37.祇園さん
病院の前、待ち合わせ時間。
浴衣に身を包んだアオイが歩いてくる。
白地に藍色の花が鮮やかで、纏め上げた髪の毛も相まって、幼さと色っぽさの狭間で揺れる思春期特有の色香が漂い、京都の蒸し暑さも吹き飛ぶような静謐さ。……なのだけど。
「おっす。……なぜにサングラスか?」
せっかく似合っている浴衣が台無しになるような大きくて黒いサングラスをつけていたのだ。
するとアオイ。
「お待たせしました。……スティービー・ワンダーですが何か?」
さも当然と言わんばかりの堂々たる態度で答えやがった。
「なんだそりゃ。言い訳するにしても、せめて現代に照らし合わせた知名度を求む」
「なんですと? なら、ボブ・ディラン?」
「いや、そこそこのファン以外それほどサングラスのイメージはないし」
俺たちはバス停へ向けて歩きながら、いつも通りの調子で話す。
「難しいことを言いますね。あとはレイ・チャールズくらいしか思いつきませんけど」
「日本人にいくらでも居るだろう。例えばほら、マルサの女とか」
「……嘘でしょう? 今まで私に言った悪いところが全部出てますよ。パッケージイラストは確かサングラスだった気がしますがサングラスのイメージもそれほどないし、現代での知名度なんてワンダー以上に壊滅的じゃないですか」
「いくらなんでも壊滅的は言いすぎだけど、まぁいい。だったら井上陽水とか静かなるドンの香川照之なら良いわけだろ?」
「無いです。全然無い。まだしも陽水さんは良いとしましょう。でも、静かなるドンは全っ然無いです。コンビニで漫画は見かけたことあるのでサングラスだって事はわかりますが、香川照之さんを出してくるあたり何言ってるのかすらわかりません」
「そりゃお前、Vシネマ版に決まってるだろうに」
「すいません。残念ながら本当に知りません。イナホさんのチョイスは私以上のスカタンです」
「スカタン言うな。……それより、スティービー・ワンダーを『ワンダー』って呼んでることが気になってしょうがない」
「……え? だって、ボブ・ディランは『ディラン』だし、デヴィッド・ボウイも『ボウイ』でしょ? あとはピストルズのボーカルだって『ロットン』だし、ジャニス・ジョプリンも『ジョプリン』です。ほら、スティービー・ワンダーだけ『ワンダー』って呼んじゃいけない道理は無いと思いません?」
「まぁ、ディランやボウイあたりは普通に呼ぶだろうし、他の人も別に呼んじゃイケないってことはない。呼んでもいいが、世間的にクソマイノリティーなのは事実だ。少なくとも俺はジャニス・ジョプリンのことを『ジョプリン』って呼ぶ奴を見たことが無いし、一応突っ込んでおくならジョニー・ロットンはあだ名だろう。『腐ったジョニー』とかそういう意味だったはずだし、そいつを出した時点で気がついてるとは思うけどシド・ヴィシャスは『シド』としか呼ばんし、グレン・マトロックはフルネームで呼んでようやく伝わる」
「イナホさんやい。そもそもグレン・マトロックが誰かに伝わると思ってるんですか?」
「お前には伝わるだろうよ」
「今までの知名度縛りを根底から覆す発言……!」
「今のは例えだからノーカンでお願いします。……というか、今言った全員、普通の十代女子から出てくる名前じゃねぇからな? ロックの話ならせめてクイーンあたりにしとけ」
「むぅ、クイーンといえば、中学生の頃に好きなミュージシャンを聞かれてクイーンが好きだと言ったら、後期フレディの画像をプリントアウトしてきた誰かが教室の後ろに貼り付けて、『アオイの好きな男』と書かれてクラス全員でクソみそに馬鹿にされたのを私は忘れません。フレディーはもちろん好きですが、本当はブライアン・メイのギターの音が一番堪らないのに、そんなこと言い出しても言い訳にしかならなくてとにかくクソみそでした。そんな私という過去を忘れて『フレディーの歌詞っていうのはさー』とか言ってる人が居るんじゃないかと想像するだけでムキャーってなります。おっといけない。熱が入りすぎました。……というか、イナホさんはどの口で言ってるんですか。サングラスでマルサの女を例に出したことは忘れてませんからね?」
「そのしつこさ、国税局並の厳しさだな」
「全然上手くないですから。今のも断固抗議します。なんなら一生……は、アレなので、今日一日言い続けてやります」
「……なんの優しさを見せた。今の冗談はマジで謝るから許せ。まぁ、それはいいとして、……サングラス、流石に暗くなったら外せよ? コケても知らねーぞ?」
サングラスは流石に趣味でかけてる訳じゃないだろうし、ほんの少し鼻声なのは、まぁ、そういうことなんだろう。
だから俺は気が付かないフリをしてそう言った。
「ふふっ、はーい、お母さん」
アオイも楽しそうにしているし、きっとそれで良いのだろう。
「誰がお母さんだ。じゃあまぁ取り敢えず行くか。豚マン食いに」
「やた! 祇園祭限定の豚マンですね! 早速食べに行きましょう!」
そうして、京都の夏の一大事。祇園祭に繰り出した。
※※※
まずは屋台が立ち並ぶ烏丸通と四条通の交差点へ向かう。
宵山――本祭の前日――である今日は、この周辺は歩行者天国となっており、大通りには的屋の屋台が馬鹿みたいに並び、脇道にでは元々其処にあるお店や個人がこの日の為に趣向を凝らしたオリジナルの屋台を出している。
食べ歩き勢である俺たちにとっては天国なのだけど、どの道を歩いても魅力的な食べ物が溢れていて、目に付いたものをパクパク食べているとすぐにお腹がいっぱいになってしまうので、細心の注意を払って歩かなければならない。
――食うか、我慢するか。
一歩足を進めるごとに選択を迫られ、その一つ一つの決断によって道を作られる。今日という日はどこにたどり着くのか。満足か、後悔か。
祇園祭が人生の縮図であると言われている由縁だろう。
……すまん。そんな風には言われてないし、財布やお腹の具合と相談して気が向いたまま好きなように食いまくれば良い。
ってなわけで俺たちも食いまくるわけだ。
とある中華料理屋が祇園祭の前祭限定で出す『しみだれ豚饅』を食い、ラムネを飲み、この辺にあったベーコンエッグたい焼きを食べ、高級スーパーの前で焼かれている焼きとうもろこしをハフり、ちゃんとわらび粉から作られたわらび餅を見つけてはモグモグ。
心読丸とそっくりなキツネのお面を買ったり、合間に山鉾のひとつである綾傘鉾の棒振り踊を見て、棒を振り回して悪鬼を払う舞いをかっけぇーと思ったり、また別の鉾の近所でお囃子を聞きながらヨーヨー釣りや射的に興じたり。
一言でいうならば、楽しい時間が過ぎていった。
二言三言足すならば、圧倒的な人ごみのせいでアオイとの身体的密着度はかなり高かったのだけど、やはり、どこかしら心の距離に寂しさを憶えるというか、初めは楽しそうにしていたアオイなんだけど、徐々に言葉が減っていったというか。
祭りも終わりに差し掛かった今となってはアオイは無言で俯いたままだった。
疲れたのかな? なんてことは、流石の俺でも思わない。
……そろそろか。
そう思って、偶然見つけた比較的人の少ない公園に入ると、案の定というか、想像通りというか。
一度手を離してしまえばまた逢うことも難しい人ごみの中で、アオイは離れ離れにならないようにずっと俺の袖を掴んでいたわけなんだけど、今、その手は力なく離れていった。
二人の距離は少しだけ離れて、俺は顔に着けっぱなしにしていたお面を外した。
「……あの」
「うん」
アオイはうつ向いたままで、次の言葉が続かなかった。
時間が止まったような空白。
「……いいよ。言ってみな」
なかなか話し出さないアオイに助け舟を出すつもりで言った言葉なんだけど、それを聞いたアオイが一瞬泣きそうな顔に見えた。
だけど、それは気のせいだったのか、顔を上げたアオイは微笑んで言った。
「……私、【修復同盟】に行きます」
ただ、それだけ言った。
想定内だ。
昨日からその話をされると思っていた。
いや、むしろ、初めてカミヤに勧誘の話を持ち掛けられた時から、そうなるんじゃないかって、そうなった時の為に心の準備をし続けて、笑って話しそうと思っていたはずなのに。
「……そうか。……うん。……そうか」
いざその時が来てみると、言葉なんか上手く出なくて。
誰にも聞こえない程小さな声しか出なかったんじゃないだろうか。
だけど、その声が夜の闇に溶け込んでいくと、祭りの後の熱を帯びた静寂が、ギュッと密度を増したように思えた。
次で3章ラストです。
今日の十時くらいに投稿できるかと。




