27.ポツリと雨が降ってきた
クルリと共に心読丸討伐をすることにした俺たちは、その日のうちに買い出しを済ませ翌日の朝には出立することになった。
少し早急に過ぎると考えなくもないが、クルリが得た『心読丸の正体は地狐』という情報が出回ってしまうと【地狐の妙薬】目当てで討伐に乗り出す人間がアホほど増えるだろう。
誰かを治したい人間はいくらでも居るわけで、それを欲しがる人が多くいるということは莫大なお金になるということなのだから、決してのんびりしている時間はなかった。
※※※
朝一番。ドンヨリとした曇り空。
糺の森の入り口あたりに車を止め、研ぎに出していた鉈を赤毛の鍛冶屋から受け取った。
イチカはティーシャツにジーパンという軽装だというのに、スラリとした体形のおかげでオシャレに見えるのだから何だかズルい。
そして、その整った顔で殺意すら籠ってそうな鋭い視線を寄越してくるのだから溜まったものでは無い。
『お前のためにも行ってくるんだぜ』……なんてことは口が裂けても言わない。言うつもりもない。
もし俺たちが失敗して死んでしまった時、こいつはきっと自分の所為だと嘆き、恨み、塞ぎこみそうな気がする。
そんなことは俺たちの望むところではないのだ。
もっと本当の事を言えば、こいつの為でもないし、クルリやフキさん、ツバメ、ましてやカイの為なんてことはもちろんなくて、全部は俺たちがそうしたいと思ったから行くだけだ。
だから、例え失敗したとしても的外れな自責なんてしてほしくないし、俺たちは彼女にそんな事をさせる理由を作ってはならない。
てな感じで、イチカにすべてを話すつもりは無かったけど、何も話さずに心読丸討伐へ向かうというのも、それはそれで違うようにも思えた。だから。
「クルリに誘われたから行ってくらぁ。帰ったらキツネ鍋な」
と言ったら、心読丸すら貫けそうな鋭い視線を頂いたわけだ。
「……私が変な事を口走ったからか?」
ぶっきらぼうなイチカ。
「……いや、関係ない。お前は別にそんなことを望んで無いってくらいはわかってる。理由は単にクルリに頼まれたから。俺たちにはそれが出来そうに思えたし、何より報酬が俺たち好みだったってだけだ」
一応嘘は言っていない。クルリの助けになるのなら、ツバメの病気がよくなるのなら、お前の心が救われるのなら、俺にとっては十分にやりがいのある仕事なわけで。
「……帰ってきたらぶん殴ってやるから」
納得してくれたのかはわからないけど、こいつなりの励ましだろう。付き合いの長くなった俺には『必ず帰ってきてね、信じてるから』と聞こえなくもない。
だから少し可笑しくなって、笑いながら答える。
「おう。楽しみにしとくな」
「……変態か」
一部の人間にはご褒美になりそうなヤンキー娘の侮蔑的な視線を頂いたところで、そろそろ差し迫った待ち合わせ時間に間に合わせるため、踵を返す。
「じゃあ、行ってくるわ」
車からはアオイもイチカに手を振っている。
そうして俺が車に乗り込もうとすると、イチカに服を引っ張られ、耳元に口を近づけられた。
「……アオイ、普通にしてるつもりだろうけど何か変。少し見ててやって。……あ」
勢い余ってイチカの唇が俺の耳に触れたんだけど、そんなことは言い出すタイミングじゃなく、お互いに何もなかった風を装って真面目に答えた。
「……うん。それもわかってる」
俺たちは手を振るイチカに見送られ、伏見ダンジョンへと向かった。
ちなみに車中。
「耳にチューしてました?」
と聞かれ心が乱れ、ウインカーを出すつもりがワイパーを動かしてしまうベタなミスをした。
「動揺」と、ストレートに突っ込まれて「いや、雨降ってきたと思って」と苦し紛れの言い訳をしたところで、ポツリと大粒の雨がフロントガラスに落ちてきた。
口から出まかせのはずが、またたく間に本降りになり、俺は何となく誇らしげに「……ほらな」と答えたけど、アオイはすでに他のことを考えていたらしく、「……えっ?……あ、すいません」と言い、また静かになった。
それからは車に打ち付ける雨の音だけがうるさく耳に届くばかりだった。
※※※
クルリと合流した俺たちは、降りしきる雨の中ダンジョンの入り口である千本鳥居を潜っていく。
鳥居の隙間から見える外の世界が徐々に灰色の退廃的な景色へと変わっていくのはいつ見ても不思議である。
それぞれに武器を手にして、人魂ランタンを計三個準備して先へ進むと、ダンジョンと鳥居の境目辺りに見知ったパーティーがバックパックを下ろしてそちらも準備を進めているところだった。
カイ、タマジロウ、オッサンの三人である。
「おっ!イナホにアオイちゃんじゃねぇか!……って、なんでクルリも一緒なんだよっ!」
朝から元気なタマジロウがオーバーなリアクションで慄き、オッサンが笑顔で「奇遇だな。おはよう」と手を挙げた。カイは俺たちの事なんか無視。いつものことである。
「おはよう。まぁ、想像するにお前らと同じ理由だろうよ」
おっさんは大盾の持ち手に新しいグリップテープを巻きながら笑った。
「この時期に伏見ダンジョンに来る冒険者は皆そうだろう」
「だわな。しかし、イナホたちも来るとは思わなかったぜ。ってか、思ったより俺達と同じような自殺志願者が多い事にビックリだ。まったく馬鹿ばっかりで嫌になるねぇ」
タマジロウが大きなため息とともにそう自嘲した。
するとクルリ。
「そうだね。君らじゃ無理。死んじゃうよ? 心読丸にとっては良いカモだから、辞めておく方が良いと思うけど」
クルリは平然とした口調で辛らつな言葉を吐き、タマジロウは反射的に輩のように唾を飛ばす。
「なんだおらぁ!ちょっと天才だからってシラケること言ってんじゃねぇぞ?女みたいなお前にゃわかんねぇかも知らねぇけど男にはやらなきゃいけない時があんだ!なんてったってこのクソカイが頭を下げたんだ。とっさに動画撮っちまうくらいにはあり得ないことなんだぞ?」
カイが人に頭を下げた?
ヒナの為に、ツバメの為に、くだらないプライドを捨てたということなのか。
俺はその事実に瞠目したが、クルリはそんな事お構いなしだ。
「どんな目的があるのかは知らないけど、死ぬ方がよっぽどシラケるでしょ? 悪い事は言わないから辞めておきなよ」
「わかんねぇやつだな。アイツは俺たちが断ったら一人で行くつもりなんだぞ?そんなこと放っておけるかってんだ! むしろクルリ、目的が同じなら俺たちも連れてけや! 囮でも何でもしてやるからよ! あ、俺はサポートな。今回は主にあいつが体張る!」
そう言って離れたところで準備をしているカイを指さすタマジロウ。なんて正直なやつなんだろう。……だけど。
「こっちの作戦的にパーティー人数は今がベストなんだ。無下にして悪いけどこれは揺るがないよ」
クルリにそう言われたタマジロウは俺の方に助けを求めてくるけど、こればっかりはどうしようもないので俺は首を横に振った。
心読丸とのエンカウントにはパーティー人数が重要だ。バランスを崩してまで手を貸すことはできない。
見るからに肩を落として「ちくしょう。楽が出来るかと思ったのに」とぼやくタマジロウ。オッサンがその肩を叩きながら、クルリへと向き直る。
「いくら無理だと止められようがうちのパーティーは討伐に乗り出すと決めたからな。それは覆すつもりは無い。……だが例えば、道中を共にするのはどうだろう? もちろん目的地に着いてからは別行動で構わん。お互いの力を温存することもできるし、野営についても協力出来ればオマエだって助かるんじゃないのか?」
「うーん。僕はそう言う事を言ってるんじゃなくて、君たちが無駄死にするのはどうかなって話で――」
モヤモヤしているらしいクルリ。
それがクルリの優しさから来ているのはわかるけど、何だって率直に言えばいいってもんじゃないだろう。
こいつらは誰かに何かを言われたくらいじゃ討伐を引き下がるつもりは無いだろうし、暑苦しい男っぽい何かしらの熱に浮かされていて、きっと、これで死んでもしょうがないとか、そんな風な事を考えているのだ。
恥ずかしながら俺だってそんな気持ちがわからなくもなくて、少し口を挟むことにした。
「いいんじゃないか? オッサンの言うとおり、合同パーティーってわけにはいかなくても共闘できればかなり楽になる。それに、こいつらが何のために死ぬのかは自由だし、死ぬ覚悟は多分出来てるからここに居るんだ。それはきっとお前にだってわからないはずはないだろ?」
「うーん。まあ。そう言われると解らなくもない。……でも良いの?その提案は僕たちにしか得が無いよ?」
クルリの発言は俺たちの勝利しか頭に無い発言で、カイたちの勝率は微塵もないと語っているようなものだった。
クルリは意識してないだろうけど、世間的にはそれを煽りと呼ぶ。
「うるせえ天才!俺たちが先に見つけて目にもの見せてやるからな!それまではどうぞよろしくお願いするぞこの野郎!……てめぇも笑うなイナホ!お前も泡吹かせてやるかんな!いつもアオイちゃんのおっぱい好きにしやがって!死ねこら!」
「急に変な絡み方すな。俺たちはそういうの一切ないし。それにお前にはヨーコがいるだろ?」
「…………居ねぇからこんなとこ来てんだよ」
急に虚ろな抜け殻になってしまったタマジロウに変わり、やって来たカイが皮肉気に笑う。
「タマ。急に来るって言いだしたのはそういうことだったか。ようやく納得した」
ガハハと笑うハゲのオッサン。
「キスもしとらんのに乳房を触ろうとしたらしい。ヨーコが呆れておったよ」
「だーーーっ!何で知ってんだよ!だーくそっ!だって、目の前で揺れてたら触っても良いと思うじゃねぇかよ!ちょっとくらい良いじゃねぇかよ!」
頭を掻きむしるタマジロウの肩に手を置いて笑いかけてやる。
「お前それ、痴漢の心理と同じじゃね?」
「……痴漢のクソッタレ。今ようやくアイツラの心境が理解できた気がする」
まぁ、そんな感じで、それぞれのルートが分かれる所までは一緒に進軍することになった。
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