独身貴族は期待しない
独身貴族のコミック2巻発売中です。
「トリスタンさん、何度も申し上げていますが終業間際に領収書を持ってくるのは控えてください」
「すみません」
サーシャに注意されたトリスタンが、ぺこぺこと頭を下げる。
工房で働き始めて一週間。彼女も随分とこの工房に慣れてきたようだ。
ルージュから引き継いだ業務を速やかにこなしているのは、偏に彼女の優秀さがあるからだろう。落ち着いた振る舞いで堂々としている様は新人とは思えないほどだ。
「こうして見ると、どう見てもトリスタンの方が新人だな」
トリスタンが謝る姿を横目で見て笑っていると、サーシャが領数書を手にしてこちらにやってきた。
「ジルクさん、この宝具店の領収書に記述がないんですけど、どういう名目ですか?」
「ちょっと魔道具の参考にな」
「千五百万ソーロとかなり高額ですが……」
「宝具だから高額なのは当然だろう」
実際に宝具を参考にして作り上げた魔道具だってある。
参考になっているのだから研究費で問題ないはずだ。
「しかし、この値段ですと税金逃れのために落としていると疑われる可能性が……」
「今までこれで落としてきたんだぞ?」
「ジルクさんの工房も売上が年々右肩上がりになっています。売上が上がるほど税務官は注目します。今まで通っていたものが、ある日突然止められるということも……」
お金はないところからより、あるところから搾り取る方が楽だからな。
サーシャの意見にも一理ある。
「念のために宝具の経費精算について調べておきますね」
「……わかった。よろしく頼む」
税務官がつけいるような弱みは早めに潰しておくに越したことはない。
杜撰な処理をして稼ぎの大半を国に持っていかれるかは百倍マシだ。
「あはは、ジルクさんも注意されてますね」
サーシャがデスクに戻ると、近くにいるトリスタンが呑気に笑った。
だらしなさを注意されているお前と一緒にするな。
「氷魔石の魔力加工を早くやっておけ」
「…………」
カチンときた俺は収納ケースに入った大量の氷魔石をトリスタンのデスクに置いてやった。
●
工房でクーラーの生産作業をしていると、外回りに出ていたルージュが戻ってきた。
荷物をデスクに置いてタオルで軽く汗を拭うと、彼女はこちらにやってくる。
「ジルク、販売日のことを皆に通達してもいい?」
「構わん」
俺が頷くと、ルージュはサッと身体を反転させてパンパンと手を叩いた。
魔石加工をしていたトリスタンと、帳簿をつけていたサーシャが顔を上げる。
「注目! クーラーの十分な稼働データと安全性が確保できたので正式販売日が決まったわ!」
「おお、いつですか?」
「二週間後! それに伴って三日後から予約が開始よ!」
「遂に始まるんですね!」
「発売日が決まるとワクワクします」
ルージュからの告知を聞いたトリスタンとサーシャが興奮したように反応する。
具体的に発売日が決まると実感が湧いてくるのだろう。
俺からすれば発売しようがしまいが、いつも通り仕事をするだけで変わりない。
ただ業務をこなすだけだ。
「ちなみに王族からは先んじて百台の予約が入っている」
「ひええ、いきなり百ですか!?」
王紋の入った手紙を見せながら言うと、トリスタンが驚きの声を上げた。
つい先日、ジェラールから届いたものだ。
「本当はもっと注文したかったらしいが抑えてもらった」
王城の広さや規模を考えると百では足りないが、そこは優先的に必要なところだけ設置する方向で勘弁してもらいたい。
王族を優先し過ぎると、他の貴族や商人から文句を言われそうだからな。
「その他は、貴族や大商会をはじめとする人たちから既に問い合わせがきていて、最低二百以上の予約が入る見込みよ」
「もうそんな見込みがあるんですか?」
「販売に向けて手は打っておいたからね。具体的には魔道具店で設置したり、ブレンド伯爵の喫茶店に設置したり。他にもいくつかの大商会や施設でも設置させてもらって宣伝してもらっているの」
「いつの間に……なんだかすごいです!」
俺も報告で聞いていただけで直接見てきたわけではないが、事前の問い合わせの数を聞く限り、確かな効果はあったのだろう。
「さすがですね、ルージュさん」
「サーシャがうちにきてくれたお陰よ」
ルージュがとても活き活きとしているな。
余裕ができて以前からやりたかったことを実行しているのだろう。
そのせいで本人はまた忙しくなっているようだが、体調に影響が出ない限りは好きにやらせようと思う。勿論、無理は厳禁だが。
「にしても、合計で三百台以上ですか。今ってどのくらいの数がありましたっけ?」
「大型四十、中型八十、小型四十だ」
こうなることを見越して事前に大量生産していたつもりだが、予約数はこちらの想定を越えている。
「……今のペースだと一部のお客様には待ってもらう必要があるわね」
「そうだな」
「ねえ、ジルク。ルーレン家の工房から見習いがやってくるのは明日だったわよね?」
「その人たちがやってくれば、生産ペースも上がって余裕で間に合うかもしれません!」
ルージュの言葉にトリスタンが希望的な感想を漏らす。
が、俺はそんな都合のいい考え方には賛成できない。
「新人に期待するのはやめておけ」
「ええ? ルーレン家の工房で学びながら働いていたんですよね? きっとサーシャさんのようにすぐに戦力になってくれるんじゃないですか?」
「サーシャはうちよりも大きな商会で長年勤めていたキャリアがある。同じように考えない方がいい」
サーシャは積み重ねた実績と経験を持った優秀な転職組だ。
王手の商会で揉まれながら様々な修羅場を越えている。
それと比べて新しくやってくるのは大工房とはいえ、下っ端で働いていた魔道具師見習いだ。期待しろというのが難しい。
「もしかして、新しく入ってくる人って、あんまり……?」
「さあ? どんな奴がくるかはまったく知らん」
きっぱりと答えると、ルージュがギョッとした顔になる。
「えっ!? アルト様から資料が送られてきたでしょ? 見てないの?」
「あんな外の情報を見ただけで何がわかる。重要なのは使えるか、使えないか。それだけだ」
御大層に並べられた肩書きや志望動機なんかはどうでもいい。うちにとって重要なのは役に立つ人材かどうかだ。それ以外は興味がない。
「だったらちょっとくらい期待してあげても……」
「俺は誰かに期待するのは嫌いだ」
他人に期待し、責任をゆだねるなんてことは間違っている。
人間、最後に信用できるのは自分だけなのだ。
そんな俺の発言を聞いて、トリスタンが微妙な表情になる。
「まあ、新しく入ってきた子たちに、いきなり重い責任を負わせるのもリスキーよね。一部の予約してくれたお客様には間に合わないかもしれないことを伝えておくわ」
肩をすくめながらのルージュの言葉を聞いて、俺たちは仕事に戻ることにした。
●
仕事を終えてアパートにたどり着くと、エントランスで立っているカタリナが見えた。
誰か人を呼んでおり、待っているのだろうか。
現在は仕事が繁忙期ということもあり、作曲作業については見送ってもらっているので用事もないはず。よってエントランスに入った俺はカタリナをスルーした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
すると、カタリナが俺を呼び止める。
「なんだ?」
「なんだって……ロクに挨拶もしないのはどうなのよ?」
「別に親しく雑談をするような仲じゃないだろ?」
俺たちはあくまでビジネス的な関係であって、会ったからといって仲良く会話するような関係では
ない。
「そ、それはそうだけど……」
そんな当然の指摘をしてやると、カタリナは不服そうにごにょごにょと言う。
「なにか用件でもあるのか?」
自宅を目の前にしており、ようやく一人になれるのだ。
こんなところで道草食っていないで早く部屋に入りたい。
「……あなたに聞きたいことがあるのよ」
「なんだ?」
「えっと、クーラーっていつ発売するの?」
「どうしてそんなことを気にする? お前には既に試作品があるだろ?」
「えっと、歌劇場に持って行ったら、楽団仲間も気に入ったみたいで。試作品を貰えるほどに仲が良いなら、いつ手に入れられるか聞いて欲しいって頼まれて……」
おずおずと切り出した用件の経緯を語るカタリナ。
「そういった頼みをお前がわざわざ受けるとはな……」
カタリナは気が強く、そういった面倒な頼みは断るタイプのように思えたが。
「上司や支配人だって目をつけてるし、楽団員ほぼ全員から頼まれるとさすがに断れないのよ」
「組織に所属する弊害だな。人間関係のしがらみが何倍にも膨れ上がり、無駄な労をかけさせられる」
こんな夜にもかかわらず、俺を待つために出待ちしなければいけないとは哀れだ。
俺の言葉にカタリナはムッとし、何かを言おうとしたが堪えて愛想のいい笑みを浮かべた。
「それでクーラーの発売日って決まっていますでしょうか? 念のため聞いたって事実は必要なので」
カタリナが愛想良く、丁寧な言葉を使っていると気持ちが悪いな。
適当に聞いたけどダメだった。とでも言っておけばいいのに真面目なことだ。
ふむ、歌劇場の支配人や上司、楽団員のほぼ全員が注目か。
ただでさえ、予約数が二百とかなり多いが、確実に買ってくれそうな顧客を見逃すこともないか。
楽団員は貴族の子女や商人の子息が多く、基本的に裕福だ。
【音の箱庭】の録音でお世話になることだし、恩を売っておくのも悪くないか。
黙って考えていると、カタリナが諦めたようにため息を吐く。
「まあ、発売日なんてさすがに企業秘密だし、教えられないわよね。無理言ってごめんなさい」
「発売日は二週間後だ。予約開始は三日後になる」
「えっ?」
俺が教えるとは思わなかったのだろう。カタリナが目を丸くする。
「予約するなら早朝から魔道具店に並ぶことだな」
「そんなこと教えていいの!?」
「当然良くないから秘密にしておけ。楽団員には宝具の録音でお世話になるからな。恩は売っておいて損はない」
「そ、そう。わかった」
「じゃあな」
話は終わったので今度こそエントランスを通り過ぎて部屋に向かう。
「次の録音は私にも依頼しなさいよ! 隣人だから気まずいなんて気にしないし、前回の言葉を撤回させてみせるから!」
ビシッとこちらに指をさしながら述べるカタリナ。
フンと鳴らした鼻息がこちらまで聞こえている。
どうやら以前の指摘が大変気に食わなかったらしい。
「……考えておこう」
そう伝えると、今度こそ俺は帰宅して一人になることができた。
ああ、やっぱり部屋は落ち着く。




