独身貴族は販売を許可する
クーラーを開発した翌日の昼。
徹夜をして生活サイクルを乱してしまった俺だが、十分に睡眠と休息がとれたお陰で頭はスッキリとしていた。
クーラーを仕上げることができた達成感も相まって体調はすこぶる快調。
事前に伝えていた通り、午後からゆっくりと工房に出勤だ。
空は快晴。日差しは燦々と輝き、歩いているだけでじんわりと汗をかくような季節。
街を歩いている人のほとんどは半袖で、羽織ものをしている者は少数だ。
誰もが暑い空気にうんざりとしているように感じられた。
「外は本当に暑いな」
しかし、工房にたどり着けさえすれば、この暑さとはおさらばだ。
暑さから逃れるように歩を進めると、自分の工房へとたどり着いた。
扉を開けて入ると、ひんやりとした空気に包まれた。
じんわりと肌に浮かんでいた汗がスッと引いていくようだ。
まさに天国。ここは外のような暑さとは無縁の楽園だ。
「おはよう、ジルク」
「おはようございます」
俺がやってくるとルージュとトリスタンが元気のいい挨拶をしてくる。
「二人とも元気がいいな」
ここ最近は暑さが強くなってきたせいで、もっとも気温の高い午後なんかは割とグロッキーなのだが、今日はそれを感じさせない快活なものであった。
「だって、これだけ快適ですからね! 俺なんて弁当を持ち込んで工房で食べました。一歩も外に出ていません!」
「この時期は汗もとか化粧崩れとかが気になる季節だけど、これからは気にしなくて良さそうだわ。はぁー、涼しいって素晴らしい!」
妙な引きこもり自慢をするトリスタンと、踊り出さんばかりに嬉しさを表現するルージュ。
どうやらクーラーのお陰で二人とも快適に仕事ができているようだ。
従業員の作業効率が上がって工房長としても嬉しい限りだ。
工房の端に視線をやると、白い筐体であるクーラーが設置されている。
「ここに設置したのか」
「ここなら誰にも直接冷気が当たらないし、部屋も早く涼しくできるから」
「なるほど」
「それを探るために俺は何度も持ち運びさせられました……」
トリスタンの疲れた自慢は無視し、俺はクーラーに問題がないか確認。
「クーラーの調子はどうだ?」
「昨日一日と今日半日稼働させているけど、何も問題はないわよ」
「室温が急激に下がったり、書類が湿気たりもしていないな?」
「ええ、そういったことはないわ」
「寒くなってきたとしたら氷魔石を調節して下げればいいですしね」
俺が眠っていた分も含めて、約二日稼働させていたことになるが特に問題はなかったようだ。
まあ、すぐに問題が出るような欠陥品を作った覚えはないが、異常がないのであれば問題はない。
「そうか。できる限り詳細なデータを取るために、工房ではできるだけ稼働させることにしよう」
「「賛成!」」
これにはルージュとトリスタンも異論はないらしく、実に良い返事だ。
仕事を振った時もそれくらいいい返事をしてくれると、こちらも助かるんだがな。
筐体の内部までしっかり確認し、魔力回路や魔石が正常に稼働していることをしっかり確認。フィルターや吸気口なんかも異常じゃなかった。
まったくもって問題ないな。これなら二台目の生産に取り掛かっても良さそうだ。
「ジルク、早速クーラーの売り出し方について相談したいんだけどいい?」
筐体を元に戻して立ち上がると、ルージュが書類を手にして話しかけてくる。
その書類の束を見る限り、売り出し方や魔道具店への配分などなど色々考えてくれたのだろう。
「気が早いな」
「早くないわよ。もう夏なのよ? 死ぬ気で進めていかないと夏が終わってしまうわ」
「別に売らなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「通常の魔道具の注文にコーヒーミル、結婚指輪と今は忙しいだろ? 別に無理に急がなくても来年の夏でいいじゃないか」
コーヒーミルの売り上げ自体は全体に比べると微々たるものであるが、結婚指輪は冒険者や富裕層向けに浸透してきており利益が大きい。
魔道具の製作依頼は常に予約待ちでメンテナンスや修理の依頼も途切れることはない。
夏が近いこともあってか扇風機は今年も売れているし、ジルク工房の売り上げは右肩上がりだ。
別に今急いでクーラーの販売に乗り出す必要はないように思える。
安全性を確かめるための稼働データも取れていない。じっくりと時間をとってもいいだろう。
などと現状の経営状況も含めて述べると、ルージュがわなわなと震えた。
「なに言ってるの! こんな素晴らしい魔道具を作っておきながら、一年も販売を引き延ばすなんてあり得ないわよ!」
「そうですよジルクさん! 来年に販売って、それじゃあ今年の夏はどうやって皆乗り切るんですか!?」
ルージュだけでなくトリスタンまでも詰め寄ってくる。
「扇風機で乗り切ればいいだろ」
「いいえ! この猛暑を乗り切るにはクーラーが絶対に必要だわ! というかないと生きていけない!」
今日まで何度この世界に夏がやってきてると思ってるんだ。クーラーがないと人類が生きられないわけがないだろう。
「この心地良さを知ってしまったら俺……クーラーのある工房でしか生活できないです」
「クーラーは危ない薬か」
気持ちはわからないでもないが、さすがにそれは言い過ぎだ。
「とにかく! 今年の夏に売りましょう!」
「……どうしてそこまで急ぐ?」
クーラーが販売されれば、夏が快適になることは間違いない。
開発したのは俺であり、この工房にやってくればいつでも涼しさを味わえ、快適に働くことができる。
この快適さを享受できる俺たちからすれば、今年に販売しようが来年に販売しようが変わらないだろうに。
「こういった画期的な魔道具って王族や貴族といった偉い人から回るでしょ?」
「もっともお金を持っていて欲しがる奴等は、そういった奴等だからな」
金を持っており影響力の強い身分の者に流し、ブランド化することによって魔道具の価値を高め、一つ当たりの単価を大きなものにし大きく利益を出す。
この世界の魔道具の売り方の基本だ。魔道具は基本的に高級品だ。
コーヒーミルのようなものが例外であって、基本的に安くはない。
ルーレン家ほどの人員と技術、ノウハウがなければ大量生産はできない。
薄利多売で儲けることはできないのだ。
こんな定石をルージュが知らないはずはない。
「それじゃあ、あたしたちみたいな平民に回ってくるのは、早くても再来年以降になるかもしれないじゃない」
「……それはまあそうだな」
冷蔵庫だってまずは王族や貴族に回り、遅れて平民へと回ってきた。
現在でも冷蔵庫は高級品で家庭によっては買うことのできないところもあると聞く。
クーラーも同じ道を辿るのは間違いないだろう。
「だが、そんなのいつもの事だ。お前たちには試作品を回すんだし、気にすることじゃないだろ」
「本当ですか!? さすがジルクさん! 最高です!」
クーラーの試作品を回すことを告げると、トリスタンが喜びの表情を露わにした。
こいつは自分にさえ回ってこればいいらしく、特に文句はないようだ。
しかし、アホなトリスタンと違って、ルージュの表情は真剣なままだ。
「あたしたち大人は我慢できるわ。でも、赤ん坊や小さな子供にとって、夏の暑さは命取りなの。熱中症で倒れたり、亡くなってしまう子がいるわ。そういう人を減らすためにもこの魔道具は早く流通させたいの」
「…………」
ルージュの切実な言葉に俺とトリスタンは言葉を失う。
確かにクーラーが早く流通すれば、どういった不幸な事件は数を減らすだろう。
重い怪我や病気を患っている病院に設置すれば、暑さによる体力の消費を軽減されるかもしれない。
「ごめんなさい。完璧にあたしの私情よね。あたしにも子供がいるから、こういったものに感情が入りやすくなってるのかも……」
「なんかルージュさんの考えを聞くと、自分だけ貰えればいいって考えてた自分が浅ましく感じますね」
「大丈夫だ、トリスタン」
「ジルクさん……ッ!」
「お前はいつも浅ましい」
「慰めてもらえるって思ってたのに酷い! 一発殴っていいですか?」
「殴ってもいいが宝具に反撃されても文句言うなよ?」
装備しているいくつもの宝具を見せびらかしながら言うと、トリスタンは唸り声をあげて引き下がった。
「……まあ、いいんじゃないか? 今年からの販売……」
「え?」
「販売担当のお前がやりたいならやればいい。ただし、俺は魔道具を作るだけで販売には加わらないし、いつもの仕事リズムは崩さない。それが条件だ。言っておくが販売を早めて一番苦労するのはお前だ。やれるのか?」
「ええ、任せて! あなたの素敵な魔道具をたくさんの人に送り届ける。それがあたしのやりたいことだもの!」
改めて問いかけると、ルージュは不敵な笑みを浮かべながら言った。
「そうか」
俺が魔道具を作る意義はあくまで自分のためだ。
正直、魔道具で他人の生活が変わろうが、それで人生が変わろう気にしない。
自分さえ快適な生活が送れればそれでいい。
しかし、上司として従業員であるルージュの気持ちまで否定するつもりはなかった。
積極的に手伝うつもりはないが、やりたいならやればいい。
今年に販売できれば、来年、再来年くらいには平民にも手が届くような値段になるかもしれない。
ただし、かなりタイトなスケジュールで相当大変な道のりだと思うが。
「そういうわけでトリスタンも手伝って!」
「ええ!? 俺ですか!?」
「だって、ジルクが手伝ってくれないんだもの。トリスタンにも手伝ってもらわないと無理だわ。お願い!」
「……しょうがないですね。クーラーを一刻も早く浸透させるために頑張りますかね!」
ルージュの熱意に押されたのか、トリスタンも苦笑しながら頷いた。
「そういうわけでジルク! クーラーの実験データを効率良く集めるために、もっとたくさん作って! まずは急いで十台! それに家庭用、一人暮らし用のサイズのものも欲しいわね!」
「言っておくが残業はしないからな?」
「わかってる。でも、ジルクならすぐに完成させられるでしょ?」
釘を刺すように言うと、ルージュは実にいい笑顔で返事した。
やれやれ、今年の夏はクーラーのかかった工房でまったり働けると思ったんだがな。
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『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』
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異世界からやってきた女騎士との農業同居生活です。
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