20.考えたくもなかった真実
俺は扉を飛び出して、鉈一を手に階段を駆け下りる。
すると4階の踊り場でヨーコと知らない男がもみ合いになっていた。
男の体にはいくつもの赤黒いボールのようなものがくっついていて、男が激しく動くたびに振り回されて地面に落ち、それが踏まれて夥しい血をまき散らしている。
先ほどの部屋で見た血痕と同じものだとすぐに分かった。
そして俺がたどり着く間際に男のナイフがヨーコの胸元を切り裂いた。
「――っつ!」
ヨーコは痛みに顔を顰め、再度振り上げられたナイフを見て絶望に染まった。
だけど。
「させるかっ!」
階段を飛び降りた勢いのままに男に飛び蹴りをぶちかます。
吹っ飛んだ男は下へと続く階段へ転がり落ち、体についた赤黒い球体がいくつも弾けるように潰れてあたりを真っ赤に染め上げていった。
「……ヨーコ。止血しとけ」
ヨーコの傷は深くなさそうだった。ただ、服が裂かれていたので目のやり場には困ったけど、まぁ、さすがに戦闘中である。後で思い出すに留めておこう。
「待ってイナホ。あいつ、多分タダスケと連れていかれたもう一人のサトルってやつ!なんかおかしくなってる!」
「……やっぱ普通の人間だったか。いきなり切りかからないで良かった」
変な黒い球ぶら下げてるけど、外見はモンスターとは思えなかった。
ボロボロとはいえ普通に冒険者の服を着てたし。
しかし、ヨーコは焦った様子で否定する。
「変なこと考えてる場合じゃないわよ?さっき襲われたときに剣でぶん殴ったんだけど、多分首の骨折ったと思うの。それでも頭がグラグラしたまま襲ってきたんだから。人間相手とか考えてると絶対にヤバい」
「……嘘だろ」
「ほんと!責任は私が取るから、ちゃんとモンスター相手だと思って!」
「……まじかよ」
自分の中で答えも出ないままに、ヨーコとパーティーを組んでたサトルという名前らしい男は階段をゆっくり上ってくる。
後ろにグランと倒れた頭を、自分で髪の毛を掴んで正面を向かせ、『はやく、こンドサセろサせロロロゥ!』と呻きながら笑っているように見える。
白目の部分は真っ赤に染まり、それと反比例するような真っ白い肌は骸骨のように痩せこけている。
――その顔を見てギクリとした。
目の前の男が死神の正体だと言われても、きっと俺は疑問を抱かない。
そのあり得ない光景を見てしまえば、そのイカレてしまった様子をみれば、人がモンスターに変わるという、あってはならない現実を飲み込まざるを得なかった。
……俺の常識に照らし合わせてみても、こいつは確実に生者ではない。
殺さなければ殺される。
初めて会った餓鬼の殺気を、狂気を、目の前の男から痛いくらいに向けられているのだ。
「だぁくそっ!責任なんか自分で何とかする!」
俺が駆けだすのに合わせてサトルも前傾で向かってきた。
振り上げられたナイフ。
だけど、その動きはどこかぎこちなく、避けることは容易かった。
一歩深く踏み込むことで掻い潜るようにナイフを躱し、そしていつもの癖で、すれ違いざまに脇腹を切りつける。
――スパリ
サトルはバランスを崩しながら内臓をボトボトと落とし、それでも振り返って笑う。
『ただノすけベ。をたすけマン!ッてやってくれクレイヨ!』
――悪い。……一息で殺ってやるから。
スパッ!
サトルの首をひと思いに切り落とした。
「…………後味悪いな」
人間ではないと判断したにしろ、それが正しいことなのかなんてわかりっこない。
それに、初めての人を切る感触が手に残って心を重たくさせる。
その感触だって、餓鬼を切った時とそう変わらないってことが何故だかあまりにも生々しかった。
「……イナホ。ありがとう」
たわわな胸に止血パッチを貼るヨーコ。だけど今はそれどころではない。
「……まさか今のやつが区域主ってことはないよな?」
違うとはわかっていても、そうであって欲しいと願いを込めて聞いてみた。
するとヨーコははだけた胸元を正しながら耳を疑うようなことを言った。
「まさか。それにしては弱すぎるし元は人間なのよ?あれはただ操られてるって感じじゃない?……【花屋の使徒】ならツタを操るはずだし、体の目立つところに梅干しの種子みたいなのがあるって話だし」
「……種子?」
聞き流せない言葉に全身から冷や汗が噴き出す。
……俺はつい先ほど同じようなものを見なかったか?
おかしいと思いながら、自分の良いように思いこもうとしてなかったか?
あれだけ肉が削げ落ちて、生きているだなんて本当に思えたのか?
それに、……この人の顔を見て内心ギクリとしていなかったか?
俺は今まさに手にかけたばかりの骸骨のような生首に目をやる。
……あまりにも酷似している。
そして、信じられない結論が思い浮かび、その突飛な答えを打ち消そうとしても、なぜだかそれが真実だと思えてならない。
いや、すっかり理解してしまった。
考えたくない答えと、今まさに迎えようとしている絶望が俺の頭を埋め尽くす。
――くそっ、くそっ、くそっ!こんなことってありなのかよっ!
「ちょっとイナホ!?――」
何もかもを捨て置いて全力で階段を駆け上った。ヨーコの声も頭に入ってこない。
無我夢中で階段に躓きながら、それでも駆け上る。駆け上がっていく。
――タダスケも!まさかタダスケが!
踊り場にたどり着き、逸る気持ちはドアノブを上手に掴ませてくれないけど、強引に、ねじ伏せるように、何とかノブを回して扉を開く。
「――アオイ!」
密閉された部屋に声が響く。
そして、そこに立つ人物が、誰かを見下ろしている光景に、俺のすべての細胞が停滞した。
「……アオイ。…………アオイ」
悪い夢でも見ているのかと思った。
そう思いたかった。
倒れ伏すアオイの頭からは夥しい新鮮な血液が、静かに、それでもゆっくりと広がるように流れ出していて、アオイは俺の問いかけにわずかにも反応しない。
そして、その後ろで日の光を浴びて影絵のように立っている男は、首を傾げるような奇妙な姿勢で、片手で振りぬいたであろう大きな剣をズズっと引きずり、こちらを見て、多分、苦しそうに、泣きながら、笑った。
「いなほくんククンプ。ぼくガガガガガガガガガッ!えりあぼすに、されレレッ!レレッ!ちゃアアアアアアったァァァァ」




