16.快進撃その2 水鉄砲でも良いじゃないの。
「層境の長い洞窟を抜けると平原であった。昼の空は白くなった。私達は三層に到着した」
アオイが見渡す限りの平原を眺めながら、教科書を音読するように朗々と語る。
「なに今の。……ポエムか何か?」
「パロディだろ。川端康成の。『雪国』って聞いたことない?」
「ううん。聞いたことないかな」
俺の注釈に肩を竦めるヨーコ。
まさかこの世界に川端康成は無いのか?と衝撃を受けていると、アオイは「ノンノン」と人差し指を揺らした。
「宿舎の図書室に『伊豆の踊子』はありましたから、康成は居ます。だからきっと『雪国』もっ!」
まるで『夢は叶うんです!』って感じで力強く言った。
「そりゃ朗報だけど、誰も『康成』とは言わないだろ。下の名前で呼ぶのは『春樹』と『龍』を呼び分けるためだけで十分だ。……あ、いや、『鴎外』とか『漱石』とか『周作』とかも呼ぶか。……ありゃ?」
「イナホさん。遠藤周作こそ「周作』とは呼びませんよね?」
「……え、それマジでいってんの?」
「一度たりとも聞いたことありませんよ?」
ふむ。意外だな。
遠藤周作と言えば【沈黙】や【深い河】或いはエッセイなどで有名な大作家であるが、俺の中では『周作』か『狐狸庵先生』である。
ちなみに『狐狸庵』の由来は【狐狸庵閑話】という彼の作品から来ており、『こりゃアカンわ』をモジッたものだと作中に書いてあった。……一生役に立たない豆知識を挟みつつ。
まぁ、俺としては純文学作家の『周作』よりも、『狐狸庵先生』としてのだらしないエッセイの方が好みで――。
とか何とか考えてると、ヨーコのため息が聞こえた。
「まったく。……あなた達が何の話しをしてるか全くわからないけど、初めての三層なのにもっと感動とか緊張とかしないの?……それとも二層の【門番】もあっさり通過したし、あなた達にとっては何も思わなかったりする?」
「何言ってんだよ。すげぇ苦戦したじゃねぇか」
「ですです。肝が冷えました。それに私は感動したからこそ、それに相応しい【雪国】が思い浮かんだんですから」
「……【雪国】ってのはどうでもいいとして、【門番】に苦戦したって本気で言ってるの?……私達が通るときなんて別の野良パーティーと合同でゴリ押ししてたのに」
「ちょっと待ってください、【雪国】はどうでも――」
何だか女性陣が盛り上がってきたようだけど、一応は説明しておかなければならないだろう。
ヨーコの話にもあったように、俺達は先頃三層に到達したわけです。
二層は未探索エリアがまだ残ったままではあるけど、今回の潜行ではわざわざ通る必要もなく、普段の探索とあまり変わらない難易度で【門】まで到達することが出来た。
しかし、二層の門は一層とは違い、小部屋や通路があるわけでもなく森の中の傾斜面に穿たれた大きな穴があるだけだった。
オマケに二層のモンスター達は耳も目も良い奴らが多くて、基本的にはこちらが気づくより先に見つかってしまう程だから、一層と同じような囮作戦が使えなかったのだ。
しかし、頑張って頭を悩ませた結果は単純で、【すぐに見つかるなら、見つけさせればいいじゃないの作戦】。
これが功を奏した。
俺達は【門】の遠くに位置取り、知覚範囲の最も広い【門番】に気付いてもらう。
すると、気付いたやつから一斉にこちらへ向かって来たのだけど、結構な距離がある分個体差によってタイムラグが出来るわけだ。
俺達はその場に留まっているから、弓とクロスボウで落ち着いて迎撃できるおまけ付き。
そして、近付いたやつからいつも通りに処理していけばいい。
しかし、途中で【雉の小人】が三体同時に突っ込んできた時や、【門】とは別の方向から【藪ネコ】二匹が音も立てずに忍び寄ってきたときは心底肝が冷えたし、脳みそが思考停止寸前でショートしそうになったけど、アオイとヨーコの助けもあって何とか切り抜けられたわけだ。
決して余裕があったわけじゃない。ギリギリのラインで運良く無傷で切り抜けたというのが正しい。
そして、戦闘後に俺とアオイが【すぐに見つかるなら、見つけさせればいいじゃないの作戦】が無ければヤバかったなと話していたら、ヨーコは言った。
『まるで世紀の発明みたいに話してるけど、普通にエンカウントして、普通に戦っただけってことには気付いてるの?』
俺達二人は少し頭を捻ってから、衝撃の事実に気が付いたのだった。
世の中、新しい発見をしたつもりになっても大抵は先に誰かが思いつき、それを形にしているものだ。
……いや、それとは全然違うんだけどね。
ただのポカミスですよ。……はい。
まあ、そんなわけで三層へと到着したのだった。
三層といえば、見渡す限りの草原で稀に大きな木がポツンポツンと立っているスッキリとした風景。
太陽が真上にあるのだけど、薄ボンヤリとかかった霧のせいで、なんとなく冬の朝を思わせるような心寒い印象だった。(余談だけど、寒いわけじゃあない)
霧と言っても視界を妨げるほどじゃないから、森林の二層よりも視界が広い。
とある例外を除けば襲撃への警戒は容易なので、戦力さえ整えれば二層よりも安全に狩りを行えることから野良パーティーにも人気があるそうだが……。
「……ねぇ、こっちに進むと【空色の壁】があるんじゃない?」
ヨーコが心配気に訪ねてきた。
「ですね。でも、それを迂回していくと【水面塔】までは随分遠回りになりますから。元々時間的な余裕もありませんし突っ切っていく所存ですよ」
「……本気で言ってるの?いくらあなた達でも無謀じゃない?こっちは三人よ?」
まぁ、その心配はごもっともである。
【空色の壁】は、別名【初心者殺し】とも呼ばれており、その名の通り、いや、実際にはその名が表す以上の驚異で、新米冒険者だけでなくある程度経験を積んだ冒険者があっさり殺られることも少なくない。
逆に言うと、それを攻略できたなら脱初心者と言えるのかもしれない。
さて、じゃあ何をもって初心者殺しとまで言われているか。
――【空色オオカミ】は空に擬態する。
それも、ただ水色に変わるのではなく殆ど本物の空との違いがわからないような高度な擬態だ。
下鴨の三層では薄っすら霧がかった青空に。兼六園ダンジョンの映像では濃紺から赤に変わる夕日のグラデーションまできっちりと再現されていた。
空だけを対象とした光学迷彩とでも言えば伝わりやすいのかもしれない。
とはいえ、例えばこの下鴨ダンジョン三層だと、【空色オオカミ】が地表にいる時はそれほど問題なかったりする。
いくら空に擬態しようともオオカミより人間のほうが目線が高いわけで、つまり、普通に地表にいる時には背景の殆どが草原となるのだから、草原に空色のオオカミがいるだけである。
だけど、当然のことながら彼らは自身の特性を充分に理解しているわけで、擬態を生かしての跳躍攻撃はもちろん。上にばかり気を取られると今度は背後に回られるし、かと思えば、それこそが注意を引きつける手段で空から本命の攻撃を……。ってな感じ。
総評として、【空色オオカミ】は群れとしてかなり統率がとれていて、その上緻密で計算高い。
これまでの一般モンスターとは一線を画すわけだ。
だけど、無策で挑む俺たちではない。
タダスケの件があったから時期は少し早まりはしたものの、三層への進出はもちろん視野に入れていたわけで、その最大の難関とも言われていた【空色オオカミ】の対策をしていないわけがないのだ。
もちろんぶっつけ本番にはなるけれど、決して勝算が薄いとは思ってない。
思ってたら流石に迂回してるしね。
大丈夫。きっとうまく行く。
「――てわけで、ヨーコにはこれを進呈します」
「……え゛。…………何これ」
バックパックから取り出したものを受け取ると、ヨーコの顔は引きつったままフリーズした。そして『は?マジで頭おかしいんじゃないの?は?は?』と顔に書き綴られていくけど、そんなことはお構いなしだ。
だって。
「……対【水色オオカミ】決戦兵器に決まってんだろ?」
カラフルなプラスティックのボディのこいつこそが、【空色の壁】を撃ち抜くキーアイテムになるはずだ。
自信満々の俺の言葉にアオイは真剣に頷くが、しかしヨーコはポカーンと口を開けて言った。
「…………嘘でしょ?……だってこれ、ただの水鉄砲じゃない」
そうですよ。ただの水鉄砲です。




