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3.お茶を甘く感じたのは。

 イチカの鍛冶屋を出た俺は、ヨーコが入院している病室へと来ていた。


「お互い色々あったんだし、あのアホからの慰謝料ってことでどうだね?」


「……わかった、そう言ってくれるなら。……何から何まで本当にありがとうね」


「だからそういうの良いって。充分すぎるくらい聞いたから。ついでにその金で恩に着せるつもりなんて毛頭無いからな。あんまりしつこいといいかげん面倒くさいぞ?」


「あ、ひどい。……でもわかった。イナホが嫌ならもう辞めておく」


 報酬の受け取りを拒否するヨーコを説き伏せて、ようやく納得してくれた所である。


 治療代やら収入が途絶える間の補填やらもあるだろうから、とりあえず受け取ってくれて一安心だ。


 お互いに辛い思いをしたのだから、良かったことも分け合わないでどうするよってのが俺の本音で、ついでにそれは俺のエゴだとも理解している。


 まぁ、金はあるに越したことはないのだから、それ程迷惑にはならないとも思ってるけど。


「で、これからどうするんだ?」


「……そうね。……冒険者(クロウラー)は引退するよ。私、向いてないと思わない?」


 ヨーコは少し寂しそうに笑った。


 実はコレ、最近の様子から何となく想像していた答えで、むしろ今のは答え合わせのつもりで聞いた質問だった。


 だから俺も笑って答える。


「……そうだな。正直言ってお前らは向いてないと思ってた。まぁ、言うのが遅すぎたし、俺が言うのもどうかと思うけど」


「ふふ、本当正直に言ったわね。これでも結構悩んだんだから」


「……だから言うんだよ。お前はもっとマシな仕事の方が向いてると思うぜ?」


 別に冒険者に向いてなくたって、そこで何かが終わるわけじゃない。


 むしろ、この決断が彼女の良き始まりになることを祈ってるし、多分そうなると思えるのは、決して後ろ向きではなく前を向くために出した答えだからだろう。


「ふふ。ありがとう。素直に受け取っておくわね。……でも、イナホは多分向いてると思うわよ?」


「はぁ?本気で言ってるなら見る目無いぞ?」


 しかしヨーコはクスッと笑い、懐かしむように自分の唇に指を当てた。


「【花屋の使徒】を殺った後、私があなたに怒られたのを憶えてる?」


 そう言われて記憶を探る。


 多分、怪我をしたヨーコに自分を置いて二人で帰れって言われた時、怒鳴りつけたやつだろう。


 ついでに『おっぱい揉むぞコノヤロウ』とか言った気もする。


 切迫した状況で何いってんだよって感じだな。なんかすいません。


「……まあ。変なセリフと共に思い出したよ。で、それが何?」


「変なセリフって、……あぁ。……それは一旦置いといてね」


 ……一旦だと。……どういうことだ。


 今日のヨーコは浴衣みたいな前開きのパジャマなので、豊かな質感に目が行きそうになるのを我慢してたりする。

 男って本当馬鹿だよな。


 ってのはまあ今は良い。言われたとおりに置いておこう。


「あの時にようやく気が付いたんだけど、私が憧れた、成りたいと思っていた冒険者(クロウラー)って、結局アナタみたいな人だと思ったの」


 ヨーコは微笑みながら、少しモジモジと照れくさそうに言った。


 褒められてる感じが何となく照れ臭くなったので手をワキワキさせながら。


「……おっぱい揉むって言ったのにか?」


「ばか。すぐに茶化すんだから。その話は後って言ったでしょう?」


「……お、おう。……なんかすいません」


 ……後って何だよおい。


「とにかく、あの時の私は、強くて弱くて甘すぎる冒険者クロウラーに憧れちゃったってわけ。子供の頃と同じようにね」


「……褒められてんのか?」


「ばか。目一杯に褒めてるでしょ?」


「……そうか。……それなら、まぁ。……なんだよ急に」


 面と向かって褒められた時って、どうして良いのかわからなくなる。特に、そこに何かしらの好意(・・)みたいなモノを感じれば尚更だ。


 そんな経験は殆ど無いけど、思い過ごしを含めればまぁまぁな数にはなる。


 取り敢えず視線を彷徨わせて、外の景色を見て、『ああ、新緑も深くなってきたなばかやろう』って適当なことを思い浮かべていると、ベッドの上で座るヨーコはクスクスと笑って俺に少しだけ近付いて、囁くように言った。


「……ねぇイナホ。……アオイとは付き合ってないって言ってたよね」


 その声は僅かな緊張と艶っぽさを秘めていた。


「……まあ。……そうだけど」


 ヨーコの緊張が伝わってきたのだろうか。


 なんだか俺の声が少し上擦っているように聞こえた。


「……それならさ。……その」


 少し前屈みになった胸元は腕で押されて柔らかさまで伝わってくるようで。


 しかし、そんな俺の視線を感じたのか、ヨーコは話を中断して言った。


「……やっぱり触りたい?」


 そう言って手で隠す仕草をするけれど、そんなので隠れるわけもなく、余計に……。


 ……あかん。真面目にやれよ俺。


「あ、いや、ごめん。……俺もまぁまぁ男なわけで、どうしても惹きつけられる魔力があるわけで。……言い訳にもなってねぇな。……悪い。何か続きがあるんだろ?」


 何とか胸から視線を引き剥がして目を見ると、意を決したように、だけどとても小さな声で言った。


「……うん。……あのさ、……もし良かったらだけどさ――」


 ヨーコの顔はいつの間にか真っ赤になってで、心細そうで、今にも泣きそうになってきて、そんな表情を見てるとコッチまで息が詰まりそうになってくる。


 ドクン、ドクン。


 どちらの心臓の音が聞こえているのかわからない中、真っ直ぐに俺を見つめて言った。


「――私と付き合ってみない?」




※※※


 家に帰った俺はリビングのソファーでくの字になって寝転がっていた。


 放心状態だ。


 生まれてはじめての経験だった。


 ……あー。なんてことだ。


 あーーーーーーーー。


 ちなみにこんなことを三十分は続けている。


 幸いアオイとは顔を合わせていない。


 もし顔を合わせたら、どんな風にしてていいかもわからない感じ。


 話すべきか?話さないべきか?


 いや、話さなくてもいいよな?話すべきじゃないよな?


 と、そんなことをしてる間にカチャリとリビングの扉が開く音がした。


「あれ?いつの間に帰ってたんです?」


 俺は寝転がった姿勢のまま顔だけをそちらに向けた。


 アオイはニヒヒと嬉しそうに笑う。


 お茶のお替りでも入れに来たのだろうか。マグカップを右手に持っている。

 少し暖かくなってきたからかルームウェアはモコモコとした半袖短パンになっていた。


 そのスラリとした白い足が近づいてきて、ソファーの隙間にちょこんと腰をおろした。


 もちろんべったりくっついたりはしていない。


「……はい。先程帰りましたぜ」


 出来るだけ不自然にならないように言ったつもりだけど。


「うーん。何かありましたか?」


 そう言って顔を覗き込んできた。


「……相変わらず目聡いね」


「ふふ。きっと誰だってわかりますよ。イチカちゃんところ?それともヨーコさん?」


 勘が良すぎて心臓が弾けるかと思った。


 いや、出る前に行き先を伝えてあったからその推理になるのは当然ではあるんだけどね。


 見透かされてるみたいでビビっちゃったよ。


「……いや、まぁ、多少あったというか、……うん」


 なんて言っていいのか迷っていると。


「……言いにくいことですか?」


 助け舟を寄越してくれたらしい。


 だから俺はそれに乗っかって「……まあ」と答えておいた。


 するとアオイは、「……そっか。わかりました」と微笑みながら頷いて続ける。


「……でも、一つだけ確認してても良いですか?」


「……何?」


 俺が尋ねるとアオイはマグカップに口を付け、一息ついてから聞いてきた。


「……もしかして、私達の関係が変わっちゃったりするやつですか?」


 しかし俺はアオイの問いかけに頭を捻る。


「…………はい?……なんで?変わらないと思うけど。……ん?どういうこと?」


 俺がヨーコの告白を断るとアオイとの関係に変化が訪れる? いや、そんなことはないだろう。


 あるいはアオイが別の何かを想像しているのかもしれないけれど、だからといってアオイとの関係が変わるような何かなんてちょっと想像がつかなかった。


 俺は生まれて初めて女性を振ってしまい、ついでに泣かせてしまったという話だし。


 ヨーコとアオイも友達なのだから、流石に俺の口から『今日ヨーコのこと振ってさ。泣かせちゃったんだよね』なんてことは言えるわけもない。

 俺が誰かに話したと知ったら、ヨーコはきっと嫌な気持ちになるだろうから。


 するとアオイはホッとため息をついた。


「私の考え過ぎみたいでした。へへ。何があったかわかりませんけど、シンドかったら言ってくださいね?」


 一人で何か納得したようだ。


 それならそれでいい。

 アオイが不安なのだとしたら問題ありだけど、俺も隠し事をした手前無理に聞き出すつもりもなかった。


 何より、その気持ちが嬉しいし。


「……おう。ありがとな」


 ――そう言った瞬間。


 ピカピカッ!


 ほんの一瞬視界が明滅したように感じたのだ。


 反射的に窓の外を見てみたけど、雷が鳴った様子は無い。


「なあアオイ。今、光らなかった?」


「そんな気がしますね。なんでしょうか?」


「なんでしょうな」


「……ふむ。……照明とか。……ですかね」


「まあ、そういう感じしか無いよな」


 何となくそう結論付けるとアオイはマグカップに口を付ける。


「……あ、なんかお茶が甘く感じます」


「何だそりゃ。それこそ気のせいじゃね?」


「……でしょうね」


 俺もアオイも何となく違和感は残ったままだったけど他に思い当たることなんて無かったし、そのまま光の話もヨーコの話も立ち消えた。


 その後、入院明けってこともあったので久しぶりに二人でゆっくり過ごした。

 古い映画を一本見て、眠たくなるまでそれぞれに本を読んで、むしろ寝てしまったアオイを起こして部屋に連れてったり。


 昼間は色々あったんだけど、何となくいい夜だった。

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