2 灰の少女とナイフとメガネ
イチカとは別行動で一人歩く。
俺の記憶にある嵐山の町並みというと、お土産屋さんが立ち並び、どの季節であっても観光客が行き交っていたはずだけど……。
「これじゃコケシもペナントも買えねーな」
せっかくアオイを喜ばせてやろうと思ったのにさ……。
下鴨ダンジョンの糺の森と同じように、武器屋や道具屋など冒険者関連の店が立ち並び、カフェやコンビニがあるところまで同じようなものである。
街を歩く人は殆どが冒険者で、金属鎧を着ているオッサンから普段着のような装備にイカツイ大斧を持ってる少女まで様々だ。
ただし、下鴨との違いは嵐山が関西随一の高難度ダンジョンだということ。
最高到達階層は未だ八層止まり。
この世界で初めて見たテレビでやっていた、カミヤというリーダーが率いるレイドが七層のボスを倒したというやつである。
それに比べて下鴨は十五層、伏見は十二層まで進んでいる。
攻略階層の多寡だけで難度が決まるわけではないけど、この三つのダンジョンに関してはおおよそ数字の通りに解釈しても構わないだろう。
つまり、関西最難関と言うだけあって、店に置かれている物から町を行き交う人々までが下鴨とは一味違うというか、格が違うというか……。
「……迷子になるというか」
うん。そうなんです。
俺は疑うスキもないくらいの迷子になっているところだった。
オギさんの工房に用があったイチカに代わり、武器仕上げに必要な素材のお使いを頼まれて出てきたが、まさかのまさかである。
自分がどこに居るのかわからなくなったのなんて、小学生の時以来ではなかろうか。
「あの赤毛。すぐにわかるとか言いやがって」
と言いつつ。
そもそも、面白そうな店を見つけては入ってみた俺が悪いんだけどさ。
そんな経緯があって、渡された地図を見ながら人気の少ない道で立ち往生しているのだが……。
……先程から妙な視線を感じているのだ。
大通りにいた時は気が付かなかったけど、道を逸れたあたりからおかしいなと思い始めていた。
そして、今となっては付けられているのは明白。
なぜならば……。
路地から追跡者の顔が半分見えてるし、俺が振り返るたびにピョコン!とそれを引っ込めるんだぜ?
怪しいったらないし、下手くそったらもっと無い。
小学生のかくれんぼでももっと上手くやるだろうよ。
相手は小柄な印象で、目深に被ったフードの中では灰色の髪が顔を隠しているらしい。
でも、不思議と悪意や危険は感じなかった。
多分動きがチョコチョコとしてコミカルだからだろう。
ただ、何が目的だ?
暗殺される心当たりも無いし、カツアゲだとするとそろそろ話しかけられてもいいはずだし。
「……ついでに道でも聞いてみるか」
何か用でもあるのかもしれないしね。
俺は踵を返して声をかけてみるることにした。
しかし、路地を覗いてみると例のヤツの姿は無かった。
多分、逃げたのだろう。
「ま、それならそれで――」
別に構わない。
そう呟く前に、俺の背後、耳元で声が聞こえたのだ。
「――あ、あの」
ガバッと振り返った眼前には、消えたはずのフードの奴がいた。
「――うわぁ!」
驚いた俺はデカイ声を出してしまう。
いや、普通驚くだろ?
するとフードの中、灰色の髪の間から覗く顔――中学生くらいに見える幼い顔立ちの少女――も瞬時に驚きに変わり、
「――にょわぁぁぁぁ〜!」
と叫びながら、走り去ってしまった。
途中で一度転んで「あひゃ」と言ったが、半泣きで再度立ち上がり、路地に姿を消してしまったのだ。
「……何だあいつ。ビックリして逃げてったのか?」
何がなんだかわからなまま、少女が走り去った方角を見つめていた。
「……でもどっかで見たことあったような」
考えてみても思い出せないままモヤモヤとしつつ、頭を切り替えてお使いを続けることにした。
しかし、あの子の追跡をあっさり見破った俺だけど、この光景を見ていたもう一人の人間がいたことに気づくことはなかった。
※※※
結局、通りかかった警備兵に店までの道を聞き、イチカに頼まれていた【暴れ竹の花弁】というレアアイテムを手に入れることが出来た。
それをイチカに連絡したところ、そろそろ昼飯でも食べようということになり、渡月橋で待ち合わせすることになった。
五分ほどかけて待ち合わせ場所に到着するとイチカは先に到着していたのだけど、どうやら男に声をかけられているらしい。
「えー。ちょっとくらいいいじゃないっすかー。飯が駄目ならお茶とか?カラオケとかでも良いっすよ?俺、結構上手いんっすからー」
ヒョロっとした軽薄そうな男は両手をポケットに入れてイチカの顔を覗き込むように話している。
「……ウザい」
イチカはそう言って、嫌悪感を隠そうともせずに体の向きを変えるが、
「えー、いいんすか?俺、こう見えても修復同盟なんすけどねー。勿体無くないすか?」
男は懲りること無くイチカの前に回り込んだ。
さて、こういう時はどう声をかけるべきなのか。
ナンパする側はもちろん、ナンパの仲裁なんて縁がなかったものだからよくわからん。
でも、まぁ。
「イチカ。待たせたか?」
あまり気にせずに声をかけた。
「……遅い。もっと早く来い」
イチカも何でもなかった風に二人でその場を去ろうとしたのだが、その時。
「ぷふぁ!まさかお姉さんの相手ってコレっすか?……超ウケるんすけどっ、ぷぷっ!」
男は俺を指さして「クソ我慢できねぇー、ギャハハハ!」と腹を抱えて笑った。
そりゃ、見た目で言うと釣り合いなんて取れないのはわかってるけど、露骨に指さして笑われたら俺だって頭に血が上る。
「……喧嘩売ってんのか?」
男に近付こうとするが、「アホか。あんなの相手にするな」とイチカに腕を引かれる。
「ぷひゃ……勇まし〜!喧嘩売ってんのかって? 喧嘩売ってんのかって……?」
なおも笑う男。
俺は我慢できなくなってイチカの手を振りほどき、男に近づこうとするが――
「俺を誰だか知らないんすか?」
――耳元でそう言われた。
そして、喉元に冷たい感触、小さなナイフだ。
俺が反応も出来ない一瞬で懐に入りこんだ男。突然のことに息が止まりそうになる。
しかし、咄嗟に男の襟首をガッチリ掴み――
ナイフ? そりや、切られたら切られた時に考える。
「――知るかボケ!」
ドゴッ
――その鼻筋に頭突きを叩き込んだ。
「んごっ!」
男は仰け反りながら鼻血を撒く。
「……痛っ」
俺は首に小さな痛みを感じて触れてみると、そこには少しだけ血が滲んでいた。
「……修復同盟相手によくもやってくれたっすね。……覚悟はできてんすか?」
男は鼻血を拭いながら立ち上がり小さなナイフを構える。
そこに怯えた様子など一切ない。
「正当防衛だよコノヤロー。それにティター○ズなら知ってるんだけどな。んな変な名前聞いたことも無いわ」
構える武器など持っていない。ナイフ相手にどこまで出来るかわからないが、負けてやるつもりなんてサラサラない。
しかし、
「イナホやめろ!」
イチカが間に入り俺を止めようとする。
しかしその瞬間――。
「――貰い!」
男はイチカを構うことなく切りかかってきた。
俺は慌ててイチカを庇って体を入れ替えた。しかし、俺に出来たのはそこまでで――
「――キサマっ!」
――飛びかかってきた男の腹に、突如として現れたインテリメガネのイケメンのボディブローが捻れるように突き刺さった。
「ごはぁ!」
男は吹っ飛ばされて橋の欄干にぶち当たり透明な吐瀉物を吐き出した。
現れたメガネは男に歩み寄り、髪の毛を掴んで顔を上げさせる。
「お前が修復同盟を騙るチンピラか」
殴られた男はメガネの顔を認めた瞬間に蒼白な表情で固まり、
「……ち、違う、違います!俺はっ、修復同盟入りの二次審査で!……今回の課題もほらっ、アイツっす!ハートの入れ墨の!ちゃんとアイツを見つけたんすよ!」
男が俺のことを必死で指さすと、メガネは俺にチラリと一瞥をくれる。
その鋭い眼光にゾワリと背筋が怖気立つと共に、記憶からある男が想起された。
「……危害を加えろとは言ってない。落第だ」
メガネイケメンがナイフ男の頭を持って軽く立ち上がる。
ナイフ男は表情を必死に歪ませた。
「……カミヤさん、許して――」
バギッ!
言い終わる前に、カミヤと呼ばれたメガネイケメンの膝が男の顔面を打ち抜いた。
「あがっ!」
男は大きく仰け反って欄干を超えて桂川へ落下し、バシャンと飛沫を上げた。
ざまぁみろ!ばーか。と思ったのは一瞬だけだった。
「おいっ!?」
俺は慌てて川を覗き込んだが、幸いなことに親切な誰かが飛び込んで救出に向かっていた。
無事に助け出された男を見て安堵のため息を漏らした俺に、後ろから声がかかった。
「何故相手の心配をする?」
抑揚の無い冷淡な声。
振り返ると、カミヤは神経質にハンカチで膝を拭っているところだった。
……なんでって。
「……俺がしてたのは喧嘩だ。殺したかった訳じゃない」
あの威力と当て勘だ。脳震盪を起こしていないほうが不思議なくらいなのだから、そのまま川に落ちれば溺死も十分にありえると思った。
例えナイフを向けられた相手だとしても、死んでも良いとは思うわけないだろうに。
すると、カミヤはフッと笑う。すると、先程までの冷淡さが嘘のように穏やかに見えた。
「それは俺もだよ。うちのメンバーに助けに行かせたから死にはしないさ。二度とウチの名前を騙ることがないように反省はしてもらうけど」
そう言ってコチラへ近付いてくると、右手をスッと差し出してきた。
「迷惑をかけたね。修復同盟の代表、カミヤだ」
俺は差し出された手を見て、その真意を探るようにカミヤの目を見た。
この世界のズレを知ったキッカケでもある嵐山ダンジョン攻略の映像。
その中心にいた人物。
テレビで見たよりもよほど端正な顔立ちで、そのキレイさは世の女性の一部からは薄い本で楽しまれそうな程だろう。
表情は潔癖そうで凛としており、敵に対しては悪巧みよりも真っ向から完璧に叩き潰すような潔さを感じる。
だが、あのナイフの男が言っていた言葉を忘れたわけじゃない。
『ぷひゃ……勇まし〜!喧嘩売ってんのかって?。喧嘩売っ――』
違う。……思い出し間違えた。
……改めて。あの男の言ってたことは忘れてない。
……ごめん、ホントは正確には覚えてないんだけど。
『二次審査の課題。ハートの入れ墨のアイツを見つけたっす。カミヤさんマジ勘弁して欲しいっす』
……的なことを言ってたのは確かだろう。
つまり、あの男が言ってたことが虚言じゃないのなら、カミヤは俺を探してたということ。
しかも、人数をかけて。
これで警戒しないわけにはいかない。
「とりあえず謝罪は受け取る。……でも握手は好意ありきでしたいとこだ」
「なるほど。あんなことがあったあとじゃあ仕方ないね」
カミヤは笑みをこぼしてから右手を引っ込め、こう続けた。
「下鴨のイナホ君でよかった?コチラの都合で恐縮だけど、少し話に付き合ってほしい」
名前までバッチリ知られてることに肝が冷えたが、想像していた展開の中でもずいぶんマシな方だった。
「……わかった。だけど――」
一つだけ気がかりなことがあった。
コレだけはしっかりと聞いておかないといけないだろう。
……絶対に。
「――絶対痛いことしない?」
「って、急にカッコ悪ぃな!」とイチカの罵声。
カミヤは「しないしない。ホント、全然そういうんじゃないから」と驚いてから、にこやかに笑っていた。
その表情を見るに、どうやら悪いやつではなさそうである。
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