独身奏者は騒音に悩まされる
「ただいまぁ……」
私、カタリナ=マクレールは今日も歌劇場での演奏を終えて、自宅に帰ってきた。
家に帰ると真っ暗な玄関。
帰ってきても家には誰もおらず、灯りがついていないことを寂しく思う。
「いけない、いけない。今は音楽に集中!」
疲労で心身が弱ると人間というのはロクなことを考えないもの。つい、私らしくもないことを考えてしまった。
私は音楽の世界で活躍したくて屋敷を出て、この王都で生活をしているのだ。
一人が寂しいだなんて甘えた気持ちで生き残れる世界じゃない。
弱りそうになった自分の心を叱咤して、私は踵の高いヒールを脱ぐ。
「いたた……また靴擦れしてる」
ヒールを脱ぐと踵が赤くなっていた。
演奏中は集中して気にならなかったけど、仕事を終えると途端に痛み出した。
「もう履きたくない」
新しいヒールを履く度にこれだ。
そんな泣き言を漏らすが、仕事をやる以上は避けては通れない。
奏者は演奏技術だけでなく見た目も大事。特に王都で音楽家として活動し、名を売るならば尚更だ。舞台の上は勿論のこと街中だって気を抜くことはできない。
だけど、たまにはぺったんとしたスニーカーで街を歩き回りたい時もある。
頭の中でそんな気楽な自分を妄想しながら、私は内靴を履いて廊下を進む。
リビングの灯りをつけると、真っ暗な部屋が明るくなる。
それと共に露わになる私の生活のだらしなさ。
ソファーの上にはいくつものドレスが重なってかけられており、テーブルには化粧品やアクセサリーが所狭しと置かれている。床には脱ぎ散らかされたソックスや靴下。
こういった家事は幼少の頃から使用人がやるべきことと認識していたので、どうしても手が動かない。いや、そんな風に言うのも言い訳だ。一人暮らしをする以上は、自分が責任を持ってやるべきだ。
「……でも、今はやる気が起きないわね」
私はそれらを見なかったことにしてソファーに移動。倒れ込むようにして寝転ぶと、ソファーがギシッとした悲鳴を上げて、かけていたドレスがずり落ちてくる。
頭にかかったドレスを払いのけるように再びソファーの背にかけると、やっと私は一息ついた。
「はぁー、このまま寝ちゃいたい」
だけど、それは許されない。
来週にはまた演奏会があるのだ。
練習は何度もこなしているけど奏者にとって毎日の復習は大事だ。やらないとすぐに腕が錆びつく。
それにお腹だって空いている、演奏スケジュールに休憩時間はあるが、その間にやるべきことは次にやるべき曲の練習だ。
とてもではないが昼食を食べる時間も気力もなく、結局今日は朝食しか食べていなかった。
既にお腹はペコペコ。
「軽く何か食べて練習しよう」
疲れ切った身体に鞭を打って、なんとか立ち上がって台所へと向かう。
食材を確かめるべく冷蔵庫を確認すると、ワインとしなびたニンジン、きゅうりといったわびしい食材ばかり。
しまった。忙しくて買い物に行くのをすっかりと忘れていた。
しなびた野菜たちの様子を見る限り、少し傷んではいるもののまだ腐ってはいない。
せめてお肉の一つでもあれば野菜炒めでも作ることができる。
冷蔵庫をごそごそといじっていると奥の方に肉の入ったパックを発見した。
「あった! お肉――ってダメね。これは……」
しかし、パックを見るとそこには黒く変色した肉の塊のようなものが詰まっているだけだった。
さすがに冷蔵庫といえど、長期間の肉の保存には耐えきれなかったようである。
さすがにしなびた野菜だけを炒めて食べる気にもなれない。
私は今日の夕食をきっぱりと諦めることにした。
空腹による苛立ちをぶつけるように冷蔵庫の扉を少し強めに閉める。
すると、パタンと音が鳴り響いて、振動で中にあるワイン瓶が微かに転がった。
「……にしても、もうちょっと小さくならないかしら?」
台所でひときわ強い存在感を放つ冷蔵庫。氷魔石を利用した画期的な魔道具でこれのお陰で私たちの食料事情はかなり進歩した。
しかし、この大きさはいただけない。
食材を入れる保存する以上、ある程度の大きさは必要であるけど、もう少しコンパクトにできないのかしら?
冷蔵庫を制作したというジルク=ルーレンという魔道具師は王都でもかなり有名だが、こういった細やかなニーズへの対応が悪いのが欠点だ。
恐らく、彼は自分が作った作品にそれ以上の興味はないのだろう。
魔道コンロはスイッチをひねる力が強くて、私のような女性は若干調整に苦労する。
ドライヤーだって外出先でも使いたいけど、形が大きすぎて持ち運ぶことができなくて不便。
小型魔道コンロがあるんだったら、小型のドライヤーも作れる気がする。
そんな魔道具の要望を込めた手紙を何度も送っているが、彼は一向に改良品を作り上げる様子がない。
魔道具は家事の苦手な私のような人間にとっては救いだ。
だからこそ、彼にはこれからも私たちのような人間を支えてくれる魔道具を作ってもらいたい。
その希望を実現してもらうために、私は彼に要望書を送り続けることはやめない。
私の家事力が向上するよりもそっちの方が絶対に早いから。
「さて、ヴァイオリンの練習をしなくちゃ……」
夕食をとることを諦めた私は速やかにヴァイオリンケースから楽器を取り出す。
防音の魔道具を発動させたら、次の演奏会で演奏する曲の譜面を並べ、意識を集中。
「~~♪」
弓を弦にそって当てて音を奏でようとすると、隣の部屋から陽気な男の歌声が聞こえてきた。
「…………」
これから集中して練習しようとしていただけに隣人の騒音にイラついた。
防音の魔道具は内部からの音を外に漏らすことはないが、外からの音はこちらに聞こえてくるのだ。
音程もしっかりととれており、とてもリズミカルなのだがまるで聴いたことがない曲だ。
どこの地方の曲だろう?
「はっ! こんなことしてる場合じゃないわ。練習しないと!」
隣人の歌声に耳を傾けている場合ではない。私は私のやるべきことをしないと。
意識を切り替えて次の演奏会の音を奏でる。
しかし、そんな私の意識を削いでくるかのように陽気な歌声が響いてくる。
妙にいい声をしており、実に幸せそうだ。
私はこんなにも努力して頑張っているというのに、周りのことも気にせずに歌っているその呑気さに腹が立った。
「もう! 歌うなら防音の魔道具くらいつけなさいよ!」
私は魔道具を解除して、隣人と隣接している部屋の壁を思いっきり蹴った。
しかし、強く蹴り過ぎてしまったらしくて靴を履いていたにもかかわらず足に強い衝撃がきて私は悶絶した。
「~~ッ!?」
結局、この日の夜は、迷惑な隣人のせいで満足に練習をすることができなかった。
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