1.女王と王配
本編開始です。
※2020/11/25加筆修正いたしました。
一人の女性が豪華な寝室で鼻歌を歌っていた。
すぐ近くには彼女の夫と思われる男性が、その様子を見ていた。
「うふふっ!」
夫婦がいるのはケレース王国という国だ。
ケレース王国はパランゲア大陸の東側にある、四方を山々に囲まれた南北に細長い内陸国である。
この国は現在、若い女王が治めている。
この女王が即位してからまだ二年ほどだ。
女王の前の王は非道の限りを尽くしたが、連合国軍に妻子共々誅伐された。
女王は誅伐時、王城の東の外れにある塔で幽閉されていた。
その女王、当時王女を救ったのが連合国軍の司令官を務めていた、ケレース王国の隣国のセマルグル王国の第二王子だった。
後にこの二人は恋に落ち結婚した。
それは昨夏のことである。
「ねぇ見て!リーザから小説が届いたの!流行っている恋愛小説ですって!」
金髪碧眼で見るからにお姫様のような容姿をしている女性がケレース王国女王だ。
女王は友人から届いた本を王配に見せた後、うっとりと小説の表紙を眺めていた。
「…エレオノーラ、その本は読んではいけない」
青みを帯びた黒髪と、髪色より少し薄い色の目をした長身の男性が王配だ。
王配はいつもなら反対しないので女王は首を傾げた。
王配の顔はまさに真剣そのものだった。
いや、敵と対峙しているかのように鋭い目つきをしていた。
「どうして?セマルグルだけじゃなくて世界中で流行っているんですって!まだケレースには入ってきていないから、わざわざ送ってきてくれたのよ」
女王は小説を両手で持って王配に表紙を見せながら言った。
「流行っていようがなかろうが、駄目なものは駄目だ」
王配は険しい顔つきで小説から目をそらせた。
「モコシュ大公国の劇団がこのお話のお芝居をしているんですって」
女王は興味を持ってもらおうと必死に説明している。
小説を持ちながら王配の視線の先に移動した。
「芝居の方が先だな…。あ…」
「アレクセイ、知ってたの?」
女王は目を丸くして王配の名前を呼んだ。
王配はやや唇に力が入り、気まずそうな顔つきになった。
「…ああ、セマルグルにいた頃に侍従達が話しているのを聞いたんだ。とても人気のある芝居だそうだ」
彼はしまったと思ったが誤魔化さずに事実を言った。
「へぇ、そんなに人気があるお芝居なのね。じゃあやっぱり読まないといけないわよね」
女王はにっこりと笑顔だ。
「いや、駄目だ」
「駄目と言われても読むわ。だってちゃんと恋愛について学ばないといけないもの」
「毎夜毎夜、愛を語り合っているのだから必要ないだろう」
「なっ!……へぇ、キールさんって方が書いているのね」
女王は王配の言葉を無視した。
無視したが、頬は真っ赤だ。
「いや、キリルだろう」
「キリル殿は大公代理…いえ、今は大公だったわね」
キリルはモコシュ大公国の大公で、女王と王配のそれぞれの血縁者でもある。
大公から数えて五代前にケレース王国の王族とモコシュ大公の公族と婚姻関係がある。
そして王配は大公とはとこである。
「あいつ筆名を使ってたのか…」
「え?確かにキールとキリルは似ているかもしれないけど考えすぎよ。いくら有能な方だからって、本を執筆する時間を割くなんて難しいわよ」
女王は無邪気な笑顔で言ったが、王配は顔を歪ませた。
大公がその難しい事をやってのけたのを知っているからだ。
「あらすじを見てみましょう…。まぁ…、囚われていた王女を王子が助けてくれたのね。十年も幽閉されていたなんて……」
女王の悲しげ顔をよそに、王配は頭を抱えた。
何を隠そう、その恋愛小説は女王と王配の馴れ初めを元にしているのだ。
「…惹かれあう二人に数々の試練が待ち受けているのね。なんだか大変そうなお話ね」
「そのようだな…」
「読み終わったらアレクセイにも貸すわね」
女王は満面の笑みを浮かべた。
この笑顔を見たら王配はもう何も言えない。
王配は女王に弱かった。
「ありがとう、エレオノーラ…」
王配は苦笑いとため息をついた。
しかし女王はすでに小説を読むのに取りかかっており、集中していて気付かなかったようだ。
「ふぅ…」
女王は本に栞を挟んで閉じ、机の上に置いた。
「切りのいい所まで読めたのか?」
それを見て王配が女王に話しかけた。
女王が本を読み終えるまで声を掛けずにいたのだ。
「ええ。雲行きが怪しくなってきた所よ。一つ解決したと思ったら次から次へと問題が出てくるの。今は王女が本物かどうか疑いを掛けられそうな場面よ。はぁ…自分の存在自体を全て否定されたような気持ちになるのよね…」
女王は自身の過去を思い出し、悲痛な面持ちになった。
「そうか…」
王配も当時の女王を思い出したのか、少し悲しげな顔をして言った。
「私はこの王女の気持ちは世界で一番理解出来ると思うわ」
女王はどこか得意気だった。
「だろうな…」
王配は自分達の話が元になっていると言えず、女王の言葉に渋面で相づちを打った。
「王子が王女にかける言葉がいつも温かくて愛情深くていいわね。例えば――」
「エレオノーラ…今は俺たちの時間をすごそう」
王配は女王を抱きしめ、互いの唇と唇を合わせた。
大公はかなり脚色して物語を書いたらしく、女王や王配が絶対に言わないであろう言葉が羅列してあるらしい。
王配は彼らが言ってもいない言葉を女王の口から聞きたくなかったのだ。
「おはよう、エレオノーラ」
「ええ…」
王配は上体を起こし寝間着を着ていた。
女王はいつもより早い時間なのにどうしてだろうと、まどろみながら思った。
そう思いながらも、また夢の中に入りそうになっていた。
毛布の中の暖かさが余計にそうさせた。
「エレオノーラ、俺が今日と明日は中央領に行かねばならないのを忘れているのか?」
王配は女王の頬に優しく手を添えながら言った。
王都の隣にある中央領には領主がいなかったが、現在は王配が大公として領主を務めている。
実務は宰相の部下が行っているが、月に一回、王配が顔を出しに行っているのだ。
そうすると領民の反応も良くなる。
「はっ!」
女王は慌てて起き上がろうとしたが、王配が優しく寝台に押し返した。
「明日の夜には戻る」
王配は女王の耳元で小さく低い声で囁いた。
「お見送りしないと…」
女王は王配の目を見つめた。
声は消え入りそうだった。
「疲れているだろうからまだ寝ていろ…」
王配は女王の頬を撫で、軽く口吸いをした。
「行ってらっしゃい…」
「おう、行ってくる」
女王は王配の大きな背中を見送った。
それと同時に後悔した。
昨日、王配は女王の読書を止めようとしたのは、今日と明日はほとんど顔を合わせないので二人の時間を作ろうとしたのではないかと。
実際、王配は単純に自身らが元になった恋愛小説を読んで欲しくなかっただけだが、女王は知るよしもなかった。
後悔しながら女王は再び眠りについた。
「以上でございます。何か質問はございますかな?」
車椅子に乗った小柄な老人が言った。
「ええっと…宰相、じゃなくてジュゼッペ先生」
女王は老人の名前を呼んだ。
この老人はつい先日まで宰相を務めていた。
現在は後進に譲り、女王の教育係になっている。
女王は十年もの長い間、塔で生活していたので知識が偏っている。
「ほほっ、なんですかな?」
先生は笑顔で答える。
「風も農業に影響するの?」
農業はケレース王国の主要産業だった。
現在は復興中なので輸入出来るほどの量はないが、生産量が増えれば輸出したいと考えている。
「まず、この国には季節によって性質の異なる風が吹きます。夏は北から湿った温かい風が、冬は南から乾いた冷たい風が吹きますね」
このケレース王国があるパランゲア大陸は南半球にある。
「ええ、北の方が海に近いから湿っているのね。それで南側はセマルグル王国の広大な国土を通過してくるから乾いているのよね。作物が好む気候…雨量や気温、土壌があると思うのだけど、風は何か影響あるのかと思ったの」
「ま、単純に強風で作物が倒れると厄介でございましょうな」
「ええ、それはそうよね」
女王は頷いた。
「風よりも土壌や雨量の方が重要だと思いますよ。天候には風も関係しますが、我が国ですと風によって農作物がどうこうなるとはならないですね。そもそも背丈が高くなる作物はそんなに作っていないですし、作っていても添え木をしているでしょうな」
「西や東からの風はどうなの?山があるからフェーン現象やボーラ現象とかは?熱い風や冷たい風が来たら農作物にも被害が出るのではないかしら?」
女王は地図を指さしながら言った。
その指は細くて白く、爪は綺麗に整えられていた。
「いえ、東西からからっ風が吹くことがありますが、そこまで甚大な被害は出ませんね」
「風は心配しなくていいのね。…降水量もあるし、雪解け水もあるから飲料水や農業用水を心配しなくていいのよね」
「ええ、そうでございます。では本日授業はここまでです」
「ありがとう」
侍女がジュゼッペ先生を送って行こうと執務室の戸を開けると、外には小さな子ども達が待っていた。
子ども達は官舎で暮らしている子達だ。
先生を迎えに来る時だけ女王の執務室前まで来るのを許している。
「先生、昨日の続き教えて!」
「ほほほっ、少し休憩したら教えてあげましょう」
「わーい!」
子ども達は喜び、先生と共に執務室から去って行った。
先生は就学前の子どもの面倒を見てくれているし、子ども達も先生の手伝いをしてくれおり、子ども達には主体性出てきたそうだ。
先生も子ども達に刺激され呆けずに済むと言っていた。
彼らは互いに助け合って生活しているようだ。
女王は執務が終わると夕食を食べた。
今日は王配がいないので寝室で一人きりだった。
月に一度とは言え、二人で食事をするのに慣れてきているので寂しさを感じた。
(ずっと一人だったから平気かと思ったけど、そうでもないわね…)
女王は力なくため息をついた。
女王の王女時代はほとんどの時間を塔の中で過ごした。
食事中は侍女はいたが彼女達は塔の滞在時間も決められていたため、他の仕事せざるを得なかった。
なので女王は一人で食事を食べていた。
浴場で侍女達に手伝われながら頭や体を洗った。
そして髪と体を乾かす。
いつもなら乾かし終わる頃に王配がやって来る。
はじめは驚いたが、いつしか当たり前の光景になっていた。
全作業を終え寝室に戻ると侍女達は帰って行った。
広い寝室に女王一人だけになってしまった。
(アレクセイ、早く帰って来てくれないかしら…)
女王は肩を落とし王配を思った。
王配も同じ気持ちでいてくれるだろうか。
そうでなくても少しくらい自分を思い出してくれるだろうか。
女王はそう思いながら小説を手に取った。
(この小説読むと余計にアレクセイを思い出してしまうわ。小説だと分かっているのに、まるで私自身に起きたかなような錯覚に陥ってしまうの…)
女王がこの小説の真実を知るのはいつだろうか。
女王は小説を引き出しにしまい、就寝することにした。
早く寝たところで、早く王配が帰ってくる訳でもないが、小説を読んで王配を思い出すよりましだと思ったのだろう。
女王は寝台に横になったが、いつも隣で寝るはずの王配がおらず寂しくなった。
寝台は一人で寝るには広すぎる。
もっとも、二人で寝るのにも十分すぎる大きさがあるのだが。
(冷たい…)
もう春だが夜は冷える。
いつもだったら二人分の体温ですぐに暖まるが今夜は違う。
なかなか暖まらない。
(毎月のことなのに全然慣れないわね…)
女王は寝台脇にある机の上に置いてある熊のぬいぐるみに視線を向けた。
熊のぬいぐるみは洋服を着せられていた。
女王が侍女達に習いながら作った服だった。
熊のぬいぐるみは王配からの贈り物だ。
まだ連合国軍の司令官として派遣されていた時に女王に贈ったのだ。
熊のぬいぐるみは王配の髪の毛と同じ色をしているので、二人が離ればなれだった時に女王はこれを見て王配を思い出していた。
王配は結婚した時にこの熊のぬいぐるみと再会したが、服を着せられているとは思っていなかったらしく、とても驚いていた。
他にも連載作品があるので、お暇なときに読んで見てください。