19.塔の上、誰か居る。
散々反対されはしたものの、もしツタが襲ってきた場合三人の中では俺が一番回避できるという自信と、ツタに対してナタ以上の対抗手段が他にないことをなんとか説明した。
だってナタだぜ?
世界中でツタを切るために使われているわけだし、ある意味特効武器と呼んでも過言ではないとかなんとか。
アオイの【破裂】はあるけど、何度も乱発できるようなものじゃないしね。
というわけで【鉈一】を手にした俺は、【水面塔】へとそろりそろりと近づいていく。
激しくなる動悸と反比例するようにすり足でゆっくりと。
……10メートル、……5メートル、……1メートルと近づいても一向に反応はなく、いよいよ【鉈一】の先が【水面塔】の枯れたツタに触れると――
――パサッ。
触れただけでボロボロと崩れ去ったのだ。
「……何も起きねーでやんの」
あたりを見渡してみても俺のことなどどこ吹く風で、何ら変わりない風景が広がっているだけ。
完全に拍子抜けと言っても良い。
念の為にもう少しツタを崩してみるが、やはり何が起きるでもない。
いや、強いて言えば、ナタを持つ手に妙な力がかかったのだけど、それは多分、あの妙な引力のせいだと思っている。
「なんともないぞ。一応慎重にな」
そう言って二人を呼び寄せるが、やはり何も起こらない。
「どうします?このまま扉も開けてみますか?」
「……ちょっと覗いてみたいよな?」
「……うん」
「ですね」
そんなふうに意見は一致して、二人には扉に向けて弓を構えてもらい、俺は片足を地上に残したまま、塔の壁、扉の横に恐る恐る左足を乗せた。
「……おお、やっぱ引力が変な感じ。……じゃあカウントダウンでいくからな」
「はい。こちらは大丈夫です」
アオイはクロスボウを構えて緊張した面持ち。
「ホントにいくぞ……1じゃねぇぞ。0の時に開けるやつだから」
「……どっちでも良いから。イナホってそういう面倒くさいところあるわよね」
そういうヨーコ声も震えている。俺の心臓だってバクバクだ。
何が飛び出してくるかなんてわからない。だけど、チンタラしすぎるのも良くないだろう。
「……じゃあ。……3、……2、……1」
――ガチャリ
扉はこちらの世界の法則は無視してスムーズに持ち上がる。
それぞれに武器を構えるが、中からは何が飛び出してくるわけでも無く、ただ石造りの廃墟のような室内が目に飛び込んできた。
それでも緊張は崩さず、注意深く中を観察していると、むせ返るほどの鉄の臭いが鼻孔をとおり肺を満たした。
「ゴホッ。……これ、……この臭い」
ダンジョン一層で嗅ぎ慣れた血の匂いが、暖まった空気と相まって頭痛を感じるほどに立ち込めているのだ。
「……やだ、タダスケ」
ヨーコの絞り出すような声に、嫌な予感が急激に膨らんでいく。
「まだ何もわかっていませんから。ただの芳香剤の可能性だって」
「……ねーよ。……お前はすごいな。このタイミングで……」
「……すいません」
いや、この状況でそんなこと言えるのが素直にすごいと思ったんだけど、勘違いを訂正してやるほどの余裕はない。
「……じゃあ、行ってみるわ」
「十分気をつけてくださいよ」
「……善処する」
※※※
塔の壁に手をついて扉の中に足を入れると、やはり不自然な引力が働いていた。
それは大変不自由なものだったけど、いっそのことと勢いをつけて転がり込むことに成功した。
慌てて周りを見渡してみるけれど、モンスターどころか、何もない閑散とした部屋の窓にボロボロの白いカーテンが垂れ下がっているだけ。
ただ、あの匂いが充満しているせいで息をすることにかなりの抵抗が生まれたけど、敢えて大きく息を吸い込んで抗った。
そして、アオイとヨーコも塔への侵入を果たす。
アオイは緊張感を高めて周囲を見渡し、ヨーコは何度もせり上がってくる胃液を我慢をしているようだった。
少し間を置くと、ヨーコは「もう大丈夫」と言い平静を装っているけれど、眼から一筋の涙が零れ出た。
気持ちは痛いほどにわかる。
目には見えずとも、このむせ返る臭いにタダスケはもう生きてないんじゃないか?って想像が止まらないのだろう。
だけど、進まなきゃわからない。
「……上に行こう」
螺旋状になった階段を上っていく。
カツカツと俺達の足音だけが響き、その隙間を埋めるように自分の心臓が五月蝿く脈打っている。
そして二階の扉を開くと――。
――何もない。……一階と同じようにガランとした寒々しい部屋。
そして三階も同じように。
……四階も。
そしていよいよ最上階であるらしい扉の前に立つ。
あのむせ返る血の匂いは間違いなくこの向こうから漂ってきている。
……この先には何かがある。
「……ねぇ、……ごめんなさい」
呟くような声に振り返ると、両手を顔に当てて涙をこらえるヨーコがいた。
「……どうした?」
見ればわかることだけど、そう聞いた。
「……わたし、……やっぱり入れないよ」
……扉の向こうの光景を思い浮かべれば、親しかったヨーコなら当然かもしれない。
「……いいよ、ここで待ってても。……だけど、警戒だけは絶対に怠るなよ。何があるかなんてわかんないんだから」
「……うん。……ありがと」
そう言ったヨーコは扉に背を向けてもう一度「迷惑ばっかりで、ホントにごめんなさい」と呟いた。
俺とアオイはお互いの目を見て頷いて、扉に手をかける。
――ガチャリ。
暖まった空気がブワッと身体を撫で、ドロリと絡みつくような臭いにこめかみの辺りがジンとしびれた。
そして、これまでの部屋とは決定的に違う景色に顔をしかめる。
赤黒い血痕が水風船で遊んだ跡のようにいくつもいくつも部屋を汚し、その奥の壁面には死刑台のように絡まった枯れたツタが二つ見えた。
そしてその手前。
「――!」
痩せこけた男が地面に倒れ伏していた。
俺とアオイはお互いに顔を見合わせて頷き、慎重に近づいてみることにする。
げっそりと痩せているうえに上半身に服を着ておらず、あばら骨が浮き彫りになって鳥かごのように見える。
人間の骨格に皮を被せただけの蝋人形。あるいは本当にミイラのようにも見えて。
髪の毛はまばらに抜け落ち、皮膚の下のいたるところにはゴロゴロと触り心地の悪そうなと瘤がいくつも見受けられた。
特に目を引くのは心臓のあたりに埋没しているこぶし大の種子。大きな種子特有の脳みそみたいに見える溝には乾いた血が固まっていた。
さらに注意深く眺めてみると、小さくではあるが体が上下に動いていた。
――微かに呼吸をしているのだ。
――生きている!?
そして、その傍らに転がった両手剣。
「……まさか。……こいつ」
「……装備は、……一致してます。……あと、鼻の頭の、ホクロの位置も」
俺がこぼしたつぶやきにアオイは独り言のように返答し、涙を浮かべて唇を噛み締めた。
正直、ホクロの位置なんて覚えてはいなかったけど。
ブカブカになってるけどタダスケが履いていたズボンとブーツだ。
げっそりした顔を改めて見てみると、あの小太りの男が激やせしたら、こんな顔になってもおかしくないと思えた。
タダスケだと思って見始めると、もうタダスケにしか見えてこない。いや、これはどう考えてもタダスケだった。
「――タダスケ!」
あまりの嬉しさに慌てて抱き起こしそうになったけど、症状がわからないから強く動かすのもダメな気がしてそっと頬に触れるにとどめた。
触れた肌はひんやりと冷たいけど、薄い皮膚からは幽かな脈動が伝わってくる。
トクン。トクン。トクン。トクン。
――ああ、こいつは生きている。
その鼓動を指先から感じるごとに俺の感情も一足飛びに膨らんでいき、押さえ込んでいたものが堰を切ったように溢れてくる。
生きててくれてよかった。諦めないでよかった。見捨てないで良かった。
俺たちの無茶な冒険は決して無駄じゃなかった!
ガリガリで見るからに瀕死だけど、途中で諦めていたらこのちっぽけな希望すら無くしてたんだ。
それでもこんな状態でもやっぱりこんなにも嬉しいじゃねぇかくそ野郎!
付き合いの長さ?こいつの人間性?そんなくだらないもので諦める理由を探して俺はバカみたいだ。
出来ないんじゃないかって諦めて、あれはしょうがなかったねって笑えるわけなんてないだろう。
――諦めないで本当に良かった。
だってこいつが言ったんだ。お前は俺の数少ない……。
「おいタダスケ!迎えに来てやったぞ!」
しかしタダスケの目は開かない。
――届け。
「起きろタダスケ!帰って飯食うぞ!アオイの作ったシチュー食わねぇのか!?」
――届けよ!
すると、アオイが気づく。
「……あ」
タダスケの瞼がピクと動いたのだ。
「おいタダスケ!頑張って目ぇ開けろ!」
届けよ、聞こえろよって馬鹿みたいに叫びながら、その肉のそげた頬をペチペチと叩く。
しばらくそんなことを続けてると……。
「……イ、イナ……ホ」
目も開かないまま、本当に幽かにだけ口が動いて、カッサカサの声が俺の名前を呼んだ。
「タダスケ!――」
タダスケの浮かび上がった意識を引っ張り上げたくて、暗闇の奥へと手を伸ばすように叫んだ瞬間、この部屋ではない遠くから――
『――イヤャ!』
ヨーコの叫び声が聞こえてきたのだ。
「――くそっ!ちょっと見てくる!タダスケは頼んだ!」
「……あ、ちょっとイナホさん!」
「ヤバそうなら呼ぶから!」
俺はアオイの制止の声を振り切って駆けだした。
そんなふうにして、俺はまた、間違えたのだ。




