独身貴族は中型クーラーを設置する
翌朝、工房にやってくると既にクーラーは稼働していた。
今日も問題なくクーラーは稼働しているようだ。
デスクには既にトリスタンが座っており、風魔石や氷魔石の研磨作業を行っていた。
俺に気付いたトリスタンが作業をしつつ、挨拶をしてくる。
「おはようございます」
「トリスタンがこんな早くから出勤してるなんて珍しいな」
あまり暑くならない内にと思って今日は早めの出勤をしている。
基本的に始業ギリギリの時間にやってくるトリスタンが、ここまで早くやってきているとうのは珍しい。
「だって、俺が魔石や素材の加工を進めておかないと、ジルクさんが効率よく作業を始められないじゃないですか」
トリスタンなのに意識が高い。それに真っ当なことを言っている。
「トリスタン、身体でも壊したのか? もしかして、クーラーが涼し過ぎて風邪でも引いたか?」
「今、すっごくバカにしてますね。デスクの上に加工済みの素材を置いてますので、それを使ってください」
額に青筋を浮かべるトリスタン。
自分のデスクに視線をやると、風魔石、氷魔石、フロストエッジの魔殻などのクーラーの製作に必要な素材が綺麗に加工されていた。
「なるほど、ルージュの差し金か……」
「ええ、ジルクさんが早くたくさんクーラーを作れるように作業してくれって頼まれました」
販売作業をやらせるつもりはないが、間接的に販売作業に向けての効率をアップさせている。
ルージュの手の平で踊らされている感じがして気に食わないところもあるが、効率的に従業員が働けるのは工房にとって悪いことではない。
俺も魔道具作りに集中できるのは嬉しいことだし、文句はないな。
「ところで頼んだ本人はどこにいるんだ?」
先ほどから工房内にルージュの気配はない。
あれだけ意気込んで作業していた翌日に遅刻なのか?
「外周りに行きましたよ。昨日、ジルクさんが作ってくれたクーラーをお得意様に持っていって営業ですね。いくつか試作品を渡してデータも取るつもりみたいですよ」
お得意様と言うと、いつもうちに注文を入れてくる商人や貴族のところだろう。
「動きが速いな」
「さすがですよね」
ルージュは非常に優秀だ。
こちらから何かを命令しなくても、自らの頭で何をするべきかを導き出す思考力や、すぐに動き出す行動力も持っている。
ジルク工房が僅か三人という従業員で回っているのが、その証左だろう。
頑張って働いてくれるのであれば、上司としても文句はない。
デスクの上を整理すると、俺は今日も作業を開始するのであった。
●
家庭用サイズとして作った中型クーラーを工房の応接室に設置する。
工房の一階にあるような大型ではなく、家庭でも設置できる中型タイプ。
冷蔵庫の半分くらいのサイズの筐体から涼しい風が噴き出す。
トリスタンとしばらく見守っていると、応接室がひんやりとした空気に包まれ出した。
「このサイズでも十分に涼しいな。トリスタン、そっちはどうだ?」
「はい、部屋の端にいても涼しく感じます!」
リビングの広さはライフステージによってちょうどいいと感じられる広さが違う。
二人暮らしなら十畳から十二畳。三人から四人以上となると十二畳から十七畳程度となることが多い。
この応接室の広さは二十畳。
中型クーラーでこれだけの広さをカバーできるのであれば、一般的な一軒家のリビングで通用すると考えてもいいだろう。
「後は木造や煉瓦住宅による差異のデータを取ればいいか」
「家の素材でそこまで変わるんですか?」
応接室の端にいたトリスタンが傍にやってきて尋ねてくる。
「木造住宅と煉瓦住宅では密閉性がまるで違う。密閉性の低い木造住宅では冷気が逃げやすく、クーラーの及ぼせる冷気の範囲は狭くなる。逆に密閉性の高い建物では冷気を逃すことがなく、及ぼせる範囲は広くなるはずだ」
「確かに木造の家は、夏場とかすごく風通しが良くて涼しいですもんね」
「後は陽当たりのいい部屋や天井が高い部屋で稼働させるには通常よりもパワーが必要になるだろう」
単純に太陽の熱によって室温が上げられるし、天井が高ければそれだけ空間が広いということになる。
「すごいですね。部屋の大きさにあったものを何となく置けばいいだけかと思っていました。検証することがたくさんあるんですね」
神妙な表情で中型クーラーを眺めるトリスタン。
だから俺は来年の夏が良かったんだがな。
とはいえ、今さらそれを言っても仕方がないので口にはしない。
ルージュがやる気を出してしまい、俺は上司としてそれを許可してしまったのだ。
動き出したのであれば、自分も工房に貢献できるように働かなければいけない。
「そうだ。迂闊に販売すれば、クーラーを設置したのに全然部屋が涼しくならないなんてクレームをつけられることだろうからな」
「うげっ、それは胃が痛くなるようなクレームですね。でも、お客さんからすれば、大金使って買ったのに家が全然涼しくならないなんてなった時は怒りますよね。どういう時は何とか対処できないんですか?」
「魔道具師が内部の魔力回路や魔石などの交換をすれば、多少はクーラーの強さを上げることはできる。具体的に見積もると、クーラーを買った三分の一くらいの料金は飛ぶがな」
「それは一般人にとっては痛い出費です」
それだけかかるのであれば、もういっそのこと大きいサイズのクーラーを買った方がいいかもしれないな。
「それ以外の方法はないんですか? できれば、あんまりお金はかからない方向で……」
「そんな都合のいい方法はない――と一蹴したいところだが、実のところはある」
「本当ですか!? どんな方法です?」
トリスタンが目を爛々と輝かせる中、俺は応接室に設置されている一つの魔道具に寄った。
「それは扇風機と組み合わせて使うことだ」
「扇風機ですか?」
「冷たい空気は下に落ちる性質があり、温かい空気は上に留まる性質がある。それによって室内では温度のムラができてしまうが、扇風機の補助を加えることで効率的に涼しい空気を循環させることができる」
クーラーから離れた対面に扇風機を設置し、稼働させることで送風される。
クーラーから出る冷たい風と扇風機の風が合わさることによって、室内の空気がぐるぐると回り始める。
「こうすることで室内の温度が均整化されて、少ない力で涼しく感じられるはずだ」
「あっ、本当です! さっきも十分涼しかったですが、今の方がもっと涼しいです!」
部屋の端に移動したトリスタンが感激した声を上げる。
ほんの少しの違いであるが、人間たった一度の変化を敏感に感じ取るものであり、これは大きく感じるだろう。
「これを周知してあげれば不幸な事故は減らせますね」
「まあ、面倒だから積極的にするつもりはないがな」
「……ジルクさん、それは酷くないですか?」
「うちにクレームがきた時に切り札として取っておけ。この対策法を伝授してもダメならクレーマーも諦めがつくだろうし、こちらも真摯に対処はしたという姿勢を見せることができる」
「さすがです、ジルクさん! そうしましょう!」
俺が敢えて情報を周知しない理由の一旦の述べると、トリスタンは手首がねじ切れんばかりの勢いで手の平返しをした。
工房にまでやってくるクレーマーに対しては、トリスタンも頭を悩ませていたからな。
同じ人間なのかと疑ってしまう感性を持つ奴等による心労は計り知れないだろう。
俺たちの心が壊されないためにも防御策は必要だ。
「後はそうやって賢しく小さいクーラーを買われると、工房としての利益が落ちるのも理由だ」
「……なんだか工房の闇の部分を見た気がします」
「世の中、多くのことを知っている者が賢く立ち回り、知らない者は損をする。お前も独りで生き抜けるように色々と学んでおけ」
「独りで生き抜くつもりはないですが、もう少し勉強はしようと思います」
俺のアドバイスにトリスタンは苦い顔をしながら頷くのであった。




