独身貴族は喫茶店を見つける
リビングの窓を開け放つと、早朝の涼やかな空気が部屋に入り込んできた。
ふわりとカーテンが舞い上がる。
「いい朝だ」
早起きができるととても気分がいい。
それも眠気をまったく感じない目覚めとなれば尚更だ。
恐らく、眠りの浅い瞬間にしっかりと目覚めることができたのだろう。
美味しい食事と酒のお陰だろうか。今日は朝からエネルギーに満ち満ちている。
「せっかくだ。今日は外で朝食でも食べるか」
今日は天気もいいようで、早起きしたお陰か時間も余っている。
モーニングを目当てに新しい喫茶店を開拓するのも悪くはない。
そう決めた俺は準備を整えて、アパートの外に出た。
アパート付近は早朝のために人気はないが、中央区にやってくるとまばらに人影が見える。
まだ主だった武具屋、雑貨屋といったものは開いてはいないが、飲食店や市場は忙しく商品を搬入して、開店の準備を整えつつあった。
一方で民家の二階には眠そうな顔をしながら通りを見下ろしている女性がいたり、ベランダの植木鉢に水をやっているおじさんもいた。
いつもの出勤時間とは違った、どこかゆったりとした空気が好きだ。
人が密集していないのでとても歩きやすいしな。
いつもはスルーしてしまうお店を流し見しながら、ゆっくりと足を進める。
中央区の通り沿いにはいくつもの喫茶店があるのだが、そのどれらも入ったことのある店ばかりだ。いつもと同じようにそこに入るのもつまらない。
どうせなら今日は違うところがいい。
大通りにある喫茶店はメニューも豊富で広いのであるが、いかんせん集まってくる人も多いので苦手だ。
できれば、静かなひと時を過ごすことができる、ゆったりした店がいい。
いくつもの通りが網目状に広がっている王都はとても広く、長年ここに住んでいる俺でも隅々まで把握しているとは言いづらい。
だから、こういった時間のある時は普段は通らないところを率先して見て回るようにしている。こういった小さな好奇心が素敵な店との出会いを繋げることもあるからな。
適当に行ったことのない通りを進んでいると、静かな住宅街にやってきた。
……さすがにこの辺りは民家しかないか。
周りを見渡す限り、あまり店らしきものは見当たらない。
この辺りで引き返して別の場所を探そう。
そう思って視線を巡らせると、民家に紛れるようにレンガで造られた喫茶店のようなものがあった。
窓から店内の様子を見てみると、こじんまりとした店内といった様子だ。
しかし、そこに設置されている家具の数々は別格だ。
食器棚やサイドボード、テーブルやイスのような大型家具から、掛け棚やフェンス、カトラリーボックスといった小物の品まで全てがアンティーク調で整えられている。
大通りの店に比べると狭いし、古っぽいと思えるかもしれないが、そこにはお客が寛げるためのしっかりとした空間が作り上げられていた。
「こんな喫茶店があったのか」
見たところ店内にはほとんど人はいない様子。
やはり、このような奥まった立地にあるだけあって大衆に認知はされていないのだろう。
店内が過度に賑わっていないことを確認した俺は、すぐに入ることを決めた。
やや重みのある木製の扉を開けると、ギイイという音を立てて閉まった。
「……いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
店内に入ると、黒のカッターシャツに濃いブラウンのショートエプロンを纏った四十代の男性がカウンターにいた。
恐らく、この喫茶店のマスターだろう。品のいい店の雰囲気にぴったりなマスターだな。
落ち着きのある声での案内を受けて、俺は店の端っこにあるイス席に腰を下ろす。
年季を感じさせるイスではあったが、座り心地は抜群だ。歪みや傾きといったものは一切感じられない。
テーブルはマホガニー製だろう。赤みを帯びた木肌の色合いと艶が美しい。
長年の経年変化を経て、アンティークの家具にしか出せない風合いというものを感じられるな。
これはここのマスターがきっちりと家具の手入れを行っている証だろう。味わいのある経年変化と、手垢など日々の生活での汚れとは全然違う。
席の周りの家具や小物に感心し続けることしばらく。
俺は傍に置いてあるメニューを手に取る。
すると、この喫茶店にもモーニングセットはあった。
トーストにサラダ、ゆで卵、それと好きなドリンクを加えて三百ソーロ。とても良心的な値段だ。
迷わずモーニングセットに決めて、付属のドリンクを何にするか悩んでいると、ゴリゴリという音が鳴り響き、ふと懐かしい香りがした。
「……この香りは?」
独特な苦みと酸味、そしてほのかな甘みという複雑な香り……それは前世の喫茶店でよく飲んでいた飲み物の香りで。
思わずカウンターに近寄ると、マスターが大きな箱についたハンドルを回して何かを粉砕しているようだった。
「マスター、それはもしかしてコーヒーか?」
思わず声をかけるとマスターが軽く目を見開いた。
「コーヒーのことをご存知で?」
「ああ、昔に飲んだことがあってな」
この世界にはコーヒー豆というものがあるが、あまり流通しておらず一部の地域でしか飲まれていない。
俺もたまたま王都に流れてきた少量のコーヒー豆を粉砕して飲んでみた程度。前世のコーヒーには遠く及ばない味だった。
「私もです。昔、旅をしていた時に飲ませてもらったのですが、その時の味が忘れられず、こうして喫茶店を開きながら趣味で作っているのです」
「いい趣味をしているじゃないか」
小さな喫茶店を営みながら、自分の好きなことに邁進する。
それも素晴らしい人生の送り方だ。
「ありがとうございます。残念ながらお客様の反応は良いとはいえませんので、研究する日々です」
「まあ、コーヒーの良さを一発で理解できる奴は少ないしな」
この国ではコーヒー豆があまり入ってこないし、そもそも飲んで楽しむ文化がない。
馴染みのないコーヒーを飲んで、すぐに美味しさを理解するというのは難しいだろうな。
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