいですよ」
「それは指よりも美味しいか?」
「ええ、指の肉とは比べ物にならない美味しさですよ」
ドラゴンの肉は子供の頃、誕生日に食べさせてもらったことがある。
その時は指の肉だったが、他の牛や豚、鶏といった動物や、オークといった魔物の肉とも違った印象的な味だった。
指でさえ、そうだったというのにそれよりも上となる尻尾となるとどれほどなのか想像がつかない。だが、既に俺の心の中は決まっていた。
今日の夕食のドラゴン肉のステーキだと。
値段をチラリと見てみると、百グラムで五万ソーロと書いてある。
ドラゴン肉は高級品だ。それ故に物珍しさに集まっている客も眺めはするが、買うことは少ない。
しかし、この程度は宝具に比べると安いものだ。
独身貴族であるが故に、お金の使い道は自由。子供の頃は祝い事でしか食べることができなかったが、今の俺であればいつでも食べることができるのだ。
「店主、ドラゴンの肉を六百グラムほどくれ」
「ありがとうございます!」
俺が即座に買うことを決めると、店主が深く頭を下げる。
遠巻きに眺めていた客たちの羨望の眼差しが少し心地いい。
大体一人前は二百グラム程度であるが、せっかく出会えた貴重な部位だ。
たった一回で終えてしまうには勿体ない。塩胡椒で食べたり、ガーリックソースで味付けをしたり、煮込み料理にしてみたりと幅広く楽しみたいしな。
これだけあれば数日は楽しむことができるぞ。
「お会計は三十万ソーロになります」
先払いシステムなようなので、提示された値段を支払う。
たった数回の食費でトリスタンの月給を越えてしまったな。
支払いを終えると店主がテキパキとした動きでドラゴンの肉を切り分けていく。
生きているうちは鋼鉄のような硬度を誇る鱗のせいで、生半可な刃は通らないみたいだが、死亡して鱗が無くなってしまうと別なのだろうな。
「お客様は気持ちのいい買い方をされますね。今日は奥さん、あるいはお子さんの誕生日ですかい?」
客を待たせる間のちょっとした繋ぎとして選んだ話題だったのだろう。店主がそのようなことを言ってくる。
「いや、俺は結婚なんかしていない」
「では、誰かの誕生日とか?」
「違うな。自分へのご褒美として一人で食べるんだ」
「…………」
そう告げると店主の表情が微妙なものとなる。
心なしか周囲で眺めていた客たちは哀れな者を見るような視線に変わる。
さっきまでは羨望の眼差しをしていたというのに笑えるほどの変わり様だ。
確かにドラゴンの肉は祝い事として食べる習慣があるが、別にそうじゃない日は食べていけないなどという決まりはない。
一人で食べるなんて可哀想などという見え透いた視線が気に入らず、俺は敢えて堂々と言った。
「一人で食べるのは悪いことか?」
「い、いえ、とんでもございません。お買い上げありがとうございました!」
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