独身貴族は気難しい
今朝はいつもより早くに目が覚めたが、実に目覚めが良かった。
眠気は一切感じなく、ボーっとした不快感もない。
空は澄み渡るように晴れており、ここ最近に比べると蒸し暑さも控えめだ。
身体のコンディションだけでなく環境もいい。
いつもであれば家でゆっくりと家事をしたり、読書をしたり、ロンデルの喫茶店でモーニングを食べたりするのだが、今日はそれらの一切をせず一直線に工房に向かうことに。
……今日は集中して作業できる気がする。
朝から広い工房を占拠だ。
【音の箱庭】で音楽を流しながら優雅に作業をするのも悪くない。
工房にたどり着いた俺は、扉の鍵を開けようとしたが既に空いていることに気付いた。
「「おはようございます!」」
嫌な予感が抱きながらも扉を開けて中に入ると、そこには昨日入ってきたばかりの新人が腰を折って挨拶をしてきた。
「…………ああ。早いな」
今日は朝から一人で優雅に作業できると思っていたのに計画が台無しだ。
抜群のコンディションが嘘のように霧散し、一気に気が重くなった。
いっそ今から自宅に戻り、そこで作業をしようかなどと考えてしまうが、さすがに行き来する時間が勿体ない。帰ることを諦めた俺は仕方なく、デスクに移動して荷物を置く。
チラリと二人の姿を見ると、デスクの上にはいくつもの加工した魔石があった。
どうやら昨日言い渡した試験をこなすべく、早朝から出勤して練習しているようだ。
「ジルクさん、コーヒーを淹れましょうか? 昨日、ルージュ先輩に淹れ方を習ったんです」
ジャケットをかけていると、パレットが立ち上がり愛想のいい笑みを浮かべる。
「不要だ」
「……そ、そうですか」
きっぱりと断ると、パレットはすごすごと席に座った。
それにしても、工房にまったく知らない奴がいると気になって仕方がないな。
最初にルージュやトリスタンがやってきた時も気になっていたので、時間が経過すれば慣れるだろう。まあ、まずは最初の二週間を越えられるかどうかだがな。
従業員の一員になるかもわからない奴等を気にしても仕方がない。できるだけいないものとして考えることにしよう。
デスクからコーヒー豆とミルを取り出した俺は、自分でコーヒーを作る。
ハンドルを回すとガリゴリゴリと粉砕音が鳴り、コーヒー豆のかぐわしい香りが漂う。
ああ、この豆を潰している感触が堪らないな。
「コーヒー作ってるじゃん……ッ!」
ハンドルを回し続けていると、パレットの口から囁きが漏れた。
粉砕音を堪能するべく耳を傾けていたが故に、耳が音を拾ってしまった。
「素人のお前と俺が作ったのでは味がまるで違う」
「うえっ!? す、すみません」
まさか聞こえているとは思わなかったのだろう。パレットは変な声を漏らしながら、作業に戻った。
さっきから集中力が散漫だ。黙々と作業をしているイスカを見習うべきだな。
コーヒーを作り、喉を潤すと俺は一人で作業を始めた。
「おはよう」
「おはようございます、ルージュさん、サーシャさん」
しばらく作業をしていると、ルージュとサーシャがやってきた。
挨拶を交わす声でふと我に返ると、太陽がそれなりに位置にまで昇っている。
すっかりといつもの出勤時間になったようだ。
思い描いた理想の過ごし方は新人によって台無しにされたが、集中して作業できるというのは本当のようだった。
「二人とも早いわね?」
「えへへ、新人ですから」
「やる気があるのは結構だけど、無理はしないようにね」
「はい、ありがとうございます。あっ、コーヒーを淹れましょうか?」
「それじゃあ、お願いしようかしら」
「私もお願いします」
「かしこまりました!」
二人に頼まれたパレットが嬉しそうに移動して、コーヒーの用意を始めた。
妙に嬉しそうだな?
「変な顔してどうかしたの?」
訝しみながらパレットを見ていると、ルージュがやってくる。
「魔道具師見習いなのに、お茶汲みとしてこき使われて嬉しいのかと不思議に思ってな」
「こういう小さな事の積み重ねで信頼関係に繋がるのよ」
「そういうものか?」
他人にコーヒーを用意してもらうだけで、信頼関係が芽生える意味がわからない。
「まあ、ジルクにはちょっとわからない感覚かもね」
「ああ、わからん。俺は自分の飲みたい時に、自分で用意して飲むからな。喫茶店やレストランに行くなら話は別だが」
俺がそのように答えると、ルージュが呆れたような息を吐いてデスクに戻った。
●
出勤時間ギリギリにトリスタンがやってき、続けて作業をしているとサーシャが近づいてくる。
「ジルクさん、少しお時間よろしいでしょうか?」
「応接室でいいか?」
「いえ、それほど重大なことでもないので、あちらで大丈夫です」
サーシャが指し示したのは一階の少し奥にある給湯室。
視線を見る限り、新人にさえ聞こえなければ問題ない程度らしい。
ひとまず、移動するとサーシャが早速と切り出す。
「パレットさんやイスカさんの練習で消費している魔石量が多く、このままのペースで行けば足りなくなるのですが、いかがいたしましょう? 本人たちは自費で買い取ると申し出ていますが……」
そのように説明しながら、魔石の在庫表と消費予測を見せてくるサーシャ。
パレットとイスカには、トリスタンの作業補佐をさせながら、魔石加工の練習をさせている。その際に出た失敗のいくつかは俺やトリスタンが補修すれば、なんとかなるのだが使い物にならないような失敗作もかなり多い。
そういった不安定な魔石は再利用するのも難しく、廃棄しなければいけない。
魔力のムラの大きな魔石や、歪な加工のされた魔石はそれだけで危険だからだ。
元は魔物のエネルギーの格となっていた力だ。
未加工の状態で放置すれば、何が起こるかわからない。
そういった事情があり、工房で保有している魔石が大きく減少しているというわけだ。
「それについては工房で出すことで処理してくれ。二人が遠慮するようなら、アルトから既に材料費を貰っているとでも言ってやれ」
「…………」
そのように指示を出すと、サーシャが少し驚いたような顔になる。
「どうした? そんなにも驚いて?」
「正式な従業員でもない二人に対して、意外と優しいのですね」
基本的に控えめなサーシャだが、上司である俺に大して割と物怖じしない。
「現状、役に立たない人材とはいえ、アルトが連れてきた人材だからな。今回は特別だ。二週間で物にできなければ遠慮なく追い出す」
アルトや実家の工房には前回の借りがあるからな。少しだけ我慢してやるだけだ。
期日を過ぎてもできなかった場合は、魔石の膨大な消費による赤字というわかりやすい数字を突きつけて、追い返すつもりだ。
そこまですれば、アルトや実家の奴等も文句は言ってこないだろう。
「うふふ、そういうことにしておきますね」
だというのに、何を勘違いしたのかサーシャは妙な微笑みを浮かべて去る。
何がそういうことなのかさっぱりわからない。
首を傾げていると、サーシャと入れ違いにルージュがやってきた。
「あっ、ジルク。ちょうど良かった。少しいい?」
「構わん」
ルージュは洗い物以外で給湯室を使わないからな。コップも無しにやってきたということは俺に話があるのだろう。
「……なんか今失礼なこと考えなかった?」
「気のせいだ。それより用件を話せ」
ジットリとした視線を向けられながらも、急かすとルージュはとりあえず疑うのを止めた。
「今日の夜とか予定ある?」
デートの誘いな訳がない。そもそもルージュは既婚者だ。従って業務のことだろう。
「ん? 特に大きな予定は入れてないが……?」
「それなら今夜はパレットさんとイスカさん、サーシャの歓迎会にしない?」
「しない」
「なんでよ!」
断ったら何故かルージュに怒られた。
俺にだって選択の権利くらいあるだろうに。
「俺は一人で食べるのが好きだ。それに何より、そういうのが嫌いだと知っているだろ?」
「ええ、知ってるわ。だからこうしてあたしが頭を下げて頼んでるのよ」
「いや、頭は下げてないだろ」
「細かいところは気にしない」
「そもそも二人は試験中で正式に雇ったわけじゃない」
サーシャのように正式に雇用された者の歓迎会ならともかく、パレットとイスカはまだ正式に雇うと決めたわけではない。
二週間で送り返すなんてこともあり得るのだ。
そんな者たちのために歓迎会などやるだけ無駄だろう。
「あと十二日もの間、ずっとピリピリしたまま過ごさせる気? ただでさえ、新しい職場にやってきたのにこれじゃ可哀想よ。それにサーシャの歓迎会だってまだだし、クーラーの発売が始まればもっ
と忙しくなる。ここらでガス抜きも必要だと思うわ」
「とはいっても、いきなり今夜というのは……」
「大丈夫。全員の予定は確認済みだから。後はジルクだけよ」
既に根回し済みらしい。優秀な従業員というのも考えものだな。
まあ、アルトが連れてきた人材に冷たく当たった……などと言い触らされても面倒だし、ルージュの言い分にも一理ある。
歓迎会などという催しは気に入らないが、それで繁忙期を迎える従業員のガス抜きになるのであれば悪くはないのかもしれない。
「…………わかった。参加すればいいんだろ」
「ありがとう、ジルク」
ルージュはにっこりと笑うと、パタパタと皆のところへ移動。
「皆、今夜は前に言った通り歓迎会をすることに決まったわ! どこか食べに行きたい店とかある? ジルクがいるから普段は入れない高級店でも大丈夫よ」
「マジっすか!? ジルクさんも来るんですか!?」
「まあな」
ルージュがどうしても頼むからしょうがなくだ。
「イスカさんやサーシャさんは何か食べたいものでもある?」
「え、えっと……」
「僕たちはまだ正式に雇用されたわけではないので、ここはサーシャさんの要望に沿うのがいいかと」
「私もそれがいいと思います」
ルージュが尋ねると、パレットやイスカがやんわりとそのように答える。
トリスタンなら間違いなく遠慮することなく、要望を伝えただろう。
実力はないが人格という面ではトリスタンよりも人ができているかもしれない。
「それじゃあ、サーシャ。どこか行きたいお店とかある?」
「私ですか? たくさんあり過ぎて迷ってしまいますね」
うーんと唸り声を上げて迷っていたサーシャだが、しばらくして口を開いた。
「『ニクビシ』なんてどうです?」
マズい。そこは俺が贔屓にしているお店だ。こんな奴等を連れていきたくはない。
「待て。別の店に――」
「いいわね! 焼き肉! 旦那や子供のことを忘れて思う存分に肉を食べる!」
「はい! 子供がいるとどうしてもそちらに意識が向いてしまいますから。今人気のお店で思いっきりお肉を食べてみたいと思いました!」
考え直すように説得しようとしたが、ルージュとサーシャはすっかりと意気投合している。
「トリスタン先輩、焼き肉とはなんでしょう?」
「ああ、焼き肉っていうのは、薄くスライスされた肉を自分で焼いて食べる店らしいんだ。俺もまだ行ったことがないけど、皆でわいわいできて楽しいらしいよ」
「なんと! 自分で肉を焼くのですか!?」
「王都には変わった店があるんですね」
トリスタン、イスカ、パレットもすっかりと話し込んで盛り上がっている。
皆が興奮しており、すっかりと乗り気だ。
マズい。他の店に誘導しなくては。
「なあ、別の店にしないか?」
「どうして? お肉ならジルクも好きでしょ? それに前は一緒に行こうって話にもなっていたじゃない」
ぐっ、三か月も前のことを随分と詳細に覚えているものだ。
「気に入らないわけじゃない。ただ、俺の紹介があれば、一見お断りの店でも入れるんだぞ?」
「……怪しいわね。まるで、あたしたちに『ニクビシ』に行って欲しくないみたいな」
ルージュがジットリとした視線を向けてくる。
付き合いが長いだけに察しがいいな。
「……気のせいだ。どうだ、サーシャ?」
「そういうお店も魅力的ですが、私は皆で気楽にお肉を食べたいです」
改めてサーシャに交渉を持ちかけるが、きっぱりと拒否されてしまった。
焼き肉への渇望が強いようだ。
「決まり! 今日の歓迎会は『ニクビシ』ってことで!」
ルージュが宣言すると、皆がそれを歓迎するようにパチパチと拍手をする。
どうやら開催店が『ニクビシ』というのは避けられないようらしい。
まあ、あそこなら味も保証できるし、俺だけのVIPスペースがある。
他の店で食べるよりも何倍も快適だろう。
「問題はどうやって店に入るかですね。『ニクビシ』はかなり人気で開店前から列ができていますし……」
「トリスタン! 開店時刻前から並んでくれる?」
「ええっ! 俺ですか!?」
「それが一番確実だから。お願い」
「しょうがないですねぇ」
猫撫で声のルージュに頼まれて、トリスタンがしょうがないとばかりに席を立つ。
「入店に関しては俺に任せろ」
「えっ? ジルクさんが並ぶんですか?」
「そんなバカみたいなことをするか。とにかく、いつも通りに働いて向かえばいい」
俺がそのように言うと、トリスタンたちがきょとんとした顔になる。
俺がこういう雑事をやるのが意外に思えたのだろう。
歓迎会のためだけに仕事を切り上げて何時間も並ばせるなんて非効率極まりない。
工房経営にとって大きくマイナスだ。それなら割り切って、俺の力を使った方がいい。
「まあ、ジルクがそこまで言うのであれば任せましょう。仕事を切り上げないで済むなら、それに越したことはないし」
ルージュのそんな声を聞いて、従業員たちはそれぞれの業務に戻った。
新作はじめました。
【魔物喰らいの冒険者】
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冒険者のルードが【状態異常無効化】スキルを駆使して、魔物を喰らって、スキルを手に入れて、強くなる物語です。




