24.彼女と彼のデスゲーム。前
クルリは言った。
「……僕は、僕の成し遂げたいことのために、君たちにとってはとてもズルいことをするつもりなんだ」
感情の読み取りにくい彼だけど、申し訳無さと、救いを求めるような哀しい響きで、なぜだか胸を締め付けられるようで。
まさかクルリが俺たちに害をなすとは考えられなくて言葉の意味を掴みかねている間にクルリはドアノブを。
嫌な予感が急激に高まり慌てて声をかける。
「……待て、まだ死にたくなんて無い」
自分で言って気がついた。この状況に死を連想していることに。
「ううん。もちろんそうならないように最大限の努力はするつもりだから」
「ってことはやっぱりやばいことに巻き込むつもりか?」
「ううん。もちろん判断は任せるつもり。だけど、だからこそ、先に謝っておくんだ」
「ちょっと待て――」
俺は何もつかめないまま。
俺の声を無視したクルリの手によって、扉は開かれた。
――そして轟音。
『オオオオオォォォォォォォォォォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!』
俺たちは咄嗟に耳を塞ぎ、次に目の前の光景に後ずさる。
広い部屋を所狭しと埋め尽くすような巨大な植物がその丸太のような茎を無造作に動かしてクルリの眼前を掠めて風を起こす。
見上げれば禍々しい巨大な花があった。
たくさんの花を咲かせ、この地下室で誰に観てもらうつもりなのだろう。
アザミのようなその花は、禍々しく、毒々しく、哀しく、痛々しかった。
俺は咄嗟にタダスケのことが頭に浮かんだ。それがなぜだかわからなくて、反射的に答えを探すように花や茎が集約した根本のあたりに目をやると、案の定そこには人らしきもの。
ほとんど茎と同化して見分けがつかないが、悲しみ嘆くような顔が浮き彫りになり、人間の体らしきものも見える。
だがそれは、人間と言うより、悪意を込めながら粘土で作ったような、目と鼻と口があるだけの膨張した泥人形のようだった。
『オオオオオォォォォォォォォォォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
さらなる轟音に慌てて腰に手をやるものの、手に馴染む武器は持ち合わせておらず、アオイを庇うように手を広げることしかできない。
回らない頭に疑問符が溢れ出す。
何が起きている?
ダンジョンでもないのに何故モンスターが?
訳がわからない。
「おいクルリ!どういうつもりだ!これはどうなってる」
鼓膜が割れそうな化け物の叫び声。
その隙間を縫うように、一人落ち着いた様子のクルリは微笑んだ。
「出来れば怖がらないであげて。彼女、危害は加えないから」
そう言ったクルリは縦横無尽に暴れ動く茎や葉にも怖気づくこと無く、その中心に向かって自然と歩いていく。
不思議なことに、その暴力はクルリを避けているかのよう。一撃も掠りはしないのだ。
そして植物は声にならない声で叫ぶ、その声は先ほどと違って胸を締め付けるような、嘆き泣き叫んでいるような哀しい響き。
俺は場違いにも【泣いた赤鬼】のような、哀しい怪物を想起した。
「ほらね?」
振り向いたクルリは自慢げにそう言って背を向け、手を伸ばす。
「ただいま。ゴメンね、友達なんだ。怖がらないでいいから」
クルリが彼女(?)にそっと触れると、その嘆きは次第に収まっていく。
その様子を見て、その植物が単なるモンスターではないように思えた。そして、危害を加えないという言葉も嘘だとは思えなかった。いや、思いたくなかった。
「信じていいのか?」
そうありたいと願いを込めた。
クルリは変なやつだとは思っていたけど、こいつもこいつで不器用というか、頭のネジがいくつか外れているだけの、優しいやつだと思っていたし、そう信じていたい。
するとクルリはその願いに応えるようにこちらをしっかりと見据えて宣言した。
「僕の全部を賭ける。世界中の神様に誓ってもいい。彼女はね、こんな状態でも全然変わらずにお人好しなんだ」
そう言って彼女を撫でると、それに応えるかのように大人しくなっていった。
まるで言葉をかわしているかのようにも見える。
とはいえ、もちろん何か会話ができるわけでもないだろうし感情を表現することもない。
ただ単に、萎びた観葉植物に水をやればスッと立ち上がるような、恐らくはその程度の反応だった。
その様子を見たアオイは恐れを隠しきれない震えた声を出す。
「……人、…………なんですね?」
「うん。人だよ。人だった、とは思ってない。少なくとも僕はそう信じてる。……出来れば君たちもそうやって接してくれると嬉しいけど、まぁ、流石にそこまでは僕も期待してない」
「……そっか。……そうなんだ。…………そういうことだ」
アオイは力無くその場にへたり込んだ。
それを見たクルリはしまったという顔で頭を掻いた。
「イナホ、アオイ。一応言っておくけど、僕は彼女をけしかけるつもりもなければ、僕がけしかけたからって彼女はそんなことしやしないよ?そもそも彼女は誰かを傷つけることがとても苦手な人なんだから。……今日来てもらったのはまず彼女を見てもらいたかったってことで、怖がらせたならゴメン。ちょっと考えが足りなかったかも」
そんなクルリの様子を見て、諦めてため息を吐いた。
「……わかったよ。お前を信じることにする。……でもなクルリ。お前らしいっちゃお前らしいんだけど、説明が足りなさすぎる。普通は先に話しとくもんだ。何がどうなってるのかは全然解らないんだよ。……もちろん、ちゃんと話してくれるんだよな」
いきなり連れてこられて、何の説明も聞かされず、こんな物を……いや、嫌な言い方だ。このような人……それも違う。異形の人……てのも失礼なのかもしれない。
とにかく、いきなり彼女に引き合わされて、オレの頭には混乱しかないのだから。
するとクルリは納得した表情で頷く。
「うん。そのために来てもらったんだ。イチからハチまで話すよ」
「……そこはイチからジュウにしとけよな」
「でも、余分なことは端折るからハチくらいかなと」
「……妙なところで律儀かよ」
くそ。相変わらずのクルリめ。怒ってたはずなのに気分が台無しになる。
まあ、これからどんな話が待ってるのかわからないけど、コイツのことを嫌いにならなくて済むなら御の字なんだけど。
「……うん。僕が中学生の時なんだけどね、二年生だったかな。違う、三年生の……春?……夏かな。学校の帰りにね――」
ってな感じで話し始めたんだけど、クルリは自分の昔の話をするのがとんでもなく下手くそだったので、ほんの少し校正してお届けすることにする。
※※※
中学三年の頃、僕は芸術系の高校を受験するために画塾へと通っていた。
この画塾は中学へ入った頃から通っていたので顔見知りも多かったのだけど、今よりも断然人付き合いに縁がなかったので友人と呼べるような人はほとんど居なかった。いや、全く居なかった。
そしてその画塾では、時々任意のペアを組まされることがあって、そういうことがあるたびに、僕は余った人と組めばいいと一人でボンヤリしていたのだけど、他の人たちが組み終わる頃になると、いつも決まった女の子が小さな声で話しかけてきた。
「……組みませんか?」と。
そんな風によくペアを組むことになったんだけど、相手も無口だったからほとんど会話らしい会話はなかった。
そんな関係も、とある出来事で急速に変化が訪れる。
夏休みが始まってすぐのことだった。
僕はその日も画塾へ行くために地下鉄に乗り込んだ。
特に理由もないんだけど、一番端っこが好きなので、その日も列車の最後尾に乗り込んだ。それが悪かったのかもしれない。
思い起こせば異変は目についていた。普通の電車にはあるはずの吊り広告などが無くて、路線図なども貼られていなくて、その時は『そんなこともあるのかな?』と、特別気にもしなかった。
まぁ、普通はそんなものだと思う。まさか自分がおかしなことに巻き込まれるとは思わないんだから。
でも、いくつかの駅を経由した後、ガチャンと音が聞こえた後に電車の速度が緩やかに落ちていった。
前の方に居た誰かが呟いた。
「あれ?……この車両、切り離されてない?」
多くの人が『何を言ってるんだろう?』と、顔を上げたとき――
――グンッ!
乗客たちは車両の左側へと吸い寄せられた。
いくつかの悲鳴や怒りの声が上がり、突然のカーブに車輪はギャリギャリと音を立てた。
僕のところにも人がぶつかって。
「す、すみません」
胸元で声が聞こえた。
そちらを見ると、よく知った顔がそこにあった。
何度も何度もこの顔を描いたせいで、少し垂れ気味の目尻にある小さな小さなホクロや、メガネフレームの形、ぽってり肉厚の唇は気を抜けば少し開いてしまう。
大人しくて気の弱い顔立ちという印象は今日もまた変わらない。
実物を見ないでも描けるようになってしまった、画塾でよく知る親切な子だった。
「あ、えっと、……あー」
僕はその子に声をかけようと思ったんだけど、その時初めて、その子の名前すら知らないことに気がついた。
僕が困っていると、彼女が先に口を開いた。
「……あ、私、フキ。……です」
「ああ、うん。……そうなんだ」
なんで僕がその子の名前がわからないって気付いたんだろうとか、名字なのかな?名前なのかな?とか、そんなことが思い浮かんで、その前に何を言おうとしたか忘れてしまって、思い出そうとしている間に、事態は動く。
車両は何か不自然な力によってブレーキがかけられて慣性の法則が働く。僕らは近くにあった手すりを掴んで堪えたけど、多くのヒトが前へと吸い寄せられて転がった。
また悲鳴やら罵声やらが聞こえて騒然とする車内。
車両はまもなく停車した。
外の風景は駅のホームなどではなく、ただの土や岩がむき出しの空洞。
知っている知識と合わせれば、それはテレビで見るダンジョンにとても似ていた。
プシューとドアは開かれたが、何が起こってるのかわからない乗客たち。先程まで声を荒らげていた人も言葉を失い、誰一人として外に出るものは居なかった。
しかし、誰かがホッとしたような声をあげる。
「誰か来たぞ! おーい!助けてくれー!」
その声を聞いて、僕らも外を見た。
暗がりからゆっくりと現れたのは、左側に傾いて歩く奇天烈な服装の男。
そして、その男。後で知ることになったのだけど、つまり【花屋】は、乗客に向かってこう言った。
『皆様、お忙しい中ようこそおいで下さいました。突然で申し訳ないのですが、……ここはとあるダンジョンなのです』
花屋は、我が家を自慢する金持ちみたいに軽く両手を広げて微笑んだ。
「……は?」
誰かがそう言うと、他の乗客たちもジワジワと騒々しくなっていく。
「アイツ何言ってんの?」
「キモッ」
「ヤバい人かな?」
「あの人が来た方から出れるんかな?」
「もういいからちょっと行ってみようぜ」
するとフキさんが、「あの人、何か喋ってる」と言い見てみると、確かに口が動いていた。
変な男の登場で何かが吹っ切れたのか、数人が車両を降りて歩き出し、花屋を無視してその脇を通り過ぎたその時、花屋の首のあたりから何かが勢いよく伸びるのが見えたと思うと――
「あ゛ぁ〜」「はふぇ?」「んっゅ!」
通り過ぎようとした三人の頭にツタが突き刺さり血を吹き、そのまま車両へとぶん投げられたのだ。
ドンッ!ゴロゴロと車内に転がった男たちはどう見ても即死。
こめかみに空いた穴からは脳漿と血液がゴポッゴポッと吹き出していた。
乗客たちは言葉を無くすと、花屋が穏やかに口を開く。
『私は大きな声で話すのが好きではありません』
しかし、眼の前で起きたことにようやく気が付いたのだろう。
妙齢の女性が頭を抱えて悲鳴をあげた。
「いやぁァァァァァァァァァ」
――ビュルン!
「……アばっ」
『話を続けさせてもらいますね……」
花屋は手の甲から出したツタをビュルンと逆再生のように仕舞うと、何事も無かったかのように話を続ける。
その光景を見て口を開くものはもう居なくて、誰もがみんな黙り、固唾をのんだ。
『このダンジョンには現在出口はありません。皆様が来られた穴は架空の穴ですので帰ることも出来ません。ですが、それではつまらないですからね。脱出する方法を設けました。普通のモンスターの他に、最上階に希少種を一匹用意します。それを倒せばこのゲームはクリアということにさせていただきましょう』
――ザワ。
喋るなと言われていた乗客たちも、この言葉には反応せざるを得なかった。
だけど、そのような反応も致し方ない。
僕たちは多分、ほとんどみんなが一般人で、ダンジョンなんてテレビの中の世界でしかなかったのだから。
しかも、ただのモンスターですら異次元の存在なのに、希少種なんてもってのほか。
突然エベレストに登れと言われる方がまだ現実的に思えるくらいだった。
……出来るわけがない。生きられるわけが無い。
そう口にしたかったけど、目の前の男に歯向かうことの恐ろしさはすでに知っている。
どちらにしても殺されてしまう。
しかし、悪夢のような条件はそれだけではなかった。
『ただし、やはりそれだけでは面白くありません。脱出できるのは希少種を倒したその一人だけとします。……それでは皆さんの素晴らしい冒険を期待しますね』
男が話したルールは、覆ることのない絶対的なものだと認識してしまった。
不意に、胸元にいるフキさんと目が合う。
もし、本当に運良く生き残れたのだとしても、少なくとも、どちらかは死んでしまう。
そもそも生き残れる自信なんて皆無。
呆然とする僕たちをよそに花屋はいつの間にか姿を消した。
しばらくの間、誰も何も話さなかったし、動くこともできなかった。
だけど、夏休みのただの一日だったなんてことの無い日、よく知る女の子の名前を初めて聞いたその後で、デスゲームは間違いなく始まっていたのだ。
長すぎたので分けましたが、過去話は次回で割とアッサリめに終わります(……多分)




