独身貴族はコーヒーを楽しむ
「マスター、モーニングセットでコーヒーを飲ませてもらうことは可能か?」
「勿論です。すぐに準備いたしますね」
メニューにはなかったコーヒーだが、マスターは快く受け入れてくれた。
注文が済んだがこのままイス席に戻るのも面白くない。
それにマスターがどのようにコーヒーを作るか気になったので、俺はこのままカウンター席に居座ることにした。
マスターがハンドルを回すとゴリゴリ、ガリガリという粉砕音が店内に響く。
やがて豆の粉砕が終わると、マスターは奇妙な道具を取り出した。
専用台に取り付けてある球状のフラスコ。下には加熱するためにランプが置けるようになっている。
その上にはフラスコに差し込めるようにビーカーの底面から細い筒のようなものがある。恐らく、ロートだろう。
ガラス製のこれらは錬金術師であるルードヴィッヒが使うようなものばかり。
多分、それらをコーヒー用に改造したのだろうな。
マスターは魔道コンロからケトルを手にすると、沸騰したお湯をフラスコに注ぐ。
それから乾いた布でフラスコをケアすると、土台の下に加熱用ランプを設置して点火した。
ロートの中に布でできたフィルターを入れ、粉末となったコーヒー豆をロートに入れる。
お湯が沸騰するのを待つと、フラスコ口にロートから伸びた筒を差し込んだ。
フラスコ内のお湯が上昇し、ロートの中へと移動する。
それらはただの水蒸気による現象だが、スススーッと上昇していく様子を眺めるのは少し楽しい。
ロートの中に上昇したお湯をマスターが木匙で混ぜる。
数回混ぜてお湯と粉末をなじませ、火を緩めながらもまた数回混ぜる。
やがてマスターはランプの火を消すと、ロートで抽出されたコーヒーが管を通ってフラスコに降りる。ロートにはお湯とコーヒーの粉だけが残っていた。
マスターはロートを取り外すと、台に取り付けている取っ手を持ち上げて、フラスコからカップにコーヒーを注いだ。
カップから白い湯気が立ち上り、コーヒーの芳醇な香りが漂う。
「いい匂いだ」
そんな俺の一言にマスターは僅かに表情を緩ませた。
「お先にどうぞ、コーヒーです」
「いただこう」
ソーサ―の上に乗せられたカップを手に取る。
家でうろ覚えな知識を頼りに自作してみたなんちゃってコーヒーとはまるでクオリティが違った。妙な酸っぱい香りもせず、色合いも綺麗だ。
香りを十分に楽しんだ俺は、ゆっくりとカップを傾ける。
「……美味い」
口の中で突き抜ける芳醇なコーヒーの香り。程よい苦みと渋みがあり、その奥にほのかな甘みがある。
「ありがとうございます。飲んだことのあるお客様にお出しするというものは緊張するものですね」
俺の感想を聞いて、マスターがホッとしたように言った。
「マスターの作ったコーヒーはお世辞無しに美味しいさ」
前世で飲んでいたものに比べると多少の荒さはあるものの、それも個性といえるような範囲で十分に美味しい。
というより、土台が一切なかったこの国で道具を買い揃えて改造し、味の試行錯誤を繰り返してここまで仕上げてみせた。
その実績を考えると、マスターは偉大な人物だ。素直に尊敬に値する。
「こちらはモーニングセットです」
「ありがとう」
コーヒーを楽しんでいると、マスターがモーニングセットを出してくる。
メニューに書いてあった通りにお皿にはこんがりと焼けたトーストにサラダ、ゆで卵があった。
そして、手元にはマスターが淹れてくれたコーヒー。
俺の目の前では理想的なモーニングが出来上がっていた。
やっぱり、コーヒーのないモーニングなんてモーニングじゃないな。
「あの、お客様のお名前を伺ってもいいですか? コーヒーを楽しめる同士は少ないもので。私はロンベルと申します」
突然のマスターの質問に驚いた俺であるが、不思議と悪い気持ちはしない。
「……ジルク=ルーレンだ」
そう名乗ると、マスターであるロンベルが小型の魔道コンロを指さす。
「もしかして、魔道具師の?」
「そうだな」
「有名な魔道具師であるジルクさんに足を運んでいただけて光栄です」
「よしてくれ、そんな偉いものでもない」
目の前で自らの作品を指さされ、かしこまれられると恥ずかしい。
そんな風にマスターとじゃれていると、お店の扉が開いた。
外から入ってきたのは白髪に眼鏡をかけた老人だ。
帽子を被り、品のいいブラウンの三つ揃えを纏っている。
年齢を感じさせないピンとした背筋をしており、柔らかな顔立ちをしている。
「いらっしゃいませ。ノイドさん、お久しぶりですね」
「お久しぶりです、マスター。いやあ、ようやく主からまとまった休暇を貰えたものでして」
「執事という仕事も大変そうですね」
マスターと気安そうに話している姿から、この老人は喫茶店の常連なのだろうな。
ギリアムとどこか似たような雰囲気を感じると思っていたが、やはり執事だったらしい。
それが貴族か商人に仕えているのかまでは知らないが。
「おや? 私以外にコーヒーを頼んでいらっしゃる方がいますね。これは珍しい。私も同じものをお願いします」
「かしこまりました」
老人は物珍しそうな視線をチラリと向けると、少し離れたイス席に腰を下ろした。
どうやらあの老人もコーヒーを嗜むらしい。
ここの常連客というのはコーヒーを好む、変わった者たちが集まるのかもしれないな。
そんな益体もないことを考えながら、俺はモーニングセットに手をつけた。
◆
喫茶店でモーニングを楽しんだ俺は、いつも通りに工房に出勤した。
トリスタンの気の抜けた挨拶を返すと、自分のデスクに座る。
すると、トリスタンがジトッとした視線を向けてくる。
「なんだ?」
「随分とご機嫌そうですね」
どこか皮肉っぽい口調で言ってくるトリスタン。
昨日、夕食をキャンセルした本人が、翌朝機嫌良く出勤してくれば嫌みも言いたくなるか。
トリスタンのそんな気持ちはすぐにわかったが、敢えて俺は取り合ってやったりしない。
たった一度の飯のキャンセルくらいでぶうたら言われたくないからな。
むしろ、堂々と気にしていないとばかりに振舞ってやる。
「まあな。理由を聞きたいか?」
「……いいえ、聞きたくありません」
トリスタンはそのように話を打ち切ろうとするが、俺は敢えて続けてやる。
「昨日の宝具で作った酒が美味くてな、唐揚げとよく合ったんだ」
「聞きたくないって言いましたよね!?」
「それだけじゃない。今朝早起きして散歩していたら、いい喫茶店を見つけた。そこでは特別な飲み物が出るだけでなく、雰囲気もいいんだ」
「……へー、どこのですか? 今度俺も連れてってくださいよ」
今朝の喫茶店の良さを語ってやると、最終的に興味が出たのかトリスタンの表情が明るくなる。
「ダメだ」
「…………」
しかし、俺がそう言うと、トリスタンの表情が抜けて能面のようになる。
無の表情の奥には苛立ちがあることは確実だった。
「トリスタン落ち着いて。ジルクがこういう人なのは今に始まったことじゃないでしょう。はい、ジルクへの要望書よ」
ルージュがこちらにやってきて一枚の封筒を持ってくる。
厚みのあるそれにはいくつかの手紙のようなものが入っていた。それなりの枚数があるようで目を通すのが面倒くさそうだ。
「……差出人は?」
「カタリナさんよ」
ルージュのにっこりとしながらの言葉に俺の表情が自然と歪む。
「出た! クレーマーのカタリナ!」
そして、ここぞとばかりに活き活きとするトリスタン。
クレーマーのカタリナ。定期的にうちの工房にクレームをつけてくる謎の女だ。
俺の発売した魔道具についての文句を毎回のように大量の文章で送り付けてくる。
非常に迷惑この上ないクレーマーだった。
せっかく人がご機嫌な朝を迎えているというのに、台無しになった気分だ。
「まったく、この差出人は暇なのか? いつもいつもクレームをつけてきて」
「でも、ジルクの開発した魔道具は全部買っているみたいなのよね」
「ジルクさんの魔道具を全部買ってるって、中々にお金持ちですよね」
俺の作る魔道具はそこまで安くはない。それらを全て買っているということは、それなりに稼ぎのある者か、いい家柄をしているのだろう。
「どれだけ商品を買おうが関係ない。クレーマーはクレーマーだ」
「でも、要望書を見る限り、そこまで悪いことは言っていないわよ? 日常で使う上での不便点や、女性からの興味深い視点が書かれているわ」
「だが、九割はその女の私情だろ?」
「……まあね」
カタリナが出してくる要望書には俺たちが気付かない視点での感想や、要望が書かれていることは認めよう。
しかし、文章の九割は自分の生活のための要望や、偏った主観による感想だ。
そんな駄文の中から、あるかないかもわからない良き要望を見つけるのは面倒と言わざるを得ない。
「この人、魔道具師でもないのによくも毎度こんなことが書けますよね。魔道具の軽量化はめちゃくちゃ難しいのに」
基本的に魔道具の内部には無駄なものはない。必要のない機能を極限まで減らしたのが現在の姿なのだ。数センチ削るだけでも、かなりの試行錯誤や苦労が課せられる。
それをこのカタリナとかいう女は、知りもしない癖にやれというのだ。いかれている。
「まあ、そういった理想を何とか現実にしてみせるのが私たちの使命でしょう?」
「知るか。俺にはそんなもの関係ない。俺は俺のためになる魔道具を作る」
俺はそう宣言して、デスクの上にある封筒をゴミ箱に入れた。
ルージュとトリスタンが渇いた声を漏らすが、俺の気分は少しだけ晴れやかになった。
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