独身貴族はクーラーを完成させる
工房の二階にある作業部屋にて涼しい風が吹き出す。
夏が近づき、蒸し暑くなってきた工房とは思えないほど空気がひんやりとしていた。
「クーラーの完成だな」
目の前にある白い筐体を見上げながら呟いた。
夢中になって徹夜で仕上げた最新の魔道具。
数時間ほど稼働させているが部屋が湿気に包まれることもなく、過度に温度も下がり過ぎることはない。一定の涼しい気温を維持してくれている。
まだ耐久実験やそれぞれの部屋の大きさに合わせて冷却効果などと調べることは山のようにあり、稼働実験を乗り越えたとはいえないが、ほぼほぼ完成したと言えるだろう。
魔道具に欠陥があれば、大抵の場合はすぐに不調が現れるものだからな。
カーテンの隙間から僅かに差し込んでくる眩しい光。
太陽は既に昇り切っており朝だ。
もう数時間もすれば、ルージュやトリスタンが出勤してくる頃だろう。
「さすがに眠いな。ここで寝るか……」
自宅に戻ればゆっくりと眠れるだろうが、そこまで歩いて帰るのが辛かった。
それでもいつもの俺であれば頑張って帰るのであるが、クーラーの稼働している作業部屋の快適さには抗えない。
ふかふかのベッドなんてなくても、今は仮眠用のソファーで十分だ。
カーテンを閉じて日光をシャットアウト。毛布を手にしてソファーに寝転がる。
壁際に設置された魔道具から噴き出される冷気。
風が噴出される音が鳴っているが、それほど大きな音ではなくさして気にならない。
そのことに満足しながら目を閉じると、部屋の涼しさもあってあっという間に俺は眠りに落ちた。
「涼しい! トリスタン、やっぱりこの部屋涼しいわよ!」
「本当ですね! あそこにある魔道具のお陰じゃないですか?」
「ということは、遂にジルクが魔道具を完成させたのかしら!?」
心地の良い眠りを妨げたのはそんな興奮した会話だった。
やかましさから上体を起こすと、ルージュとトリスタンが入り口から入ってくるところだった。
「うわっ、ジルクさん! いたんですか!?」
「工房の鍵が開いているんだ。俺が昨日帰ってないのはわかるだろう」
起き上がった俺を見てギョッとするトリスタン。
デスクには僅かであるが俺の荷物も置かれていた。ちょっと周りを見れば、俺が帰っていないことくらいわかるだろうに。
「起こしちゃって悪いんだけど、少しだけ説明を頼める? これだけすごい魔道具だから早く計画を立てておきたいの」
申し訳なさそうにしながらもクーラーについての説明を求めるルージュ。
この魔道具の概要を把握するだけで、彼女の今後の動き方が大いに変わる。
早めに知りたいと思うのも無理はない。
「前から説明していた通り、これがクーラーという魔道具だ」
「前は二台で一セットみたいな設計をしていたけど、アレはなくなったの?」
「二台を必要とする魔道具なんて不便でしかないからな。一台で完結するように設計をやり直したんだ」
前世のもののように室内機と室外機の二台で一セットともなると幅もとる上に、家に設置するのも面倒だ。
魔石や魔物素材で簡略化できるのであれば、生産側も使用者側も便利でいいだろう。
値段だって抑えられるし。
「風魔石の力で正面にある通気口から室内の空気を吸い込み、内部にある氷魔石が取り込んだ空気を冷却し、管を通って室内に送り出している」
「本当だわ。この管から冷たい空気が出てる。ここは冷たくなったり、手が張り付いたりはしない?」
ルージュが懸念しているのは冷凍庫で稀に起きる事故のようなものだろう。
氷に素手で触って皮膚がくっついてしまうもののような。
「その管は低温に強いフロストエッジの魔殻を加工して作っている。触ったところで冷たいとも感じないし、くっつくようなことも起きない」
「本当ね。これなら安全だわ」
俺が触ってみせると、ルージュも管を触った。
「この管は動かすことができて、冷風を送る方向も調整できる。こっちのボタンを押せば、管が百八十度回転し、冷風を広範囲に送ることができる」
「なんだか生き物みたいで可愛いわね」
ゆっくりと首を振る管を見て、ルージュが妙なコメントを漏らす。
扇風機と同じだが可愛いのか? 女の感性というのはわからん。
「……トリスタン、お前からは気になる点はないのか?」
さっきから魔道具について尋ねているのはルージュばかりだ。
弟子ではないとはいえ、トリスタンは部下であり従業員なので育てなければいけない。
魔道具を作った時に、どのようなところが気になって突っ込まれるのか。
自身で理解していないといけない。
「え、えっと、それはどのくらいの部屋まで冷やせますか?」
「クーラーの大きさによるな。内蔵された氷と風の魔石が大きいほど、つまり大型になるほど冷却効果は強く、広範囲の気温を下げることができる」
「つまり、狭いスペースを涼しくするために使うには、もっとコンパクトなクーラーがあるってことですかね?」
「そういうことになる」
「それを聞いて安心したわ。自宅にこのサイズの魔道具を設置って考えると困るもの」
今回の試作品は工房の作業部屋を快適にするために作ったのであって、通常の家庭のリビングや独り身の自宅であれば、もっとコンパクトなサイズでも十分涼しく過ごせるだろう。
「風を送り出す強さは、扇風機のように調節できるんですか?」
「ボタンを使って三段階で分けてある。扇風機よりも強力な風を送り出すことができる。こっちのボタンを押すことで、扇風機のように送風モードに切り替えることも可能だ」
「うわっ、本当だ! 風が強いですね!」
早速、ボタンを弄って噴出される風の強さを調節するトリスタン。
噴出される冷風を受けて癖のある金髪が激しく揺れる。
「強まで上げれば、この作業部屋の端にいても風を感じるだろうな」
風速計がない以上、具体的な風速を伝えることはできない。
ただ風の出力については、魔石や魔力回路を弄ることでいくらでも変化するので、大まかな強さや届く範囲を体感して掴んでもらうしかない。
「んー、気持ちがいいわね」
トリスタンだけでなくルージュも傍に寄ってきて冷風を浴びる。
パタパタとシャツを動かして冷風を堪能し、気持ち良さそうな顔をしている。
ルージュの纏っている薔薇の香りが飛んでくるのを感じる中、トリスタンは露骨に胸元に視線を送っていた。
男の性とはいえ、仕方がない部分もあるが少々ガン見し過ぎな気がする。
「トリスタン。女性は露骨な視線に敏感なのよ?」
「うっ、すみません」
「誤魔化さずに謝罪した素直さに免じて許してあげるわ」
暑かったとはいえ、そんな傍でシャツを動かす方に非はあると思うが、そんなことを言うと叩かれる気がするのでやめておこう。
こういう問題において男性は非常に劣勢になるのが常だ。
「ちなみにジルクさんからの視線は感じましたか?」
「まったく感じなかったわね」
「ええ……」
トリスタンから「男の癖に」みたいな視線が向けられる。
「お前のようなむっつりと同じにするな」
ルージュは女とはいえ、従業員であり既婚者だ。
そういう視線を向けることの方が失礼だろうに。
「それにしても、室内にある書類も湿気った様子がないわね」
作業部屋にある設計図の紙を手にして、感心した表情になるルージュ。
「室内の熱い空気から熱を奪って戻しているだけだからな。室内のものが湿気たりする懸念はない」
水魔石を使ってミストのようにすると、どうしても室内が湿気ってしまうからな。
仕事場の温度を快適にするためとはいえ、仕事に支障をきたしては意味がない。
その問題はクリアしている。
「まだまだ色々と検証することはあるが、ひとまず土台になる魔道具は完成したと言えるだろう」
「そうね。色々とドタバタとしていたけど、ようやく完成ね。本当にお疲れ様」
「お疲れ様です、ジルクさん」
「ああ、ありがとう」
クーラーの開発に着手し出したのは春頃。
エイトの結婚式に出席したり、貴族のパーティーに出ることなったり、先にコーヒーミルを作っていたりと回り道をしていたが、今年の夏には何とか間に合いそうだ。
一台完成すれば二台目以降を作ることは難しくない。
うちの工房では単純にマンパワーが足りないので大量生産はできないが、スムーズに次も作ることはできるだろう。
「これで扇風機の取り合いをせずに済むな」
「ええ、非常に嬉しいことだわ」
「俺、今年の夏たくさん働きますよ!」
トリスタンが途端に見せた勤労意欲は、クーラーの設置されている工房に入り浸りたいがためだろう。
「それじゃあ、トリスタン。クーラーを一階に持っておりてくれ」
「え?」
「俺はもう帰るが、お前たちは一階で作業するんだろう?」
「……え、えっと、ルージュさん。今日は二階で仕事しませんか?」
「できなくはないけど、書類やら文房具やら細々としたもの全てを二階に持ってあげるのはしんどいわ」
まあ、できなくはないけど、様々な事務仕事をこなすルージュからすれば面倒に違いない。
それよりもトリスタンが一回クーラーを運ぶ方が効率的だ。
本当はマジックバッグで運べるのだが眠すぎてやる気が出ない。
「今年の夏はたくさん働いてくれるんだろう?」
「ま、任せてください」
俺の一言にトリスタンは弱々しく頷いた。
新連載を始めました。
『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』
https://ncode.syosetu.com/n8343hm/
異世界からやってきた女騎士との農業同居生活です。
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