独身奏者は試作品を使う
「ったく、朝っぱら人を呼びつけて荷運びさせやがって」
中型クーラーを背中に背負ったディックスが悪態をつく。
ジルクにクーラーを貸してもらった翌日。
私は同僚のディックスにクーラーの運搬をやってもらっていた。
貸与してもらう代わりに歌劇場で使用した時の感想の提出が求められているからである。
あまりの暑さに我慢できなくなって飛びついた私だが、歌劇場まで運搬できないことに気付き、慌ててリザードマンの彼を呼びつけたというわけである。
か弱い乙女である私一人では持ち上げるのはきついが、リザードマンの中でも取り分け体格のいいディックスならリュックのようなものだ。
「ごめんなさい。でも、これがあればすごく涼しくなるの! 練習会の暑さからおさらばなのよ!」
「涼しくなるって氷風機みたいなやつか? もし、そうだと楽器に影響を及ぼすから設置できねえぞ?」
「大丈夫。この魔道具は平気だから」
氷風機のような冷気を直接吐き出すタイプの魔道具は、楽器の弦を湿気させたり、革部分を傷めてしまう恐れがあって厳禁だ。
管楽器はまだしも弦楽器や木管楽器の奏者たちが怒り狂うことになる。
そういうこともあってかこういうタイプの魔道具の設置は一切認められていない。
しかし、ジルクの開発した新しいクーラーは湿気などとは無縁なので、楽器を傷めることはないのだ。私たちでも遠慮なく使うことができる。
現に昨日はクーラーをつけながらヴァイオリンで演奏してみたが、まったく弦に影響はなかった。
「それが本当ならすげえけどよ」
などと説明してみるが、ディックスはまだ完全に信じ切れていないみたいだ。
奏者にとって楽器は命。それを脅かす可能性のあるものに忌避感を示してしまうのも仕方がない。
そんな風に話していると、歌劇場にたどり着いた。
裏口から入って廊下を進み、私たちの自主練習のために確保している小さなホールに入った。
暑い。
歌劇場のホールは遮音性を優先しているために風通しが非常に悪い。
結果として夏は風通しの悪い蒸し部屋のようになってしまうのだ。
「おはようございます、カタリナ。それがさっき言っていた、ホールを涼しくするための魔道具ですか?」
中に入ると、ローラが声をかけてきた。
むあっとした部屋にいるせいか肌にはじんわりと汗をかいており、長い桃色の髪を後ろで纏めていた。
「そうよ!」
「おい、カタリナ。これはどこに置いておけばいいんだ?」
「えっと、この辺りにお願い」
「わかった」
楽団員たちに直接冷気が当たらないように調整した場所に、中型クーラーを設置してもらう。
後は起動のスイッチを押すと、シュオオオという静かな音を立ててクーラーから冷気が出てきた。
「はぁ~、涼しい」
外からやってきたばかりなのでクーラーの冷風が一層気持ちいい。
「おお、すげえ! 気持ちいい風だな!」
「ちょっとディックス邪魔!」
「図体デカいせいで、あーしたちが風を浴びられないし!」
「運んできたのはオレなのに酷くねえか?」
エスメラとブリギットに退かされて、しょぼんとするディックス。
運んでくれたところ申し訳ないけど、ディックスが目の前に立ったらクーラーの風がすべて防がれちゃうからね……。
「うわー! なにこれ!? 滅茶苦茶気持ちいいんだけど!?」
「いつの間にか部屋がすっごく涼しくなってる!」
気持ち良さそうな表情を浮かべ。金色の髪をなびかせる姉妹。
クーラーの効果は目に見えて出ており、ホール内が涼しくなっているのが体感できた。
「しかし、本当に楽器への影響は大丈夫なのか?」
涼しさを享受して喜ぶ中、ドワンゴは神経質そうな顔で首を傾げる。
原理は事前に説明してあるが、やはり奏者としてどうしても心配になるらしい。
「冷風に湿気た感じはありませんけど……カタリナ、これはどなたが作った魔道具なのですか?」
ローラから投げかけられた問いかけに、皆から注目の視線が突き刺さる。
有名な魔道具師と、そうでない魔道具師が作った魔道具では信頼性が違う。
言うべきか迷ったが、皆から積極的な感想を貰うためにもジルクの名を活用しておくべきだろう。
「えっと、ジルク=ルーレンよ」
「ジルクって、前に依頼してきた神経質な兄ちゃんだよな?」
「な、なるほど。こんな素晴らしい魔道具、作れるとしたら彼だけですもんね」
「ジルク=ルーレンの魔道具なら大丈夫だな。信頼できる」
ジルクの名前を聞いた瞬間、胡乱げだった団員たちがあっさりと警戒を解いた。
ジルク=ルーレンという名前の強さを実感した瞬間だった。
高品質な魔道具を使いたければ、ルーレン製の魔道具を買えというのは我々の中で常識だ。
ルーレン家の魔道具でそういった不祥事は全くなく、どこの製品よりも安定している。
さらに開発者が扇風機、魔道コンロ、冷蔵庫、ドライヤー、洗濯機などと画期的な魔道具を開発し続けている。
それらの実績が使い手にとって、これ以上ないほどの信頼を与えているのだろう。
「あの人のなら問題ないっしょ」
「仮に楽器に何かあっても弁償とかしてくれそう。お金持ちだし」
ブリギットとエスメラが非常に正直な気持ちを吐露する。
前回の依頼で直接顔を合わせ、金払いと気配りの良さも見せている。
こういった仕事面での印象は悪くないのよね。その良さをもう少し内面に活かせればいいのに。
「でも、どういうきっかけで試作品を貰えたんです?」
ローラの素朴な疑問に私はドキリとする。
実はジルクがお隣さんで、ベランダで会話して貰ったなんて言えば変な勘繰りをされかねない。
それにローラはジルクにフラれた? ばかりだ。友人の恋を応援していた身としてもお隣さんだとは言いづらかった。
「道端で会った時に試作品を使って感想をくれないかって頼まれたのよ。販売するためにたくさんデータが必要だから」
「へー、そうなんですね」
本当は私から使わせてくださいって頼み込んだんだけど、そんなのカッコ悪すぎて言えない。
「そういうわけで、後で感想を紙に書いてくれると嬉しいわ」
「協力すれば販売が早まるってわけだよな!? 書くぜ書くぜ! こんなすげえ魔道具、早く買いてえからよ!」
「ここできっちりと書いておけば、心象も良くなってあーしたちに優先して売ってくれるかも?」
「その可能性もなくはないわね」
ジルクが販売を優先するような保証はどこにもないが皆が期待するのは自由。
私がクーラーを使い続けるためにも積極的な感想は必須だ。
しょうもない感想など提出しようものなら、取り上げられる可能性があるからね。
「さて、練習を始めましょうか」
「ええ」
「今日は快適に練習ができそうだな」
「そういうわけでディックス。これから毎日、クーラーの輸送をお願いね」
「マジか! でも、まあこれだけ涼しく過ごせるならしょうがねえか!」
クーラーで室内が涼しいからだろう。
皆の表情は笑顔が浮かんでおり、態度からは余裕が感じられて和やかだ。
やっぱり快適な環境っていうのはいいパフォーマンスを発揮するのに必要よね。
今は限られた場所でしか使えない試作品だけど、早くこの魔道具が販売されて、どこでも快適に過ごせるようになるといいわね。




