独身貴族と独身奏者の取引き
「では、扉に張り付いていたのはクレームをつけにきたのでも、俺への嫌がらせでもないんだな?」
「ええ、それについては無関係よ」
カタリナは俺の工房にクレームを送り付けていた本人であるが、どうやら今回の奇行とはまったくの無関係のようだ。
それもそうか。最初から部屋が隣だと知っていれば、直接文句を言いにきたり、ポストに要望書を直接投げ入れるなどの手段があるだろうしな。
とりあえず、カタリナの釈明を聞いた俺は、魔道具についてのクレームとは切り離すことにした。
となると、気になるのがクレームが理由ではないとしたら、どういった理由で扉に張り付いていたのかなのだが……
「お待たせいたしました、コーヒーです。お好みで砂糖とミルクもどうぞ」
そのように考えているとロンデルがコーヒーを持ってきた。
俺たちの目の前にそれぞれコーヒーが置かれる。砂糖の入った小さな壺や、ミルクカップがあるのは初心者であるカタリナでも飲みやすいようにとの配慮だろう。
問いただしたいところであるが、まずはコーヒーを飲んでからだな。
「いい香りね。こんなに黒い飲み物は初めてだわ」
コーヒーの色合いがとても気になるらしくカタリナは興味深そうに視線を眺めている。
俺は砂糖もミルクも入れずに、そのままカップを口へと運ぶ。
口の中に広がるコーヒーの苦みとほんの少しの酸味。まろやかなコクがしっかり出ており、なんとも落ち着く味だ。
俺が飲んでいる姿を見て、カタリナがおそるおそるとカップを口にする。
「にがっ……」
形のいい眉を歪めながらぼそりと呟くカタリナ。
「こういう飲み物は慣れているんじゃなかったのか?」
「そうだけど、この味は予想外よ……」
そのような泣き言を漏らしながらもう一度口をつけるカタリナ。
しかし、すぐに表情を歪めてカップのソーサーに置いてしまう。
だから、普通の飲み物にしておけといったものの。
「苦ければミルクを入れてみるといい。そうすれば、大分飲みやすくなる」
「それじゃあ遠慮なく」
そのようにアドバイスをするとカタリナはミルクカップを傾けて、コーヒーに注いでいく。
「…………なんだか色がすごいことになったわね」
「それでも飲みやすくなったはずだ」
どんよりとした茶色い水面を見てカタリナが怖気づくが、俺は有無を言わせずに飲ませる。
注意されたものの、それでも飲みたいと言っておいて二口で残すなんて失礼だ。
強い視線を飛ばすとカタリナはゆっくりとカップに口をつける。
「あら、おいしい。これなら私でも飲めるわ」
ぱっちりと目を見開いて表情を緩めるカタリナ。
コーヒーというより既にカフェオレなのであるが、カタリナは気に入ったように何度も口をつけて表情を柔らかくしていた。
これならコーヒーを残すこともないだろう。
「さて、クレームが目的でないとしたら扉に張り付いていたわけを教えてもらおうか」
「そうね。少し長くなるけどいいかしら?」
「手短に頼む」
「……できるだけ努力するわ」
●
「――というわけなのよ」
「まさか俺の歌っていた歌をアレンジしていたとは……」
カタリナの説明を聞き終えた俺は呆れたようにため息をついた。
道理で歌劇場で聴いた曲が前世のお気に入りの曲と似ているわけだ。
それを元にしてアレンジしたのだ。似ていないはずがなかった。
「その曲が人気になってしまい、それでもう一曲作ってくれるように言われたと?」
「ええ」
「それで今日俺が歌ったのを耳にして、鮮明に聞き取ろうと張り付いていたんだな?」
「……そうなります」
徐々に身を縮めるようにしながら力なく頷くカタリナ。
まさかご機嫌になった歌を隣に住んでいる女が聴いているとは思いもしなかった。
「カタリナはストーカーじゃなく、盗聴魔だったか」
「言っとくけど、いつもはあんなことしなくても聞こえるくらいの騒音だったんだからね。大声で歌うなら防音の魔道具くらい使っておきなさいよ」
「む、そっちの部屋にまで聞こえていたのか。それは悪かった。とはいえ、勝手に人の部屋の扉に張り付いていたのは別だ。誤魔化せんぞ」
「それについて本当にごめんなさい」
ぺこりと素直に頭を下げて謝るカタリナ。
「まあいい」
「え? 許してくれるの?」
「こっちも日ごろの歌声で迷惑をかけていたようだしな。それでお相子だ。ただ、そっちも同じことは二度とするなよ?」
勝手に人の歌を盗聴されたと聞いた時には不快感を覚えていたが、日ごろは俺の歌声のせいで迷惑をかけていたわけだしな。これ以上、強く咎めることもできない。
「それは構わないけど、あなたの歌をアレンジして勝手に曲にしたのよ? もっと怒らないの?」
「別に俺は音楽家でもないし、俺が作った歌でもないしな」
今世とはまったく交わることのない前世の歌だ。それを聞いて曲にしようがこちらが不快感を覚えることはない。
カタリナも悪意を持っていたわけでもないのだ。
ここで大ごとにして管理人やマクレール家に睨まれるのも避けたい。ここは穏便に水に流して、互いに日常に戻るのが一番だろう。
扉に張り付かれていた謎も解けたし、互いに謝罪も済んだ。これ以上は話し合うことはない。
「じゃあ、俺は帰る」
「待って!」
そう思って立ち上がったのだがカタリナが裾を引っ張ってくる。
「なんだ?」
「あなたの歌は聞いたことがなかったけど、どこの歌なの?」
なんとも困る質問だ。前世で聴いたことのある曲だ、なんて言っても信じてもらえないだろうな。
「さあな。ただこの国にはない歌なのは確かだ。多分、俺以外に誰も知らないだろうな」
変に探し回られても面倒なので曖昧な返事をしておく。こうしておけば、歌を調査しようなどとは思わないだろう。
「つまり、あなた以外誰も知らない失われた歌ってことね? あんなに素晴らしい歌を喪失させたら勿体ないわ。私に引き継がせて!」
そう思っての返事だが、それは裏目に出てしまった。
どこかの地方や民族の歌だとでも思われているのか? そのような歴史的に価値のあるような立派な歌ではないのだが。
「興味がない。他を当たってくれ」
「そこをなんとか!」
「こら、離せ!」
「あなたが頷くまで離さない! 私のこれからの道がかかっているんだから!」
「それは自分の撒いた種だろう。それくらい自分で何とかしろ」
カタリナの災難ともいえる出来事には同情こそするが、素直に協力してやる義理はない。
「だったら取引きよ!」
感情的になったかと思えば急に冷静な取引きを持ちかけてきた。
このまま無視して帰ってもいいが、カタリナは隣に住んでいる。またこの話を持ち掛けられて平穏を乱されては堪ったものではない。
そう考えて俺はひとまず席につく。
「あなたが歌を提供し、私が曲として編曲する。一曲の提供料として三十万ソーロ。そして、曲の売り上げの四割を譲渡するわ」
「曲なんて曖昧なものの正確な売り上げなんてわかるのか? 大体、その程度の金であれば魔道具でいくらでも賄える」
前世のようにCDやネットでのダウンロードなどというわかりやすい指標があれば、悪くはない条件ではあるが、この世界ではそのようなわかりやすい仕組みではないだろう。
カタリナが楽団を仕切っている立場や、運営をしている立場であれば説得力もあるが、ただの奏者にそこまで詳細な把握ができるとは思えない。恐らくさっ引かれてカタリナに入ってくる分の四割だろう。それではたかが知れた額というものだ。
こちらには魔道具という非常にシンプルで太い収入源があるのだ。面倒なはした金に手を出すようなメリットはない。
「くっ、そうだったわね。あなたは売れっ子魔道具師だものね。だったら、何を望むというのよ?」
どこか悔しそうに言うカタリナ。
そのようにハッキリと言われると、頭の中で思い浮かぶのは一つくらいだな。
「宝具だな。何か珍しい宝具を持っていたりするか? お前が持っていなければ、マクレール家のものでもいい」
「宝具? それなら一つ持ってるけど……」
「どんなものだ?」
まさかカタリナが持っているとは思っておらず、前のめりになる。
「【音の箱庭】っていう宝具で、長さにもよるけど五つくらいの曲を保存して、いつでも聴くことができるわ」
それはつまり、前世でいう録音機能付き音楽プレイヤーのようなものじゃないか。
その宝具があれば、保存した曲をいつでも家で聴くことができる。
そんな素晴らしい宝具をカタリナが持っているとは思わなかった。
「それでいい! それをくれ!」
「ええええええ! でも、これすごく高かったのよ!?」
「提供できる曲ならいくらでもある。一曲といわず、十や百でも提供してやろう。それでも不安だというのなら、それなりの金額で買い取る」
それだけの機能がある宝具であれば、少なくても三千万ソーロ以上はするだろう。下手をすると五千万、六千万ソーロ以上の値段がついてもおかしくはない。
「ど、どれだけ宝具が好きなのよ……」
俺の熱意を目にしてカタリナがどこか引いた表情になるが、気にはしない。
「俺は宝具コレクターだからな。それで、どうなんだ?」
「ええええ、私だって好きな曲を入れて家で聴くときもあるし、音の箱庭を譲るのは……」
「じゃあ、この話はなしだ。次の新曲もいいのが書けるといいな」
「ああー! 待って! 音の箱庭を譲るから! 譲るから手伝って!」
取引きは決裂とばかりに立ち上がると、カタリナが涙目になって頷いた。
こうして俺は前世の歌をいくつか提供する代わりに、カタリナから音の箱庭という最高の宝具を手に入れるのであった。
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