独身貴族と先客は燻製を楽しむ
本の世界に没頭していた俺だが、自らの腹から鳴った空腹の音に我に返る。
「昼食の時間か……」
気が付けば太陽は中天を過ぎており、すっかりと昼になっていた。
もう少し物語を読み進めたい思いもあったが、空腹を感じては集中することはできない。
読みかけていたページに栞を挟んで、俺は本を一旦端に置くことにした。
「これだけ燻していたんだ。しっかり味が染みているだろう」
途中で魔道具は止めてあるが、密閉された箱の中では今も煙が漂っている。
きっと中にある食材にしっかりと味がついているに違いない。
わくわくとしながら密閉された箱の蓋を開ける。
すると、中に籠っていた煙がもわっと立ち昇った。
箱の中に入れていた食材はすっかりと燻されており、茶色く変色して香ばしい匂いを漂わせていた。
「うおー! 美味そうだな!」
言葉を漏らしたのは俺ではない。
気付けば傍には、琥珀色の髪をした男性がいた。
年齢は俺と同じか少し年下くらいか? 空色の瞳を無邪気に輝かせて燻製された食材を見つめている。
「なんだお前は?」
「俺か? 俺はエイトだ」
いや、そういう意味ではないのだが……。
突然の闖入者に驚いていた俺だが、深呼吸すると落ち着きを取り戻す。
斜め方向を見ると、イスに座っていた先客はいない。
多分、こいつがあそこに座っていた先客なのだろう。
「そんなに警戒するなって。ちょっと美味そうな匂いがしたから気になってきたんだ」
「それなら目的は達成しただろ。自分のところに戻れ」
「なあ、変な煙かけてたが、これって美味いのか?」
全然、俺の話を聞いていない。こいつについている耳は飾りなのだろうか。
いや、意図して無視しているのだろうな。
「……マズいものを外にまで持ってきて作るわけないだろ」
「ちょっと食わせてくれよ」
どうやらこのエイトという男は燻製料理というものを食べたことがないらしい。
仕方がないので串を一本渡してやると、彼は迷いの末に王道のチーズを選んだ。
串でチーズを刺すと、そのまま持ち上げてスンスンと匂いをかぐ。
「なんか独特な匂いがするな! 煙臭くねえ、不思議な匂いだ!」
そんな風にひとしきり一人で騒ぐとエイトはチーズをパクリと口にした。
「美味い!」
予想通りの反応に思わず口角が上がってしまう。
「これどこのチーズだ? 特別なチーズを使っていたりするのか?」
「いや、中央区の市場にある普通のチーズだ。一ブロックで銀貨一枚もしない程度のな」
「そんなどこにでもあるチーズがこんなに味わい深くなるのか。香ばしいというか独特な風味もあって、旨味が何段階も引き上げられたような感じの……」
チーズの質も高いに越したことはないが、普通のチーズでも十分美味しくなるものだ。
「これは何という料理なんだ?」
「燻製料理だ。今回は熱燻という方法で調理した」
「燻製料理……ただ、煙をかけただけでこんなに美味くなるのか」
「ただ煙をかけるんじゃなく、いい風味が出る厳選されたチップを使わないとダメだがな」
そこら辺にある木をチップにしても、ここまでのいい風味は出ない。
それぞれの食材に合うチップや、それらを組み合わせてこそ複雑な風味と旨味が引き出される。
「これがチップってやつか? 乾燥させた樹皮か?」
「そうだ。ちなみにこれはリンゴの木を使っている」
チップの入った袋を見せると、彼は感心したように匂いを嗅いでいた。
なんだか犬みたいだな。
彼が十分に満足したところで俺はチップの袋を回収させてもらう。
「他のやつも食べてみてもいいか?」
「皿を持ってこい。盛り付けたら自分のところに戻れ」
「ありがとな」
エイトは礼を言うと、ササッと走り出して自分のテントに戻った。
そして、自分の平皿だけでなくワイン瓶を持って戻ってくる。
「美味い飯を食わせてくれる礼だ。コップに注いでやるよ」
「いただこう」
妙に距離感の近い男だが、それなりの礼儀は弁えているようだ。
コップを渡すと、エイトがワイン瓶から赤ワインを注ぐ。
それとなくラベルに視線をやった俺はその銘柄に驚く。
「……それセルベロスのワインじゃないか」
ワインの名産地セルベロスで作られた稀少なワイン。
栄養豊富な土壌で育てられたブドウを使い、特別な加工方法で作られているために流通するのは年に百本。
その美味しさはピカイチで王族や高位の貴族がこぞって買い上げるために、中流以下のものでは中々手に入れることのできないワインだ。金があるからといって手に入る代物ではない。
「おっ、知ってるってことはお前も中々の好きものだな? 貴重なもんだから味わって呑めよ」
「感謝する」
そう笑うエイトの顔にいやみはなく、自信のある一品を自慢したい男の笑みだった。
エイトはワインを注ぎ終えると、軽く布で拭って蓋を閉める。
その動きに淀みはなく、まるで高級酒場にいるウェイターのようだった。
前世のキャンプでもこうやってソロキャンパー同士が食事の交換をし合うことがあったな。
いいものにいいもので返す。その精神は嫌いじゃない。
エイトから平皿を受け取った俺は、チーズ、玉子、ベーコン、ナッツ、ピーナッツと全種類の食材を盛り付けてやった。
エイトは嬉しそうにそれを受け取ると、大人しく自分のイスへと戻っていった。
悪い奴ではないが、せっかくここまでやってきたんだ。本来の目的通り一人で楽しみたい。
「まずはセルベロスのワインから呑むか」
せっかくの希少な頂き物だ。他の食材で舌が鈍らない内に純粋な味を確かめておきたい。
豊かな香りを少し楽しんでから俺はコップに口をつける。
凝縮されたブドウの味にそれを支える爽やかなミネラル感。
「さすがに美味い……が、これは肉やチーズと一緒に食べた方が合いそうだな」
この凝縮された味には肉やチーズといったボリューム感のある食材と合わせるのがいいだろう。俺の中ではそう結論づけた。
それを試してみるべく、俺は燻しベーコンに串を刺して口に入れた。
元からしっかりとした下味に脂身の乗ったベーコン。そこに燻製の風味と旨味まで加わると美味しくないはずがない。
口の中でぷりぷりとしたベーコンが踊り、旨味を存分に吐き出す。
そして、それをセルベロスのワインと一緒に流す。
ワインの果実味が肉の旨味を引き出し、燻製の風味を引き立てつつもタンニンと酸で全体を引き締めている。
「やっぱり合うな」
俺の見立て通り、インパクトのあるベーコンとの相性はバッチリだった。
「美味い!」
ワインを眺めながら感心していると、斜め向かいに座っているエイトが叫びながら足をバタバタとさせていた。
向こうも燻製料理とワインの相性に気付いたのだろうか。
妙に存在感のあるやつだが、うちはうちでよそはよそだ。
気を取り直して俺はチーズに手をつける。
市場のチーズは薫香でしっかりとコーティングされてか、表面が少し硬くなり、黄色味を増していた。
崩れにくくなったチーズに串を刺すと、そのまま口へ。
元の味は市場に溢れる普通のチーズ。しかし、燻製されて豊かな風味が加わったお陰かリッチな味わいのチーズになっている。
そして、再びセルベロスのワイン。
口の中に強く残ってしまう濃厚なチーズをワインが流してくれる。
後味をスッキリとさせながらも旨味が後を引いて堪らない。
チーズを食べると次は味付け玉子だ。
燻製される前まではソースの色で薄っすらとした褐色肌であったが、今では完全な褐色肌になっている。
香りを堪能しながら燻製味付け玉子をぱくり。
下味の甘めのソースと燻製の風味が絶妙にマッチしている。
燻製時間もちょうど良かったからか白身も硬くなっておらず、半熟にさせておいた黄身の甘味がとろりとやってくる。
「……美味いな」
前回は茹で時間や味付け具合が微妙だったが、今回は黄身の半熟具合といい全てが自分好みなので完璧だ。
家で作って食べるのもいいが、外で食べるとより美味しく感じるな。
大人数で食べると美味いというのには疑問を呈する俺であるが、この定説については全面的に同意だった。
主な食材を食べ終わると、燻製ナッツとピーナッツをつまみながら湖で釣りを楽しんだ。
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