独身貴族は孤高な馬と駆ける
バカな子供を追い払うことに成功した俺は速やかに屋敷の外に出た。
当初は屋敷の周りを散歩しようとしていたが、周辺をうろついていてはセーラにまた捕捉されるような気がしたのでできるだけ離れる。
かといって、ルーレン家の工房に近づけば魔道具師やその見習いたちに絡まれる可能性がある。
その結果、たどり着いたのが牧場だった。
「ジルク様!」
「カーネル、久し振りだな」
牧場を練り歩いていると、飼育員長のカーネルが挨拶をしてくれる。
「最近はちょくちょく帰ってこられてますね?」
「事あるごとに家族が呼びつけてくるんだ」
「男はものぐさで中々帰ってこないですからね。家族がうるさく言うくらいでちょうどいいんですよ」
苦笑する俺を見て、カーネルがガハハと陽気に笑う。
俺としては放っておいて欲しいくらいなんだけどな。
馬舎にはたくさんの馬が並んでおり、飼育員たちが蹄の掃除をしたり、ブラッシングしたりと甲斐甲斐しく世話をしているようだ。
「それにしてもジルク様も立派に育ちましたね。艶やかな毛並みに白い肌。スラリとした引き締まった体躯……」
チラリと俺の身体を観察するカーネル。
その視線は家畜の成長ぶりを喜び、売り値を推測されているようである。俺は馬じゃないぞ。
「まあ、育ったというかもう既に大人だからな。そういえば、新しく魔物を増やしたと耳に挟んだ」
視線に不穏なものを感じた俺は話題を逸らす。
「ええ、仕入れましたよ。雷電羊と鉱石亀です」
そう、ルーレン家の屋敷では馬や羊などの畜産動物の他に、魔道具の素材となる魔物も育てている。
勿論、飼育するのは温厚で人を襲うことのない種類であり、それでいて魔道具の素材となる魔物だ。
カーネルに案内してもらって頑丈な壁で隔離されて区画へと入る。
すると、そこには黒い角に青い体毛を纏った大きな羊がいた。
「こいつが雷電羊か……」
「メエエッ!」
少し近寄ると、雷電羊がいななき声を上げて、バチバチと帯電させた。
「元々臆病な性格の上に、まだここにやってきたばかりで慣れていません。残念ながらこれ以上近づくのはやめた方がいいかと」
「そうみたいだな」
警戒の眼差しを向け、バチバチと雷を帯電させる雷電羊を見ると、不用意に近づくのは得策ではない。
遠くにいる個体は帯電こそしていないが、新しく入ってきた俺を警戒するように見つめていた。
「飼育が上手くいけば、安定して少しずつ雷電羊の角や体毛が手に入ります」
「それは楽しみだ」
雷電羊の角には強い雷の力が宿っており、毛は電気を通さない特殊な性質を持っている。
雷の力を利用した魔道具や、雷に耐性を持つ魔道具などが作れる。
入手するのと加工するのが難しいが非常に有益な素材だ。
それが定期的に領内で手に入るのは大きい。素材が手に入る時が楽しみだ。
雷電羊の群れから離れて移動すると、灰色の亀たちがいた。
「こちらは鉱石亀ですね」
「ほう」
三メートルほどの大きさを誇る大きな亀。
その背中には様々な鉱石や水晶を生やしている。
俺やカーネルがやってきても視線一つ寄越さず、まったく気にした様子がない。
のっそのっそと歩いて日向ぼっこを楽しんでいるようだ。
「鉱石を食べることでそれらの成分を体内で凝縮し、高純度な鉱石を背中に生やします」
「んん? それでこいつを育てるメリットがあるのか?」
普段の食費で鉱石を毎日与えるとする。その消費した鉱石以上の数を生やしてもらい、採取しないと育てるメリットが明らかにない。
食費ばかりがかさみ、結果として普通に鉱石を買い付ける方が安くなったりしないだろうか?
「その点は問題ありません。鉱石亀の素晴らしいところは屑鉱石でも体内で凝縮して、質のいい鉱石を作り出せることなんです」
「なるほど。それなら飼育するメリットはあるな」
売り値にならない屑鉱石などを餌として与え、質のいい鉱石を精錬させる。
まるで錬金術師のようだな。
屑鉱石などは炭鉱場や鍛冶師からでも捨て値で買い取ることができる。食費はほとんどかからないも同然だ。
「精錬されて背中に生えるのは約一か月程度ですね。今のところ飼育も順調なので、もう少し数を増やしてみたいところです」
「それなりの数がいるように見えるが、まだ増やすのか?」
「鉱石亀には食の好みがあって、収穫したい他の鉱石なんかを食べてくれないんです」
「鉱石亀にも好き嫌いはあるということか……」
一体から様々な種類の鉱石が採取できれば一番であるが、そうはいかないようだ。
●
飼育されている魔物を一通り見て回ると、俺たちは動物区画に戻ってきた。
やはり、魔物と動物では危険度が違うからだろう。こちらは仰々しい感じはなく、如何にも牧歌的な普通の牧場だ。
なんとなく牧場を眺めていると、一頭の黒馬と視線が合った。
他の馬よりも二回りも大きく、とても美しい毛並みに発達した筋肉を持っている。
とても美しい黒馬。
「ジルク様、久し振りにセブルに乗ってくれませんか?」
「いいだろう」
柵を開けてもらって中に入り、セブルへと近づく。
さっきまで視線を向けていた癖に俺がやってくると興味がない風を装っていた。
「久し振りだな」
身体を撫でながら声をかけると、セブルは軽く視線だけを向けた。
他の馬と違って体を摺り寄せてきたり、匂いを嗅いできたりはしない。
そんな可愛げのないところが、いつものセブルだ。
「セブルは相変わらずか?」
「ええ、相変わらずですよ。他の馬と群れることもなく、ジルク様以外は誰も背中に乗せません」
セブルはいつも一人だ。
他の馬と群れることも飼育員にも懐くことはない。一人で悠然と生活している。
そんな気高い性格が俺は気に入っており、セブルも似たような性格をしている俺にだけは気を許してくれているのだ。
軽く身体を撫でると滑らかな毛並みがとても心地よい。
発達した筋肉の凹凸が素晴らしく、純粋に見ていて美しいな。
「見てわかる通り、優秀な雄なんですけど、どの雌ともくっついてくれなくて……」
「いいじゃないか。こいつは独りが好きなんだ。好きにさせてやれ」
「これほどいい馬なんですよ? 子供もきっと素晴らしい馬になるはずなのに……ジルク様と一緒です」
「最後の一言は余計だ」
焦れったさと一緒にシレッと皮肉を混ぜてくるカーネル。
別に独身でもいいじゃないか。誰に迷惑をかけているわけでもない。
カーネルの残念そうな視線から逃れるようにして、セブルの背にまたがった。
視点が少し高くなり牧場内を見渡せるようになった。
「やはり、まともに乗ることができるのはジルク様だけですね」
カーネルが手綱を装着させながらぼやく。
そう今のところセブルに乗ることができるのは俺だけだ。
飼育員や領民、ルーレン家の家族を合わせても他に乗ることができた者はいない。
「どうすれば他の人も乗れますかね?」
「独りでいることを尊ぶ気持ちを持て」
独りで過ごしていることに敬意を払いながら接すれば、セブルは乗せてくれるだろう。
そんな風にアドバイスを送るが、カーネルは理解ができないとばかりに首を捻っている。
まあ、長年独身者を貫いてきた者でもない限り、すぐに理解するのは難しいか。
「はっ!」
セブルの腹を軽く足で叩くと、セブルが駆け足で走り出す。
やがて、速度はドンドンと加速していき、カーネルが遠くへと消えていく。
日常生活では体験することのできない速度。
パカラパカラと地面を駆ける音が心地よく、まるで風になったかのような爽快感が快適だ。
向かう先なんて特に決めていない。
セブルの好きな速度で好きな場所に行ってもらえればいい。
俺は背中に乗せてもらって、この爽快感を味遭わせてもらうだけ。
それで十分だ。
俺はセブルの気の向くままに牧場内を駆け回った。