27、戦場にスカートがはためく時
巨大な弾丸のように迫る長兵衛。
――目を逸らすな。
自分に言い聞かせて長兵衛を見る。
跳躍しながらの右フックを左に避けながら、無理のない程度に鉄パイプを前に出す。
これはもちろん難なく避けられたが問題ない。
長兵衛が蹴りを出すのが一拍遅れたことで、俺はバックステップで避けることが出来た。
思い通りだ。
続く回し蹴りは掻い潜ると、下からすくい上げるような爪をサイドに躱す――
「――ッつ」
――が、爪が左腕を掠めていった。
さらに右の突きが眼前に迫り、慌てて体を捻ると、視界の端で左フックの気配を感じて、いっそのこと体ごと回転して鉄パイプをぶん回すと長兵衛は飛び退いてあっさり距離をとった。
「……イナホさん。……すごい」
「……いや、……凄かなんてない」
高層ビルの間をワイヤーで綱渡りしてるようなギリギリの緊迫感。
一歩、いや、指一本動かし方を間違えればその瞬間に頭が体とサヨナラしてしまう。
長兵衛は憎々しげに「guruu」と喉を鳴らした。
俺は長兵衛の空気が変わったような気がした。
――本気で取りに来るつもりだ。
そして、俺がやばいと思ったときには巨大な爪が眼前に迫っていた。
「っつっ!」
それまでとは一段違うスピード。
辛うじて避けたものの、頬をぱっくり裂かれて血が舞い散る。
痛みに顔をしかめた俺は地面の窪みに足を取られてバランスを崩す。
長兵衛がそのスキを見逃すはずもなく、最高速で迫った首をグンと伸ばす。
大きく開けた真っ赤な口。
その禍々しいキバにはヨダレが滴り、忌々しい俺の命を刈り取れる喜びが満面に溢れていた。
ああ、呆気ない。
このまま喉を食い破られてサノみたいに脳みそとか食われるんだ。
ジ・エンド。
ゲームオーバー。
サヨナラ。
そりゃそうだよな。
いくら動きが見えたからって、冒険者を初めてひと月にも満たない俺がクルリと同じようにやれるわけなんてない。
あいつはこれまでもやってきただろうし、天才って言われてるらしいし。
世間での俺の評判なんてほとんど無いし、あってもアオイのパーティーメンバー程度。
おまけでハートが目立つくらいだ。
アオイはそこそこ知られ始めてんだよなぁ……。
華あるもんなぁ……。
……アオイは?
俺が諦めたなら、アオイはどうなるんだ?
一人残されてコイツに勝てると思うか?
――いや、さすがに思わない。
こう言っちゃなんだけど、俺と合わせないとアオイの良さは半減する。
こんな化物を殺るには二人で力を合わせてようやく。それでも水からワインを作るレベルの奇跡を起こして届くかどうかといったところだろう。
そして、その奇跡ってのはアイツとならなんだか容易いような気さえするから不思議だよな。
忘れてた俺は薄情だ。
俺の視界は長兵衛の大口で一杯になってるけど、心配そうに、それでも俺のことを信じてるやつがそこにいるはずなんだ。
自分一人じゃどうにもならなかったけど、ここからはアイツのことを信じればいいだけだ。
それなら俺にも出来るだろ。
やらなきゃ男が廃るだろ?
おいしいデザートを食うんだろ?
だから――
「――死ねるかぁぁぁ!!」
俺は強引な体勢から無理やり背面で宙ぶらりんだった鉄パイプをつっかえ棒の要領で地面に引っ掛け、鋭く尖った先端を長兵衛へと向ける。
「gya!」
不意を突かれた長兵衛の胸元へ鉄パイプの先端がプスリと刺さる。
しかし、さすがの反射神経と言うべきだろう。巨大な爪を振るったかと思うと、鉄パイプは呆気なく細切れにされ、俺の視界は真っ赤な血飛沫に染まった。
次いで顔面に猛烈な熱、そして激痛。
すべて投げ出してのたうち回りたい衝動を振り払う。
でもここで止まるわけにはいかない。これを凌がなければすべてを蹂躙される未来があるだけだ。
再度大口を開けて俺の顔面に迫る長兵衛。
俺は手に残った短くなった鉄パイプを縦に構え、長兵衛の口内に拳をねじ込んだ。
「gyan!」
「……はは」
うまくいった。
いくら化物でも口内は柔らかい。
喰らいついた鋭利な先端が長兵衛の上顎と下顎にしっかりと突き刺さったのを見て、鋭いキバに傷つきながらも腕を引っ込めた。
――さぁ、出番だぞ。撲殺ちゃん。
「――ブチかませっっ!!!」
「はい!待ってましたぁ!!!」
倒れ込んだ俺の顔の上、セーラ服のスカートがはためいてスパッツと真っ赤に染まったふくらはぎがヒラリと飛び越えた。
バリーボンズがごとく引き絞られたバックスイングは、ため込んだエネルギーを衝撃の瞬間に解き放つ。
どブッチャャァ!
釘バットが長兵衛の開きっぱなしの大顎を鉄パイプごと叩き潰した。
めり込んだ鉄パイプやら釘に引き裂かれて血と肉を撒き散らし、長兵衛の頭はあり得ないほど後ろへ仰け反る。
「もいっちょ!!」
今度は釘バットを頭上に高々と振りあげ、体全体をエビのようにしならせ、仰け反った長兵衛の顔面を叩き潰す。
ドッチャ!
会心の一撃とはこれのことを言うのだろう。
ぐらり。
長兵衛の体はいけない方向にグニャリと曲がりながら地面に吸い込まれた。
ドサッ。
長兵衛の指先がピクリと動いたのは筋反射的な何かだとは思うけど。
「念の為。……念入りに」
ドチャ、ドチャ、ドチャ。
長兵衛の顔面は完全に粉砕されている。
あれだけ手こずらされた長兵衛は呆気なく死んだ。
誰が見てもわかるくらいに絶対的に死んでいた。
「……アオイさんや。もう十分かと」
殺されかけたとはいえ、流石にやりすぎだと思って声をかけたのだが――。
――振り返ったアオイは泣いていた。
「……え?……どしたの?」
嬉し泣き、という訳ではなさそうでどうしたものか困っていると、
「……あんな無茶、……もうしないでください」
……ああ、心配してくれたんだな。
素直に嬉しかった。
でも、そんな約束を簡単に出来ないとも思った。
一時は完全に死ねると思ったし、結果的にうまくいっただけだとわかってるけど、もしまた同じ状況が来たとしたら。……きっと。
だから。
「……もうちょい強くなるよ」
何とかそれで安心してほしくて笑った。
「それはこっちのセリフです」
でもアオイは俺を恨めしげに睨みつけてから、倒れ伏すヒナさんの元へと向かった。
「……ま、逆の立場なら怒るよな」
呆気なく訪れた静寂の中、アオイが足を引きずる音と、未だ整わない荒い息遣いだけが響いている。
俺達は勝ったのだ。
あの恐ろしい化物に。この世の地獄と絶望に。
でも、残念ながらそこに爽快感や達成感はほとんど無く、先程までの一切が悪い夢のようで、今はやはり悪夢から目が覚めた時のようで。
もしかすると、後で嬉しくなったりするのかもしれないけど。
今はまだ、とりあえずやることがある。
※※※
カイはヒドイ状態だったけど、辛うじて息がある。
「……しぶといなおい。終わったぞ」
肩をポンポンと叩いてやると、苦しそうにしながらも目を開く。
「……ヒナ」
そう呟くとカイはボロボロの体を起こし、虚ろな目でヒナを見つけると慌てて這うように進んでいく。
カイが動けることに驚いたが、とりあえずそうやって必死に辿り着こうとするカイに手を貸してやらないわけにはいかない。
「捕まれよ」
「…………ああ」
抱き起こして肩を貸し、半ば引きずるように連れて行く。
「……ヒナ、……ヒナぁ」
ヒナさんは喉から下腹部にかけて服と肉が破れ、あたりは夥しい血液が流れ出していた。
見るからに致命傷だった。
「……ヒナぁ!」
ヒナさんに抱きつき涙するカイ。
しかし、アオイがそれを引き剥がす。
「誰のせいだと思ってるんですか?」
「……俺だ、俺が弱かったせいで」
アオイは何故か俺を見てから。
「違います。無茶したからでしょう?無茶に巻き込んだからでしょう?それに、ヒーちゃんはまだ生きてます。応急処置を済ましたら急いで外に出ますから手伝ってください」
それを聞いたカイは先程までの弱気をすぐさま取り繕って。
「……決まってるだろ。早くしろ」
俺もヒナさんの無事に安堵した。
でも、安堵した瞬間に急にカイの言動が腹立たしく感じる。
「ったく、何で急に偉そうなんだか」
※※※
それからヒナにありったけの止血パッチを貼る。
俺とカイもヒドイ状態だが、俺たちの分は無くなったのでありあわせの布を巻いただけだ。
引き返すにあたって長兵衛の素材をどうしようかとも思ったけど、ヒナさんの命以上に必要だと思えなかったから放置することに決めた。
……決めたのだが。
「手伝う?」
戦闘が終ったことを感じて【一本のやつ】という妙な名前の刀を回収に来たらしいクルリが現れた。
「お前。……マイペースだな」
そうして俺達は長兵衛の死体ごと回収してその場をあとにすることになった。
化け狸を運んだクルリの腕力もさることながら、道中に現れるモンスターを簡単に切り刻む戦闘能力に驚愕し、刀無くても長兵衛なんてこいつ一人で十分じゃね?と思えて聞いてみたが、「出来るならやってる」と当然そうに言った。
俺達がやったよりは楽に殺れたとは思うけどな。怨めしいやらありがたいやら。
本道に入るとイチカを筆頭に何人かの冒険者が迎えに来て手を貸してくれた。カイも限界が来ていたらしく、ゴツい男性の背中で眠っている。
俺もアオイをイチカに預けたあとはイカツイオッサンに肩を貸してもらうことにした。
俺はこの後のことは正直あまり覚えていない。
ダンジョンから出ると、俺達を待っていたのは数台のテレビカメラと観衆。そして大歓声。
まるで夢を見てるみたいだった。
ボンヤリとする意識の中で、顔のない連中がワールドカップの決勝みたいに盛り上がっていた。
隣のオッサン曰く生配信で見ていた連中が俺たちの帰還を祝福してくれているのだというが、回らなくなった頭ではなんのことだか理解できなかった。
『アオイちゃん!』とか、『撲殺!』とか『クルリちゃーん』とか叫んでいるのが聞こえてはいた。
そして、その人ごみの中にサノの姿が見えた。
他人事のようにめまぐるしい観衆の中にようやく俺の現実を見つけたようで嬉しくなって、胸にこみ上げる気持ちを届けるように「やったぞ」言い拳を突きだした。
サノはいつものように笑ってて、同じように拳を突き出してくれた。その口は『ありがとな』と動いていたんだと思う。
こっちこそだよばかやろう。
俺はこのときにはほとんど何も見えなくなっていた。
流石に血を流しすぎたのだろう。
歓声は次第に耳鳴りに代わり、酷い頭痛に引きずり込まれるように真っ暗な世界の更に奥底へと吸い込まれていった。




