独身貴族は自宅でハイボールを作る
トリスタンとの夕食をキャンセルした俺は、そのまま真っすぐに家へ帰った。
まずやるべきは……
「宝具の鑑賞会だな」
グワンから受け取ったケースを開封して、泡沫の酒杯を取り出す。
テーブルの上に乗った金色の酒杯。
上品な色合いや輝きはとても浮世離れしており、実に宝具らしい。
宝具は基本的にダンジョンの中にある宝箱などから産出されるらしいが、管理がしっかりとされているのか傷一つついていない。
ダンジョンというのは深部に向かうほどレアな素材や宝具と出会う可能性が高まるが、それだけ立ちはだかるトラップや魔物も凶悪になる。
それなのに宝具に傷一つつけることなく帰還してみせたというのは、冒険者の並々ならぬ技量が伺えるというものだ。それにグワンの保存も良かったのだろうな。
傷一つない酒杯を俺はあらゆる角度から眺めたり、持ち上げたりしてみせる。
手に持った感覚としては普通の酒杯よりも少し重めだ。指で小突いてみるとコンコンとやや硬質で涼しげな音が鳴る。
「一体、なんの素材でできているのやら」
魔道具師として生きてきたので、素材については人よりも詳しい方であるが、この宝具に使われている素材はなに一つ心当たりがなかった。
「『湧け』」
宝具の発動条件となるキーワードを発してみると、何もなかった酒杯の底から炭酸水が湧き出してくる。
実に不思議な宝具だ。魔道具でこんなものを作れと言われても、まず無理だろうな。
そんなことを考えながらケースの中に入っているメモに目を通す。
ここにはグワンが鑑定スキルで得た情報と、今までの経験からきた宝具の推測などが書かれている。大抵は彼の推測通りなのでとても役立つ。
メモには宝具の推定強度、洗浄方法などの取り扱い方が細かく書かれている。
グワンの推測からすると、そこまで繊細な酒杯ではなく多少落としたとしてもヒビは入らないらしい。普通の酒杯を扱うように洗っても構わないそうだ。
温度や量については、自分がその時に望んだ温度や量を強くイメージすると、その通りになるらしい。
その他にも注意事項がないかをしっかりと確認した俺は、そのまま酒杯をあおる。
口の中で弾ける炭酸。パチパチと音が鳴り、喉の奥にスウッと流れていく。
この清涼感が堪らないな。
これからはいつでも炭酸が呑めるな。ただ、せっかくの炭酸水だ。これ単体だけで味わうというのも勿体ない。
「……ハイボールを作るか」
この世界にもウイスキーはあるが、炭酸水がないせいでほとんどロックや水割りで呑んでいた。しかし、炭酸水がある今ならハイボールが作れる。
思い立った俺は、早速台所に移動する。
収納棚からウイスキー瓶とグラスを取り出し、冷凍室から氷を取り出す。
しかし、冷凍室で作り上げた板氷は、いささかサイズが大きいので自分でカットすることにする。
別に氷魔法を使えば、即座にちょうどいいサイズの氷を作り出すことができるが、このちょっとした手間も楽しみたい気分だった。
本当は少し置いて自然解凍してからの方が綺麗に切れるのであるが、今回は我慢できないので省略することにした。
板氷を軽く水で洗うと、まな板の上に置いた。
板氷のちょうど真ん中の部分に包丁を当てる。
ミニハンマーで包丁を押さえながら、スライドさせて切れ目を入れる。
そして、ある程度の切れ目が入ると、包丁の上からハンマーで丁寧に叩く。
ここをしくじってしまえば氷の断面が酷く残念なことになる。慎重にやらなければ。
意識をハンマーに集中させて、垂直に包丁をコンコンと叩く。
すると、ハンマーの重みで包丁が板氷に食い込み、四度目の振り下ろしでパックリと割れた。
「綺麗な断面だ。ここ一番の出来だな」
二等分にされた板氷の断面はそれはもう綺麗なもので、思わず自画自賛してしまうほどのものだった。
自宅でこうやって氷を作ることはあるが、ここまで綺麗に割れたのは本当に久しぶりで嬉しい。
そして、割れた氷をさらに割っていき四等分に。それらをさらに半分に割って八等分にすると、さらに横に三等分。
それでは少し大きすぎるのでさらに二等分すれば、破片を軽く水で流し、ハイボール用の氷が完成だ。
透き通るような氷がとても美しい。それが自分で磨きあげたものだけに愛おしい。
グラスの中に隙間を大きく作らないように氷を入れると、ウイスキーを注いでいく。
メジャーカップを使うのは少し面倒なので目分量だ。
男なら大体指の一本と半分くらいがウイスキーの目安となる。
注ぎ終わると、マドラーを用意してグラスの中の氷をかき混ぜる。
これはしっかりとグラスを冷やしてやるのが目的だ。
ゆっくり回すと氷が溶けやすくなり、水っぽくなるので注意が必要だ。
グラスが結露するぐらい冷えると、減ってしまった氷を埋めるように追加。
ここで氷を入れることによって、炭酸水を注いだ時に氷が浮き上がることがなくなり、過度な水分が出なくなるのだ。
ハイボールとは作り方がシンプルなだけに、手間を抜くと水っぽくなってマズくなる。
簡単な作り方とは裏腹に丁寧に仕上げてあげないといけない一品なのだ。
氷を追加すると、次はいよいよ炭酸水の追加だ。
「『湧け』」
冷たい炭酸水をきちんとイメージしてから紡ぎ、氷の隙間部分から注いでいく。
氷に当たると炭酸が抜けてしまうので、氷に当たらないように丁寧に注ぐのがポイントだ。
酒杯を傾けてゆっくりと注いでいくと、グラスの中で炭酸が静かに弾ける音がする。
ウイスキーが一、炭酸水が四の割合にする。
注ぎ終わると炭酸水のガス圧でウイスキーが上に上がっているのがわかる。
この状態でほぼ混ざっているので、後はマドラーを軽く入れて一回転させ、氷を持ち上げるようにすれば……
「ハイボールの完成だ」
出来上がったハイボールを鑑賞し続ける意味はない。氷が溶けださない新鮮なうちに呑むに限る。
氷で冷やされたグラスを手に取って口に運ぶ。
「ああ、最高だ」
ため息を吐いたような感想が漏れる。
口の中で広がるウイスキーの苦みと、その奥に詰まっているほのかな甘みと旨み。それらが炭酸と混ざり合って爽快な飲み味となっている。
冷えたグラスにぎっしりと氷を詰めているので、炭酸とウイスキーがよく馴染んでいる。
水っぽさや味のムラはほとんどなかった。
久し振りのハイボールの味に感動し、あっという間にグラスが空になってしまった。
二杯目のハイボールを作ろうとしたところで、俺はふと我に返る。
「待て、久しぶりのハイボールだ。どうせなら夕食もそれに合うものにしよう」
お酒には強い方であるが空きっ腹にアルコールを入れるのは良くないな。
それにこれだけ美味しいお酒があるのならば、それに合う夕食も用意しないと勿体ない。
ハイボールに合う料理といえば……
「唐揚げだな」
ハイボール=唐揚げという安直なイメージであるが、それぐらい二つの相性は良く、王道であり、正解でもあった。
冷蔵庫の中を覗いてみると、ちょうど下味のついた鶏もも肉がパックに入っている。
これは唐揚げを作れと独神も言っているに違いない。
うちには魔道コンロだって設置されている。温度を一定に保てるような調整機能もついているので揚げ物だって余裕だった。
ニヤリと笑みを浮かべた俺は、速やかに唐揚げを作ることにした。
◆
「準備は万端だ」
テーブルの上には小型魔道コンロが設置されており、そこに乗っている鍋は高温の脂で満たされていた。
冷めた唐揚げほどマズいものはない。と言うくらい唐揚げは冷めると味が落ちるので、その場で調理して食べる豪快スタイルにした。
唐揚げをより美味しく味わうためにハイボールも準備されている。
既に肉の下準備は終わっているので後は鍋に投入して揚げていくだけだ。
衣を纏わせたモモ肉を鍋に投入。すると、ジュワアアッとした音がリビングに響き渡った。
炭酸水の泡とは違った、弾ける油の音が心地いい。
ハイボールを軽く口にしながら衣が茶色く染まるのを待つ。
そして、二度揚げも終わったらお皿に盛り付けて実食だ。
揚げたての唐揚げ……間違いなく熱い。
ちょっとやそっとの息では決して冷めないとはわかっているものの、その身から迸る香りには抗うことができなかった。
熱々の唐揚げを箸で掴んで口へと運ぶ。
バリッとした衣の食感と、中から染み出る肉汁の旨味。
「熱っ!」
予想通りの結果だが気合いで我慢。
プリッとした張りのあるモモ肉が踊り、柔らかく歯に食い込む。
ショウガやニンニクといった下味が渾然一体となってにじみ出ていた。
「肉が柔らかい」
ある程度噛みしめたところで、よく冷えたハイボールをあおる。
口の中に広がっていた脂っこさを炭酸が洗い流し、肉の旨みとウイスキーの旨みがマッチする。
「……美味い」
ごくごくと喉を鳴らしてグラスをテーブルに置いた。
熱々の唐揚げをキンキンに冷えたハイボールで流し込む。
最高以外の感想が見当たらなかった。
熱さと格闘しながらも食べ進めると、あっという間に二個の唐揚げがなくなった。
唐揚げの味を十分に堪能したら、次は少し味を変えてみる。
唐揚げ用にカットしておいたレモンを指で押しつぶす。
レモンから酸味の強い汁が滴り落ちて、唐揚げを軽く濡らした。
まんべんなく濡れたところでレモンを皿の端に置いて、再び唐揚げを口へ。
「レモンでさっぱりといくのも最高だな」
肉の旨みと脂に強い酸味が加わることによってグッと食べやすくなっていた。
ただでさえ味の強い唐揚げは連続で食べると、胃の中がもたれてしまう。
しかし、そこにレモンを加えることによって、味の変化を楽しみながら軽快に食べることができていた。
酸味の利いた唐揚げを食べ、ハイボールを呑む。
三千万ソーロもした宝具でできるようになった贅沢。
これは昔から独身生活を目指して頑張っていたからの成果である。
その努力の末にここまでくることができ、こうして独身生活を謳歌することができているのだ。
「昔から頑張っていた俺を褒めてやりたいな」
泡沫の酒杯を掲げながら独り言ちる。
自分のコレクションを眺めながら美味い飯と酒を呑むのは最高だな。
この宝具があれば、いつでもハイボールが呑めるし、炭酸ジュースや他のカクテルだって作れる。これからの家呑みも増々充実すること間違いなしだな。
次は自宅にあるワインを炭酸で割って、スプリッツァーなんかを作ってもいいな。
ああ、作れるお酒の種類が格段に増えて想像が止まらないな。
今日は歌劇場に行ったお陰で魔道回路の構想ができた。その上、このような貴重な宝具をたった三千万ソーロで買う事ができた。
思い返せば、今日はなんという日なのだろうか。
そのことに気付いた俺は増々ご機嫌になり、リビングで前世のお気に入りの歌を歌うのであった。
今日の晩酌はハイボールと唐揚げで決まりですね。
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