22.不器用な親子の話
「……柔らかい」
俺がコーヒーを入れるために席を外していると、アオイがボソリと呟く声が聞こえた。
テーブルに並んだ皿もあらかた食べ尽くし、イチカに至ってはすでに潰れてソファの上でアオイにもたれかかって微かな寝息が聞こえているほどだ。
【飛来槍イカ】の食感を思い出して話をしている訳ではないだろう。
じゃあ何が柔らかいのか?
答えはイチカの漏れ出た吐息で察することができた。
「……んっ」
「ふふ。……可愛い」
二人が座るソファを眺めてみると、アオイが眠りこけたイチカの胸をモミモミしているらしい後ろ姿が見えた。
「お前、酔ってないよな?」
「もちろんです。一滴も呑んでませんよ?」
「後でイチカに怒られるぞ?」
「でも気持ちよさそうです」
「そういうことではないし、そういうこと言うと余計に怒ると思うけど」
「でも柔らかいんです。イチカちゃん肌がキレイだからモッチリしてるんですね」
「……直接触ってんのかよ」
「求肥のようなスベスベもっちりです。フニュフニュってして溶けそうなくらい柔らかいです」
求肥って多分和菓子のやつだ。大福を包んでたり、羽二重餅とかも確かそうだったはず。
フワッとしたフニフニとして柔らかくてずっと触ってたくなるアレのことだろう。
……何それ触りたい。
「あんまり詳しく描写すな。聞いてる俺が怒られるわ」
この間のリン、ルン達とのことといい、アオイはおそらくオッパイというものにハマっている。
この間こっそり俺の二の腕をモミモミしたのも関係あるだろうと睨んでいる。
オッパイにハマる女子高生の図。いや、元女子高生か。
そして俺は平然を装っているが、内心ではアオイになりたくて仕方ない。羨ましいぞバカ野郎。
後でアオイの手にでも触ってやろうかしら。……間接的なアレで。
てなことはさておき、アオイのミッションは無事に完了して【飛来槍イカ】を美味しくいただいたのであった。
どうやって希少な【飛来槍イカ】を手に入れたかを簡単に紹介しておく。
まずは取り扱ってそうなお店に電話やインターネットで連絡をとってみたのだけど、どの店も入荷未定で予約しか受け付けておらず、昼に欲しいと言って夕方に手に入れられる方法はすぐに見つからなかった。
そこでアオイはギルドへ行き依頼を出すことにしたのだ。
職員との相談の結果、時間が限られていることもあるし、先着限定で買い取り相場の6倍で報酬を設定した。これは市場価格の2倍以上の値段である。
次に手数料を支払って緊急性の高い依頼の枠に入れてもらった。
ちなみにこれを設定すると、ギルドやギルドのサイトの依頼掲示板を見るまでもなく、関連性の高い冒険者たちに直接メールが送られる仕組みである。
基準となる報酬よりも割高な案件じゃないと適応されないのだけど、今回の場合は十分な額だった。
生臭い話も包み隠さず言うと、職員さんへの感謝と銘打ったお心づけにも余念はなかったのである。
もちろんそれは俺の微々たる大人力によるものだ。
そんな成金じみた行為の甲斐があったのかはわからないけど、二時間もしないうちに連絡があり【飛来槍イカ】をあっさりと手に入れたのだった。
持ってきてくれたのは今回のように危険を伴わない依頼を専門的にこなしている冒険者の方で、ツテを辿り、予約がキャンセルになった料亭から割安で買い取ってきたらしい。
彼はその差額で利益を得るのだそうだ。
なんともたくましい稼ぎ方である。
かかった料金は伏せておきたいところだけど、ここまで話した手前、100万は行ってないとだけは伝えておく。
そして、現物を見て初めて知ったのだが、イカの全長は1メートルを超えていて一度に食えるわけも無い量だったし、もちろん全部が冷凍庫に入るわけがない。
冷凍庫に入らなかった分はすべて調理に回し、それでも食べきれなさそうなものは急遽買ってきた網に入れて一夜干しを作ってたりもするんだけど、まぁそれはいいか。
で、料理している間にイチカも到着して、刺身にしたり、タレにつけて焼いたり、フライにしたり、煮物にしたり、パスタにしたり。多国籍的にアオイが試せるだけのイカ料理を作りまくって、イチカもスタタタと手際よく手伝ったりして楽しそうにやっていた。
塩辛なんかは2リットルくらい出来てしまったよ。
料理中イチカに戦力外を食らった俺といえば、ネットで塩辛の値段とか調べてみて『おや?これは普通に商売になるのでは?』なんていう空想をして遊んでいたわけです。
……うん。そんなのはしないけどね。
で、実際の味ときたら、悶絶するほどおいしかった。アオイの普通料理の魔法が及ばないくらいに美味しかった。イチカのは単純に美味かった。
料理を評論する言葉を持ち合わせていないのでアレだけど、世界最高のイカを使った料理だと思ってくれれば過不足ないと思う。
とにかく美味しかった。値段相応の価値があったかと言えば疑問は残るが、今回はイカを食べるために大金を支払ったわけではない。
本題はイチカに喜んでもらおうってところだし、その点で言えばたまにはこんな贅沢もアリだと思う。
それに、酔っ払った今日のイチカは少しお喋りで、彼女のことを知れたのは多分良かったのだろう。
普段はお酒を飲んでも自分の昔のことなんかは話さないんだけど、よっぽど気に病んでいたのかもしれない。
アオイが悩み事に水を向けると、すでに酔いの回っていたイチカは思春期の女の子みたいに涙ぐみ、アオイに抱きつき、許しを請うようにポツリポツリと語ってくれた。
途切れ途切れに話されたことを要約するとこうだ。
母親を早くに亡くしたイチカは親父さんと二人家族だった。
職人肌の親父さんとイチカの間に会話は少なかったが、それでも二人の関係は悪いものではなかったそうだ。
子供の頃のイチカは父の仕事を見ているのが好きだったそうで、友達と遊ぶことも少なく、それよりも父のマネをして刃物を研いだり、鍛冶の真似事をしている方が余程好きな時間だったという。
口数の少ない親父さんだが、大事な仕事場であるのに、そんな風に遊ぶイチカを見て満足そうに笑っていたそうだ。
鍛冶仕事が、不器用で口下手な親子を結ぶ少し変わった形の繋がりだっただろう。
しかし、イチカが思春期を迎えると反抗期のようなものがやってくる。
年頃になった気の強い娘と口下手な父親。
口を開けば学校に行けだの、将来のことを考えろだの、鍛冶屋は継がせないだの。
そこに理由や考えなどが添えられることもなく、娘を思って放たれた言葉も、世間一般でありふれている悲しいすれ違いと違わず、言われた本人からすると一方的な理不尽に聞こえるわけで。
反発。
イチカの性格ならその想像は容易い。
相変わらず鍛冶は続け、それまで以上に夢中で取り組むものの、二人の会話はこれまで以上に無くなっていった。
当時の弟子だったオギさんが二人の間に入って取り持とうとしたそうだが、そこは不器用な者同士である。溝を埋めようにもなぜだか広がっていくばかりだったらしい。
少し話は逸れるが、気になって聞いてみたところ、そんな関係でも晩御飯はずっとイチカが作っていたそうだ。
仲が悪いなりにそういうところをちゃんとする少女イチカに微笑ましくなり、『コイツそういえば意外と嫁力高いんだよな』とか思ったりもした。
閑話休題。
そのように一見冷え切って見える親子の関係の中で、イチカは一つの考えを持っていたらしい。
『店で売れる水準のモノが打てたら仲直りできるんじゃないだろうか?』と。
多分世間一般から言うと『いやいや、仲直りしたいなら親父と直接話せよ』とか、『ズレてるズレてる』ってなもんだろう。
だけど、きっとそうやって二人にしかわからない言葉で会話を続けてきたのだ。
雑な翻訳をすると、『良いものを作って認めさせる』ってことなのかもしれない。
そして、長い時間をかけてようやく自信のある一本が完成した。
イチカは高ぶる気持ちを抑えながら、刀を親父さんに押し付けて「どうだ?」と聞いた。
すると親父さん。じっくりじっとり、イチカがいい加減焦れるくらいに時間をかけて目利きを済ませてポツリとこぼした。
「これは売らない」
「……そうか」
これが駄目なら鍛冶の道は諦めようと覚悟を決め、心血を注いだ会心の出来だった。
相当の自信があったイチカは谷底に叩き落とされた気分でその場を立ち去り、部屋で塞ぎ込んだという。
この時ばかりはご飯も作らず。そんなイチカに父親も声をかけなかったそうだ。
そして、数日後に部屋の扉がノックされる。
「一徹さんが!伏見で心読丸に!」
オギさんだった。
親父さんは珍しく採取に出かけ、運悪く心読丸に出くわして亡くなった。
その後の感情などは語らなかったが、想像して余りある。
結局イチカは仲直りも出来ぬまま、鍛冶の腕も認められぬまま。
イチカの中ではこの先もその事実は変わることが無いのだろう。
彼女がそれでも鍛冶の道へ進んだのは、オギさんの強い勧めあってのものだと嘯いたが、その気持ちだけであれ程の仕事が出来ようはずはない。
野暮な憶測になるが、失われた何かを求めて足掻いているのかもしれないと思った。
まあ、そんな話である。
そんなイチカは今もグッスリ眠っている。
彼女に膝枕をしているアオイの前にコーヒーを差し出した。
ちなみにもう胸は触っておらず、今は頭を撫でているだけ。ちょっと見たかったぜ。
「見て見てイナホさん。非の打ち所のないキレイすぎる寝顔がここにあります」
「本当だな。こんな吸血鬼が居てもおかしくない」
「変な褒め方。でもわかる気がします。イチカちゃんの造形はファンタジー。なんで男の人が寄ってこないんでしょうか」
「そりゃお前、喋ると怖いからに決まってんだろ?」
「こんなに優しい人って稀有だと思うんですけどね。ちなみにイナ……なんでもないです。今私は恐ろしいことを口走りそうになりました」
アオイは自分の言葉に愕然とした表情だ。
「え?なに?気になる」
「嫌ですよ。これはかなり大きな墓穴を掘ることになりかねないので本気で無かったことにしてください」
「……まぁ、いいけど」
俺はそんなアオイとその膝で眠るイチカに目をやり、入れてきたコーヒーを口に含んだ。
その後、時間が遅くなってきたのでイチカを起こして「今日はどうする?泊まってくか?」と聞くと、「……泊まってもいいの?」と、なんだか恋人と話してるような甘えた表情にアオイと二人でハッとした。アオイは悶絶して、俺は心のなかでキュンとした。
うん。あれはしょうが無い。マジでかわいかったし。
そしてイチカを抱っこしてアオイのベッドまで運び、イメージよりも軽くて華奢で柔らかい女の子らしさに気が付かないふりをしつつも、アオイにはバレバレだったらしくそれを冷やかされつつ。
そんな感じで就寝となったのだけど、俺は自分のベットに入ってから大変なことに気がついたのだ。
「アオイのやつ。イチカにエッチなイタズラをしてないだろうか?」
そんなことは無い。……とは、何故か言い切れなくて、なんとなくソワソワしながら眠ることになった。
翌朝イチカに聞いてみると、「あるわけないだろ。変態か!」と、怒鳴られちまったよ。
だけど、アオイが一瞬目を逸らしたのを見てしまったので後でコッソリ聞いてみると。
「私を何だと思ってるんですか?くっついて寝たり、あんまり可愛かったのでホッペにチュウしただけですよ」と。
無罪。……で、良いのかな?




