独身貴族と独身奏者は邂逅する
今日も唐揚げとハイボールで豪勢な夕食にすることを決めていた俺は、気分良く歌を歌いながら料理の準備を進める。
「しまった。ショウガがない……」
しかし、唐揚げの下味に必須ともいえるショウガが冷蔵庫にないことに気付いた。
どうする。ショウガの下味をつけずに唐揚げを作ってしまうか?
「いや、ないな。下味にショウガは必須だ」
タップリのソースとニンニクによる下味。それだけでは味が濃すぎる。
そこにさっぱりとしたショウガの風味が加わることで唐揚げは完成するんだ。
ショウガ無しの唐揚げはあり得ない。
まだ時刻は夕方だ。市場や店だって空いている。面倒だが今から買いに行くしかないな。
仕方なく俺は薄手のジャケットと財布を手にして外に出る。
「きゃっ!?」
扉を開けるなり何かにゴツンと当たったような衝撃と、女の短い悲鳴が上がる。
最小限の扉の隙間から顔を出すと、金髪の髪をした女が廊下で尻もちを突いていた。
扉が当たった額は赤くなっており、両足がはしたなく広がっている。
女は額を擦ってうめき声を上げていたが、すぐに自らの状況を把握して立ち上がった。
そして俺の姿を一目見るなり呆けたような表情になる。
まったく知らない女だが、どこかで見たことがあるのは気のせいだろうか?
記憶を手繰り寄せてみるが思い出せはしない。
「ちょっと急に扉を開けないでくれる?」
俺が記憶の海に沈んでいる中、女はこちらを見据えながら惚けたことを言ってくる。
「そういう台詞は通行人らしい行いをしてから言え。どこの誰かは知らんが明らかに俺の部屋の扉に張り付いていただろう?」
俺が勢いよく扉を開けたせいで廊下を歩いていた女が、驚いて転んでしまったというのなら理解できるし驚きもしない。
俺も素直に自らの非を謝罪して、尻もちをついてしまった女性に手を伸ばしただろう。
しかし、この女は明らかに扉に張り付いていたと言われるような距離にいた。
そもそも俺は勢いよく扉を開けたわけではないし、この女にぶつかった時であろう距離感は扉に密着していたと言われなければ納得できないようなものだった。
「そ、そんなことはないわ」
「嘘をつくようであれば管理人、あるいは衛兵に通報するぞ? ストーカー女め」
「す、ストーカーなんてしていないわ!」
俺が軽蔑の眼差しを向けながら言うと、女は動揺を露わにして否定した。
これが脂の乗った中年オヤジと若い女であれば、通報したところで信じられないかもしれないが、今の状況は違う。
トリスタンや家族にも言われるように俺の見た目はそこまで悪い方ではない。
事実、貴族の社交界などに顔を出して、どこぞの令嬢にストーカーをされたりすることもいくつかあった。
そういう事例をアパートの管理人やこの街の衛兵は前例として知っている。自意識過剰だといって無下に扱われることはないだろう。
「じゃあ、そこで何をしていたんだ? 通行人だというのなら控えめに開けた扉が当たるはずないぞ?」
「そ、それは……」
俺が問い詰めると女は言葉に詰まったような顔をする。
何を考えているのかは知らないが、自分の部屋の扉に張り付いているようなストーカー女だ。容赦はしない。
ここは外の人間関係の一切を遮断された聖域だ。そこを邪魔するものは容赦なく排除する。
「ああ、もう! ごめんなさい! ちゃんと理由を話すから通報は勘弁して!」
温情の欠片もない視線で女を見つめ続けると、やがて観念したように女は言った。
ほう、俺の家の扉に張り付いてストーカーしていた理由があるというのか。
またもや苦し紛れの言い訳かと思ったが、今度はそうとは違うようだ。
勝手に好きになってきて迫りくる令嬢のような情欲の眼差しは、この女には一切ない。
今までの事例とは違った事情とやらがあるようだ。これからの平穏な生活を続けるためにもしっかりと聞いておきたいな。
「わかった。話を聞いてやろう」
「えっと、どこで話す? 私の部屋は隣だけど入れるわけにもいかないし、あなたの部屋に入るってのも……」
「……お前、隣に住んでいるのか」
こんなストーカー女が隣に住んでいたとは驚きだ。
「互いの部屋に上がるのは論外だ。落ち着ける場所に移動するぞ」
「そ、そうね」
女の部屋に入り込むのも、俺の部屋に女を入れるのもあり得ない。かといってエントランスで込み入った話をして、他の住人に聞かれるのも問題だ。
俺が毅然として歩き出すと、女は安心したように付いてきた。
……本当にこの女はなんなんだろうな。
●
「仕方がない。ここにするか……」
夕食時ということもあってかアパートの近くにある喫茶店や中央区の喫茶店は客で賑わっており、ゆっくりと会話することも難しそうであった。
結果として俺はアパートから少し離れたところに位置するロンデルの喫茶店へとやってきたのであ
る。
最近見つけた自慢の隠れ家的な場所であったので、他人を連れてくるのは嫌であったが、ここ以外に落ち着いて話をできる場所は思いつかなかった。
窓の外から店内の様子を伺うとマスターがコーヒー豆を挽いている姿が見えた。
どうやらお店には客はいないようである。
お店にとってはよろしくないことであるが、込み入った話をする俺たちからすれば嬉しかった。
「……いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
扉を開いて中に入ると、マスターであるロンデルが穏やかな声をかけてくれる。
今日は後ろに女を連れているとあってか、必要以上の言葉はかけないようにしたようだ。
そういった配慮がありがたい。
店内には魔道ランプがついており、暖かな光によって店内に設置されているアンティーク品の数々が浮かび上がるように見えていた。
午前中の爽やかな空間とは打って変わって、夜の静かな情景といった模様だ。
これはこれでとてもいい。俺たちは奥にあるイス席に向かう。
「へえ、素敵な喫茶店ね。こんなところにあるだなんて知らなかったわ」
対面に腰を下ろした女が、店内を物珍しそうな様子で見渡す。
傍に余計な女がいなければ上質な時間を過ごすことができただろうな。それが酷く残念でならなかった。次は絶対に一人でこよう。
「飲み物は決めたか?」
「まだよ。どれにしようかしら?」
目の前の女はメニューを眺めているが、すぐに決める様子はない。
初めての喫茶店にやってきてメニューを隅々まで見たいのか、ただ単に優柔不断なだけなのか。どちらにせよ、このような状況でゆっくりとメニューを選べるくらいなので図太いのだろうな。
「マスター、コーヒーを一つ頼む」
「かしこまりました」
中々注文しないのでとりあえず、先に自分の注文を通しておく。
「コーヒー? そんな飲み物ある?」
「メニューには載っていない、特別なメニューだ」
「なにそれ? だったら、私もそれがいいわ」
「コーヒーというのは苦みの強い複雑な味をした飲み物だ。初見でいきなり頼むのはオススメしないぞ?」
「紅茶みたいなものでしょ? 大丈夫、そういったものも慣れているから。私もコーヒーでお願い」
この女、明らかにわかっていない。
しかし、懇切丁寧に説明してやるのも面倒だ。
「かしこまりました。では、コーヒーを二つで」
心配そうな視線を向けてくるマスターに頷いてやると、注文は無事に通った。
それを聞いて満足そうな表情でメニューを端に置く女。
一つの動作の仕草には優雅さが混じっており、ただの女というわけではなさそうだ。
そもそもあのアパートの家賃が高い上に、安全性も高いせいか審査も厳重だ。
金があるからといって誰でも住むことができるものではない。
自らの収入がそれなり以上あるだけでなく、家柄もいいのだろうな。
「飲み物がくる前に自己紹介をしておかない?」
「ああ、そうだな」
「私はカタリナ=マクレール。マクレール家の次女で、王都にある管弦楽団でヴァイオリンをやっているわ」
「うん? 管弦楽団のヴァイオリン奏者?」
カタリナと名乗る女からそのように言われて、俺は記憶にあったほつれた糸が解けるのを感じた。
「そうか。どこかで見たことがあると思ったら、歌劇場でヴァイオリンを演奏していた女か」
「あら、私たちのコンサートを観に来てくれたことがあったの? それは嬉しいわね」
歌劇場で見たことを告げると、どこか嬉しそうな顔をするカタリナ。
道理で見たことがあるはずだ。まさかあの楽団の一員だったとは。
「それであなたは?」
「……ストーカーをしていた癖に知らないのか?」
「だから、あれはやむを得ない理由があっただけでストーカーをしていたわけじゃないから」
俺がそのように突っ込むと、カタリナは苦しそうな表情で弁明する。
まあ、確かにマクレール家の次女が知りもしない相手を付け回すはずもないか。
それでも怪しさは残るがひとまず、ここは放っておくことにしよう。
「俺はジルク=ルーレンだ。王都で魔道具師をしている」
「あなたがジルク=ルーレン!?」
俺が名乗りを上げると、カタリナがガタリとイスを鳴らして前のめりになる。
「俺のことを知っているのか?」
「ええ、知っているわよ! いつも私が要望書を送っているのに、全然魔道具を改善してくれない偏屈な魔道具師ね!」
「さてはお前……クレーマーのカタリナだな? 遂に俺の工房にクレームを入れるだけでは飽き足らず、家にまでクレームをぶつけるようになったのか!」
カタリナという名前と要望書で結びついた。
間違いなくこいつはクレーマーのカタリナだ。
そう考えると、今回俺の部屋の扉に張り付いていたのも納得できる。
この女はストーカーではなく、粘着質のクレーマーだ。
「誰がクレーマーよ! あなたがジルクだと知ったのは今初めてで、それとこれとは話が別だから! ああ、もうややこしい!」
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