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26、地獄にくるり

 暴虐の化身は振り返りアオイを視界に収めると、真っ赤な口を裂いて獰猛な笑みを見せ、アオイへと飛びかかった。


「アオイ!逃げろ!」


 アオイは立ち上がろうとするが、足に受けた傷のせいかその場に膝をつく。


 俺は激痛に見舞われながら駆け出した。


 しかし、それがどうやったって間に合わないことは明白。


 慌てて投げナイフをホルスターから取り出そうとするが――


 ――アオイが死ぬ。


 その焦りからナイフを取りこぼしてしまう。


 転がったナイフを拾おうとするが、それも手につかない。


「……あ、……あぁ」


 最悪の未来がありありと想像され、絶望が心を染めていく。


 飛び込んだ長兵衛が振り上げた右手をアオイへと収束させる――。

 ――かと思われた瞬間。


「そりゃ」


 気の抜けた男の声が響いたと思うと――


 ――ビュン!


 長兵衛の肩口めがけて一本の刀が飛来した。


 ――ガキン!


 長兵衛は飛来したそれを振り払うと、弾かれた刀は高い天井にビン!と突き刺さった。


 長兵衛は突然の乱入者に警戒して大きく距離をとった。


「……だれが?」


 俺の口から単純な疑問が零れ出す。


「うん。クルリです。はじめまして、……イナホだっけ?」


 いつの間にか隣にいたのは飄々とした男子。

 女性的なスッキリとした顔立ちで涼しい顔をしている。


 しかし今、クルリって言ったか?

 前に話に出ていた攻略組の有名人もクルリだったはず。


 もしそうなら、ソロでの活動が多く、数多の階層主や区域主を倒してきた実力者だと聞いている。


 希望が胸に広がった。


 彼がいればこの窮地を脱することが出来るんじゃないかと。


「あ、ああ。助かった!アレ倒せるか?」


 だが、帰ってきたのは拍子抜けする一言だった。

 

「んー。無理かな」


 まるでジェンガで取れる場所が無い時みたいな気軽さで答えた。


「……え?何で?」


 クルリは【首切り長兵衛】を狙っていて、ようやく巡ってきたチャンスだというのに。


 だがクルリは相変わらず飄々として言う。


「だって【一本のやつ】取れないし」


 天井に突き刺さった刀を指さした。


 確かに戦闘中に取れるような位置にはない。


 この際【一本のやつ】という名前の変さについては置いておこう。


「代わりは?代わりの武器は?」


「……修理ちう」


「……まじかよ」


 両手を広げてから、「持ってないでしょ?」とポケットをパンパンと叩くのはどうかと思う。


 そうこうしているうちに長兵衛は武器を持たない丸腰のクルリに狙いを定めて突っ込んできた。

 やばい!と思い鉄パイプで長兵衛を牽制しようとするが、クルリは敢えて俺達から長兵衛を引き離すように逃げ始めた。


「クルリ!使え!」


 鉄パイプを投げると、クルリはノーバウンドでそれをキャッチ。


「……刀じゃないとなぁ。……相性がなぁ」


「んなこと言ってないで取り敢えず凌げ!」


「ちょっとだけよ」


 追いつかれそうになったクルリは長兵衛の方へ向き直る。

 長兵衛はその機を逃さず右の爪を振るうが、クルリはそれをスウェイバックで躱しつつ、その腕に鉄パイプをパシン!


 しかしダメージは通らなかったようで、長兵衛はステップと噛みつきを交えながらクルリへと連撃を繰り出していく。


 しかしクルリはそのすべてをヒラヒラと舞う木の葉のようにいなしていき、時折鉄パイプをヒットさせていった。


「…………すげぇ」


 状況も忘れてクルリの戦いに見惚れてしまった。

 長兵衛の動きを全体で捉えて最小の動きで躱し、相手に生まれた小さなスキを見逃さずについているのだ。


 ふいに、いつの日かテレビで見たウィンブルドンの決勝を思い出した。

 何十回に渡るラリー。ただの打ち合いに見えるその中で、相手の筋肉の動きや、目線一つを読み合って自分の有利を作り出していく緻密な戦い。


 その点でクルリは長兵衛を凌駕している。

 

 正直、俺達とは次元が違うと思った。

 いや、思ってしまいそう(・・・・・・・・)になった。


 クルリの息があがり始めてきたのだ。


 いくら攻略組で周りから天才と言われてようが、彼もただの人間で、相手は化物だ。


 得意の獲物も無いままで、間断なく、ほとんど無酸素で斬り結び続けたならどうなるか?


 そんなことは明白だった。


 クルリの身体に小さな傷が増え始める。


 俺は何を安心して任せたつもりになってんだ。


「クルリ!入るぞ!」


 武器はサバイバルナイフしか無いけどしょうがない。

 まずはアオイが復帰する時間を稼げればいい。


 俺は傾きかけた均衡をぶち壊すつもりで長兵衛のどてっ腹に思い切り蹴りをかます。


 ドキャ!


 クルリとの絶戦に気を取られていた長兵衛のアバラに鉄板入りのつま先が骨を砕いて、その肉にめり込んだのがわかった。


 長兵衛は「gya!」と小さくうめき声を上げて飛び退いた。


 そして肩で息をするクルリ。


「やっぱ切れないと無理がある」


 鉄パイプを手渡された。

 あれ?どうすんだろ?と疑問に思いながらも。


「悪かった。それに助かった」

 クルリに感謝を述べる。


「ううん。でも僕はここまで」


 僕はここまで?

 俺はクルリが何を言ってるのか理解できなかった。


「いやいや、帰るみたいなこと言わないでくれよ」


 まさかと思って探ってみたつもりが、そのまさか。


「見ててわかったでしょ?刀がないとジリ貧。……イナホだっけ。あとは任せた。……じゃ」


 クルリは、『また後で』みたいな軽さで片手を上げて踵を返す。


「ちょ!ちょっと待て!『じゃ』じゃねぇだろ!『じゃ』じゃ!あんなの俺らにどうしろって」


 すでに出口の方へ駆け出したクルリに叫ぶ。

 

「……うーん。元は君達の獲物でしょ?それに君たちならいけるよ。ハマりそうな相手だし。ふふ。……じゃじゃじゃじゃ」


 そう言うと背中はあっという間に小さくなっていく。


「……お、おい」

 共謀したように長兵衛はその出口を塞ぐように位置取る。


 長兵衛からすると、厄介なクルリはご馳走に紛れ込んだ蜂のようなもの。クルリが逃げたほうが都合が良いなんてことがあるのかもしれない。


 突如として助けられ、あっという間に戻ってきた窮地。


「……どうしたもんかな」


 アオイは這いつくばってバックパックへたどり着いたらしく、足に痛み止めの注射をぶっ刺している。


 俺より我慢強いアオイがこの切迫した状況で歩けなかったってことはかなり重症だとわかる。

 なんとか戦線に復帰しようとしていることも。


 ヒナさんとカイはどうなったんだろうか。

 もしまだ息があったとしても長く持つはずもない。

 どちらにせよ早く片付けて連れ帰りたい気持ちはあるが、正直そんな余裕は一切無い。


 冷たいかもしれないけど、今は目の前の化物に集中するしかないんだ。


 鉄パイプを握り直すとアオイの声が聞こえた。


「イナホさん、……すぐ行きます」


 釘バットを杖にして立ち上がろうとしているが、ぷるぷると震えているのがわかる。


「……いや、せめて薬が効くまで粘ってみる」


 これは強がりだった。

 だけど、俺達が勝利する道筋があるとすれば、これしかないとも思った。


「……でも」


 アオイが不安なのはわかる。俺だって不安だ。

 一歩間違えた瞬間にサノと再開の握手をする羽目になるのは目に見えてる。


 怪しく光る牙と爪。怖くないなんてことはこれっぽっちもない。

 

「……いいからちょっとやらせろ」


 だけど、憧れてしまったのだ。

 あの化物と対等にやりあった掴みどころのない天才に。


 そして、気づいてしまったのだ。

 彼と俺に決定的な差はあるけれど、化物からしてみれば同じ矮小な人間に変わりないということに。


 そして、その挑戦は全くの無謀だとも思えなかった。


 クルリが見えていたのと同じように、長兵衛の動きは俺にもずっと見えていた。

 目さえ逸らさなければしっかりと見えていたんだから。


 長兵衛の威容に惑わされて、手に負えないと思いこんでいた。

 今までのモンスターより一段も二段も早いからどうしようもないと決めつけていた。


 でもクルリはサラリとやってのけたんだ。

 あいつほど上手くはやれるわけないけど、だから俺も……。


「……絶対に生き抜いてやる!」


 俺の声を合図にでもしたのか、長兵衛は猛スピードで突っ込んできた。

ご覧いただきありがとうございます。

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