独身貴族は天然スポンジを使う
作業をしていると、工房の案内を終えたらしいルージュとサーシャが戻ってきた。
「女性二人が並んで談笑しているだけで華やぎますね」
それを眺めていたトリスタンが呟く。
お前はどれだけ職場に女が来て欲しかったのだ。
長い間、下っ端を送っているとここまで拗らせてしまうのか。
「ジルク、サーシャのデスクだけど、あたしの隣にある奴を使ってもいい?」
「ああ、問題ない」
元々、ルージュの隣のデスクは空いており、二台分を使っているような感じだった。
経理の仕事はルージュから引継ぎ上に、連携を綿密にとるのはその二人だ。
隣同士の方が色々と仕事もやりやすいだろう。
ルージュとサーシャは空きデスクの引き出しの確認をしながら準備を整えていく。
「経理の引継ぎはルージュからしてもらってくれ」
「わかりました」
まずは工房の経理状況の把握から始まるだろう。
うちがどこから仕入れ、どのようなところに卸しているか把握しなければ、数字を正しく追うことはできない。
うちも業務の幅も広くなってきて取引先もかなり増えたので、すべての把握は大変だろうが頑張ってもらいたい。
「ジルクさん」
「今度はなんだ?」
またもや話しかけてきたトリスタンにややうんざりしながら返事する。
「そもそも経理の仕事ってどんなことをやるんですか?」
サーシャのことを聞くようであれば、無視するつもりだったが今度の質問は割と真面目だった。いや、真面目だからこそ頭が痛くなりそうだった。
まあ、魔道具作り関連の仕事や雑用ばかりやらせているトリスタンに、具体的に把握していろというのも無理な話か。
「会社のお金を管理する仕事だ」
「いや、それは何となくわかるんで、もう少し具体的に……」
「基本業務は四つあります。一つ目は出納といって、会社の現金や預金の出し入れをする作業です。出納は銀行口座を通して行われることが多いですが、社内に一定額の現金を常に置いておき、経費の仮払いや備品の購入、交通費用の立て替えなど、現金で出納を行ったりします」
「なるほど!」
俺たちの会話を聞いていたのかサーシャが丁寧に説明をしてくれる。
いちいち全てを説明するのは面倒だったので助かる。
「二つ目は起票といって、取引や出入金が発生した際、その履歴を証拠として残すために伝票に書き起こす作業です。経理の仕事というイメージで一番わかりやすいでしょうか?」
「あっ、ルージュさんが何かある事に書いていた作業のことですね!」
「そうよ。帳簿を作る上で大切な書類だから、なにかあったらその日のうちにすぐに報告しなさいよね」
「は、はい。気を付けます」
トリスタンの報告漏れで、ルージュが何度取引先に確認することになったやら。
圧のかかったルージュの笑みにトリスタンはこくこくと頷いた。
そんな風にサーシャは記帳、集計といった経理としての仕事を丁寧に説明する。
俺と違って、サーシャはこういった細かい説明や教える行為は嫌いではないらしい。
ちなみに前世の大きな会社などでは経理、会計、財務などとそれぞれ分かれていたが、うちは大きな規模の工房ではないので経理としてひとくくりにしている。細かく分ける意味もないしな。
「へー、経理の仕事って、たくさんあるんですね」
「そうなんです。それにしても、ルージュさん。営業や素材管理と色々な仕事をこなしながら、よく経理の仕事ができていましたね。素直に尊敬します」
「ありがとう。実は工房の利益がドンドンと大きくなってくるものだから経理の仕事をする度に胃が痛くて……本職のサーシャが来てくれて本当に助かったわ」
「任せてください。ルージュさんが営業や販売に集中できるようにお助けいたします」
これに関してはルージュに頼りっきりだった俺とトリスタンは言葉をかけることができない。
女同士が友情と絆を深める中、俺とトリスタンは気まずげに視線を逸らした。
●
翌朝。目覚めが良かったので早めに工房にやってくると既にサーシャがいた。
「おはようございます、ジルクさん」
綺麗な笑みを浮かべて挨拶をしてくるサーシャ。快活なルージュとは違った魅力だな。
「掃除か?」
「はい、皆さんがやってくる前に綺麗にしておこうと思いまして」
うちは定期的に清掃業者を呼んでいるが、細かなところは自分たちでやることになっている。が、サーシャが加わったことで掃除負担は減ることになるだろう。
「ジルクさんのデスクもお掃除しますね」
雑巾を手にしたサーシャがやってくるが俺は手で制止する。
「いや、いい。俺は自分のデスクは自分で掃除することにしている」
「わ、わかりました」
断られると思っていなかったのかサーシャが少し戸惑いながらも頷いた。
自分が頻繁に扱うデスクは、自分の手で掃除しないと気が済まない。
やってもらうべき部分は頼む方が効率的で楽なのだが、どうにも自分でやらないと落ち着かない。
工房内の他の場所は掃除されようが気にならないのだが、デスクだけはダメだった。
これはもう俺の性分なのだろう。
自分で雑巾を濡らして、デスクを綺麗にする。
サーシャはトリスタンやルージュのデスクの掃除を終えると、窓枠のサッシを掃除し始めた。
「ちょっと待て。それで掃除するのか?」
「すみません。新しい雑巾を使った方が良かったでしょうか? それともブラシなどで?」
サーシャの掃除の仕方にギョッとしたが、彼女はまだ二日目だ。
主な仕事は経理なので細かい清掃の仕方まで教わっていないだろう。
「いや、うちでは違うもので掃除している」
作業室から移動して保管室へ。
そこには数多の掃除用具があり、そこから必要な掃除道具を手にするとサーシャに渡した。
「え、えっと、これはなんです?」
手の平に乗っている黄色い物がわからないのか、サーシャが尋ねてくる。
「天然スポンジだ。内部に細かな孔が空いていている。液体に浸すと、孔内の空気と置換される形で液体を吸い取り、外部からの力で放出する特性を持っている」
前世で多く使われていた人工のスポンジではなく、海にいる海面動物から採取した天然ものだ。
人工物に比べて形がバラバラで脆さはあるが、繊細肌にも使えるほどに柔らかい。
「は、はぁ?」
自宅でも身体を洗うのにも重宝している一品なのだが、サーシャはスポンジを知らないらしい。
まあ、この世界ではまだ掃除道具としてあまり浸透していない道具だからな。
口で説明するよりやってみせた方がわかりやすいか。
そう思ってスポンジと洗剤、ハサミを手にして作業室の窓へ。
サッシの凹凸に合わせてスポンジにインクをつけると、それに沿うようにハサミで切れ目を入れる。
後は水と洗剤を加えてやり、サッシをそのまま擦ってやるだけだ。
キュッキュッと擦っていくと汚れていたサッシは、瞬く間に汚れを落としていく。
それを見たサーシャが目を丸くして驚いた。
「わわっ! すごいです! 窓のサッシがこんなに簡単に綺麗に……ッ! これはスポンジだからですか!?」
「そうだな。少なくとも雑巾やブラシを使うよりかは楽で綺麗にできるだろう。ポイントは切れ目を入れることだな。こうすることで凹凸部分にもスポンジが密着するようになり、綺麗に掃除できる」
そう言ってスポンジを渡すと、サーシャはキュッキュッとスライドさせてみる。
その度に汚れが落ちて綺麗になり感動のため息を上げていた。
少なくとも雑巾やブラシを使って格闘するよりかは、早く終わる上に綺麗に仕上がるだろう。凹凸部分の汚れに苦戦することはない。
ピカピカに仕上がったサッシを見て、サーシャがおずおずと尋ねる。
「これはどちらで売っているのでしょう?」
「残念ながら王都で取り扱っている商会はない。これは俺が個人で仕入れているものだ」
「そうですか……」
王都で売っていないと聞いて、サーシャが残念そうにする。
マイナーな海産物で食べ物でもなんでもないからか、見向きもされていないからな。
俺の場合は契約している漁師に採取してもらっているので手に入れることができている。
「まあ、工房の備品としてたくさん置いてるものだ。従業員なら売っても構わん」
「いくらでしょう?」
「拳ぐらいの大きさで百ソーロだな」
「では、五つほど頂きます!」
値段を提示すると、サーシャは保管室に移動した。
もう少し釣り上げても買ってくれそうだが、従業員相手に搾り取っても仕方がない。従業員価格ってやつだ。
程なくすると五つの天然スポンジを手にしたサーシャが鼻歌混じりに戻ってくる。
「備品項目から引いておけよ?」
「はい! これで家の窓枠もピカピカです」
俺の言葉にサーシャは上機嫌で頷いた。




