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29、今だけはもう少しだけ

一章最終話でございます!

 俺とアオイは重大な要件のために、初心者講習の時に訪れた京都市役所のある河原町通りを北へと上っていた。


「いよいよですね。イナホさん」

「おうよ。お待ちかねだな」


 いつか見上げた雑居ビルを前にして顔を見合わせる俺とアオイ。


 今朝退院したばかりの俺がなぜこんなところにいるかというと、なんだかんだと理由があった。


※※※


「遠野さん。それでは退院ですが、……えっと〜、お迎えは?……よくお見舞いに来ていた赤毛の美人さんとか」


 そう言ったのはこの医務室の師長さん。

 申し訳なさそうな表情の中に好奇心が透けて見えている。


「……あ〜、あの人は仕事ですね。まぁ、俺一人みたいですね。……はい」


「……そうですか、……寂しいですか?」


「……いや、別に」


 なんとなく気まずい沈黙に包まれながら最後の忘れ物チェックをしていると、勢いよく病室のドアが開いた。


「す、すいません遅くなって!お迎えに来ました!」


 額に汗を滲ませているアオイだった。


 それを見た師長は嬉しそうに俺を肘でつついて耳打ちをした。


「……良かったですね。第二夫人が来てくれて」


 すごくにこやかに、心の底から安堵しながら言ったのだ。


「……あんた、俺をどんなふうに見てんだよ」


 師長さんはバツの悪そうな顔で荷物の入った紙袋を俺に差し出すと。


「……はは。またのご来院をお待ちしてま〜す」


 おい、それ病院で絶対言っちゃいけないやつだからな。


※※※


 俺達は医務室を出て、アオイに連れられるままに道を歩く。


「イナホさん。体調はどうですか?」


「ん?すこぶる元気だよ。医者には今からでもダンジョンに潜れるくらいって太鼓判が押された」


「ふふ、良かった。よーし、じゃあ今日の予定は修正です。市中連れ回しの刑に処します」


「まあ、曳き回されないなら望むところだ」


「でも、その前にご紹介いたしますのはこちらです。……ジャジャ〜ン!」


 アオイがそう言って手を広げた先にあるのは古びた洋館だった。


 本来オレンジ色のスペイン瓦は黒ずみ、西洋漆喰とフェンスには盛大にツタが絡まっている。


「ん?……何これ、お化け屋敷?」


 窓から白いワンピースの少女が覗いていてもおかしくないし、近所の小学生から怖がられてないほうがおかしいくらいだろう。


「ん、ふ、ふ。壁の中には黒猫が塗り込められてるかもしれませんね」


 腕を腰に当てて何故か自慢げなアオイ。


「ポーじゃないんだから。それにあの話はちょっとしたトラウマだよ」


 エドガー・アラン・ポーの代表的短編。

 あぁ、思い出しただけで悲しくなる。名作だけど。名作だけども!


「冗談ですよ。野良猫なら居着いてるかもしれませんが、こう見えて中身は結構キレイなんですよ」


 ん?てことは……。


「俺たちここに住むってこと?」


「……あれ?……嫌でした?」


 外観は確かにお化け屋敷じみてるけど、恐らくそれは手を入れてないだけ。大掛かりではあるけど掃除をすれば何とかなるレベルだと思う。

 見た目や広さで言えばむしろ憧れるような佇まいなわけだし。


 何より俺が驚いてるのは別のことだ。


「嫌なわけないけど、でか過ぎないか?こんなところ、家賃ヤバイんじゃないの?」


 こんな大きな家の相場がわからないけど、15万とか20万って言われても安くね?って思うレベルだ。


「それがですね、なんやかんやありまして、何と5万円です!」


「なんということでしょう!……って、猫どころか人柱でも塗り込められてんじゃねぇの!?」


「ふははは。そこは数少ない人脈によって賄われているのです!」


「んん?……とりあえず、内見がてら詳しく聞こう」


「あいあいさー!」


 そうして俺達は家に入ってみるが、中は驚くほどにキレイだった。

 リビングは広いし寝室も多い。水回りもヨーロッパの家みたいに立派だし、家電、家具もすでに備え付けてある。

 そして、ホコリどころか髪の毛一本すら見当たらない。


 革のソファの座り心地を確認がてらアオイに話を聞いたところ、この家の家主はイチカの友人(?)のオギさんらしい。


 初めてイチカに会った日に鍛冶屋さんと勘違いしてしまって、結局俺たちの仲を取り持ってくれた人だ。


 何年か前に下鴨に移り住む予定だったので、不動産競売にて工房付きのこの家を格安で取得したそうだ。


 しかし、イチカの親父さんの訃報や嵐山での商売が思いの外軌道に乗ったことが重なり、この家に住むことは無くなったそうなのだが、この家の工房には中々手に入らない古い特殊な設備があるらしく、また、その設備の再現も難しいことから簡単に手放すのは惜しい。


 そのまま工房だけ使って母屋はズルズルと空き家にしてきたところに、アオイが家を探していると耳にして声をかけてくれたそうだ。


「固定資産税や維持費も馬鹿にならないんですって。なので初めは3万円って言われたんですけど、流石にそれは悪い気がしまして、何とか引き上げ交渉をしてみたんですが、……結局5万円までしか無理でした」


 アオイは納得いかないご様子だが、


「……確かに5万でも安すぎるから気持ちはわかるけどね、家賃を引き上げ損ねて落ち込むのはおかしな話だからね」


「うぅ、わかってはいるんですけどね、なんだか申し訳ないというか……」


「ま、相手は商売人だから。何の算段もないわけじゃないだろうから、その時に返せる分は返せばいいんじゃない?」


 オギさんは嵐山で防具の工房を持っていたはずだ。


 どうせそのうちお世話になると思ってたんだし、ちょうどいい機会になるだろう。

 

「……なるほど。それなら少し気が楽になりました」


 ま、オギさんに商売のつもりがあるかはわからないけどね。


「それと、まぁ、その、……こんな良い家を見つけてくれてありがとな」


「……はい!……じゃあ約束通り、デ―、――あっ、えっと、で、で、電気屋さんとか?に、家のお買い物にでかけましょう」


「お、おう」


 なんでまた耳が赤くなってるのかわからないし、家電なんて大抵のものは揃ってんだけどな。


※※※


 そして俺達は四条のあたりで本当に電気屋に行ってスマホを買ったり、食器を見たり、ベッドシーツやバスタオルなどの生活雑貨や、洋服などを軽く見て回り、決して軽くない量の買い物をした。


 道中は相変わらずの適当な話に興じて笑い合って、こう言ってはアオイに悪いけど、まるでデートみたいだなと思いつつ。


 流石に持ち歩けない量だったので配送サービスにお願いして身軽になり、ようやく冒頭の雑居ビルにあるカフェへと到着したわけだ。


 大きな窓の前にある二人がけのソファに座ると、広い空と京都の街が見渡せる。

 背の高い建物が少ない京都市内では、ビルの5階と言えどもかなり清々しい景色だったりする。


 運ばれてきたカヌレとレモネードとコーヒー。


 初めて食べたカヌレというものは想像よりも優しい甘さでほろ苦い。そのままでも良いけど、生クリームを付けて食べるとかなり旨いです。はい。


 それに、いや、それよりも。

 講習の日に交わしたアオイとの小さな約束を守れたことは素直に嬉しいことだった。


 傷つきながら、苦しみながら、地べたに這いつくばって。

 ようやく得られたのはごくごく普通の時間だけど、長兵衛を倒した時には感じることが出来なかった達成感があった。


 まぁ、初心者向けダンジョンの一層しか行ってないのだから、これからも這いつくばるのは変わらないんだろうけどさ。


 で、アオイはどんな顔してんだろ?と思って横をチラ見すると、さっきまでは嬉しそうにしていたはずなのに、何やら難しい顔をしているように見えた。


「どうかした?」


 そう言うとアオイは「ふふっ」と笑った。俺がそれに首を傾げると。


「イナホさんって、そういうのはすぐに気づくから」


「あん?それだと俺が何かしらに鈍感みたいに聞こえるけども」


「あ、……え〜と。それはまぁいいんですけどね」


「お、おう」


 なんだかわからないけど、言いたくないこともあるんだろうと考えていると。


「あのね、イナホさんは元居た世界に帰りたいとか思いますか?」


「あ〜。元の世界か、俺は――」


 未練という未練は、家の本が売られてしまったことくらいだろうか。

 手に入れるのに苦労したものも少なくなかったので、もう一度集めるとなると骨が折れるから。


 人間関係で言えば、本屋の人たちや両親、数少ない友達と時間をかけて築いた関係性が失われたことは寂しく思う。

 でも、冷たいようだけど、眠れないほど悩ましく思っていない自分もいるのだ。


 自分で言うのも虚しいけど、俺というパーツを失ったところで世界は滞りなく動いていく。


 そこに喪失の悲哀や怒り、或いは喜びのようなものが生まれたとしても、それは世界で毎秒のように起こり得ることなわけだし。


 今の考え方自体、向こうの世界で俺たちが行方不明にされてる考え方だけど、単純にそうなっているとは限らない。


 元の世界では俺たちにまつわるみんなの記憶や生きていた痕跡さえも消失している可能性もあれば、コチラの世界に居た俺と入れ替わってるとか、案外有り得そうなのが向こうの俺はそのまま普段通りに過ごして、分離した俺がこちらに来ているだけかもしれない。


 それらのパターンの場合でも答えは変わらない。他にも例えば――


 ――と、そこまで考えたところで、アオイがジッとこちらを見てることにようやく気がついた。


「――わりぃ、まぁ、別に帰れなくても良いかな」


 するとアオイは「ぷふっ」と笑った。

 俺はわからなくて首を傾げる。


「実は私もなんですよ」


 嬉しそうにクスクスと笑うアオイ。


「……へぇ」


 俺としては、アオイがそんなふうに考えていたのは意外だった。


 両親や、前に話していた唯一の友達に対して心残りがないはずはないのに。


 そんな俺の表情でも汲み取ったのか、アオイは外の景色を見ながら続ける。


「……もちろん、元の世界に未練が無いとは言いません。そもそも帰る方法なんて都合の良いものがあるかわかりませんが、何かしら帰れるとして、でも、困ったことにこちらにも大切なものが増えてきてて、もし帰るとなると結局こちらへ来た時と同じように、きっと寂しくなってしまうんです」


「うん。……そうだな」


 元の世界へ帰る場合、それはコチラの世界と決別するということだ。


 過去の日々を取り返すと同時に、それはコチラの世界を喪失するということ。


 こちらに来てから一ヶ月程度ではあるけど、それはとても真剣に、真正面から生きた一ヶ月だ。

 その濃密さは元の世界での生活の比ではないだろう。


 そんな時間の中で出会った人たちは、俺にとっても特別な人たちだ。

 嫌なやつや癖の強い人間ばかりだけど、例え腹を立てた相手だったとしても、深い部分で繋がりあった気さえしている程に。

 


「……それに――」


「うん?」


 アオイは俺から顔を背けてボソリと呟いた。


「……イナホさんも居るから」


 俺は何故かその言葉がとてつもなく恥ずかしくて嬉しくて、熱くなった顔を慌てて反らした。


 時々ふと顔を出す感情に煩わしさをおぼえながらも、なんてことないふりを装って答える。


「……お、おお。……そりゃ、まぁ、結構こちらこそで、ど、どういたしまして……です」


 全然装えやしなかったけどな!

 恥ずかしいったらありゃしない。

 くそっ!

 

「……ふふ、変な喋り方」

「……うるせい」


「……そ、そういえば、……傷跡はほとんどわからなくなりましたが、ハートの入れ墨の真ん中にひび割れみたいに残ってますね。これじゃまるで……」


「……失恋マークみたいって言いたいんだろ?……長兵衛のやつ、ワザとやったんじゃなかろうか」


「でも、それも可愛いですよ?……哀しみを背負った感じで。哀・戦士ってやつですね」


「……引用がが古いから」


 無駄に恥ずかしい会話はそんな感じでたち消えたわけだけども、皆様に言ってないことが一つあってだな、


 実はさっきからお互いの手の甲が偶然にも触れ合っているのだ。


 アオイは気づいてないんだろうか?とか、実は嫌がってんじゃねぇのかな?とか、何処かのタイミングで離したほうが良いんだろうな、とか思いつつも、そのぬくもりに抗えないでいたわけで。


 でもきっと、ようやく手に入れた彼女と俺の日常は、時々湧き上がりそうになるその感情を認めてしまえば瞬く間に失われるのだろうし。


 地獄の中から掴み取った彼女の日常を、俺の曖昧な感情如きに壊させてたまるものかと抗っていたわけで。


 だけど、アオイが嬉しそうに楽しそうに話すものだから、あとほんの少しだけ、自然と離れるその時までは、触れた手は離さないでもいいかもしれない。……と思っているわけです。……はい。



 ――第一章 完――

これにて一章は一段落となりました。

こんな所までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます!心より感謝しております。マジで。


もしものもしも、続きを読みたいと思っていただけるならブクマをポチっていただけるととても元気になります。

評価などもいただけましたら、さらに嬉しいんですよ|д゜)チラッ


改めて、ここまでご覧頂いてありがとうございました!

続きもお楽しみいただけると幸いですぜ!


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