25、戦闘、或いは地獄
【首切り長兵衛】は咆哮を終えると歩き始めた。
そして、ゆったりと前足を下ろして四足歩行を始めると、猛烈な加速で俺たちの意識を置き去りにして、的確に獲物を見つける。
その狙いはヒナさんだった。
「やばっ!」
【首切り長兵衛】は激烈に跳躍して右手を振りかざす。
ヒナさんの一番近くに居た俺は慌てて間に入ると、両手持ちの鉄パイプで【首切り長兵衛】の剛腕を受け止めるが、桁外れの膂力に吹っ飛ばされそうになる。
――が、何とか片足で踏みとどまった。
そこに飛び込んできたカイの斬撃は、
「喰らえ!」
――ブン!
長兵衛は難なくバックステップで躱した。
忌々しそうな長兵衛の背後にはスキを見逃さず飛び込んでくるアオイが見える。
「ほいや!」
フィニッシュではなく頭部を削ることを目的としたコントロール重視の釘バットスイングは――。
――ビュオン!
長兵衛はスウェイで躱したかと思うと、弓のようにしならせた上半身を引き戻す勢いで、恐ろしく尖った牙を持つ大あごをアオイの足めがけて繰り出した。
ガチン!
「痛っ――」
間一髪、アオイの太ももには小さな傷を残すに留まり、スカートの一部を切り裂いたギロチンのような恐ろしき顎。
しかし、アオイの気合はそんなもので折れなかった。
「――ったいなぁ!」
負けじと振り切った釘バットは【首切り長兵衛】の鼻先をかすめる。
「gya!」
【首切り長兵衛】は忌々しそうに鼻すじに皺を集めて大きく跳躍して距離を取った。
「アオイ行けるか!?」
「平気です!……スパッツも履いてますから」
「……いや、パンツの心配じゃなくてだな」
スパッツを履いてることくらい、前から知っているのである。
何で知ってるかはお察しの通り。冒険者の動きに対してスカートの防御力って驚くほどに低い。
でも、スパッツを履いているとわかっていても、ヒラヒラする度に目線が奪われる男心は如何ともしがたいよね。
ヤバい状況なので言い訳終了。
「かすり傷です。ヒーちゃんは大丈夫?」
俺も気になってチラリとヒナさんに目を向けると、
「……え、あ、うん。だ、だいじょうぶ、かな?……ははは」
震える声で答えるヒナさんは明らかに大丈夫ではなかった。
初めの姿勢から微動だにしていないのだ。おそらく、怖れで体が動かないんだろう。
「ヒナ!下がってろ!」
カイの怒声に「う、うん」と答え、ヒナさんはぎこちなく動き出したのだが、それでもきっとヒナさんは不味い。襲われれば間違いなくやられてしまうだろう。
本当なら庇いながら戦うべきなのはわかってるんだけど、だけど、はっきり言ってこの化け狸相手に誰かを守りながらなんて戦えるわけが無い。
むしろ自分の身を守ることも不可能に近いというのに。
危機的状況に何の方策も固まらない自分がもどかしかった。
そして、回らない頭で考えてみても、俺たちが頼れる最大の武器はこの最悪の状況を作り出した奴だというのがまた忌々しい。
「カイ!あいつは知能が高い。アレの使いどころは十分に見極めろよ」
「指図するな」
「……お前こんな時までホントにクソだな!」
こっちを見もしないカイに罵声を浴びせるが、次のアオイの言葉で戦闘に引き戻される。
「言い争ってる暇は無いみたいですよ」
「だぁクソ!……やってやらぁ!」
長兵衛は最初と同じように四足歩行に切り替えると、今度は真っ直ぐ俺に向かって来た。
他の誰かに向かうよりは好都合だと思いながら、突進のタイミングを合わせて鉄パイプを突き出すが、
「え?」
長兵衛は目の前から姿を消したのだ。
「がはっ!」
声のした方へ振り向くと、長兵衛の鋭い水月蹴りがカイに突き刺さっていた。
長兵衛は休む間もなく吹っ飛んだカイを咥えようと飛びかかる。
俺は咄嗟に投げナイフを投擲したが、練習でも大して上手くいかないものは案の定刺さることはなく、長兵衛の横腹に当たり音を立てて転がった。
しかし、どうやらヤツの気は引けたらしい。
振り返った長兵衛の背中に飛び掛かって鉄パイプを振るった。
だが、これもくるりと避けたかと思うと、その勢いのまま右フックじみた爪が俺の胸を引き裂く。
「あがっ」
「イナホさん!」
鮮血が舞い、追撃の構えを見せる長兵衛の姿に慌てたアオイがコチラへ駆け寄ろうとするが、長兵衛の顔面に先ほどのアオイを真似て鉄パイプを横薙ぎにするとサッと飛び退いた。
「こっち、じゃない、……ヒナさんだ」
胸の激痛で声にならない声。
短い戦いの中で感じた長兵衛の印象は狡猾。
弱いモノやコチラが嫌なタイミング、絶妙なカウンターを狙ってくるらしい。
殺れる相手から削り、数を減らして全体の驚異を減らそうとしている。
一番狙いやすいものから狙うのなら、道が開けたこのタイミングだとヒナさん一択だと勘が働いた。
そしてその推測は最悪の形で当たることになる。
長兵衛は俺の攻撃を躱した瞬間、ヒナさんへ向けて駆け出した。
アオイも走るが距離的にどう考えても間に合わない。
当のヒナさんはクロスボウを長兵衛に向けてはいるものの、遠目に見てもわかるくらい震えていた。
「ヒーちゃん! 撃って!」
「……あ、ああ」
ヒナさんはトテンと尻もちをつく。
長兵衛が大きく口を開けて迫ったとき――。
――カチンと撃鉄が引かれて矢が射出された。
そしてその矢は長兵衛の口に吸い込まれ――
――ガチッ。ボキボキ、ボリボリ。
長兵衛は矢を口で捉え、鉄で出来たそれを咀嚼した。
そしてその鉄くずを背後に迫るアオイに向かって吹き飛ばしたのだ。
「きゃ!」
すごい勢いで射出された鉄くずを足に受け、突き刺さり、または直撃してアオイは血を撒いて地面を転がった。
邪魔なものをすべて排除した長兵衛は動けないヒナさんに腕を振り上げる。
「い、いや、……カイくん」
クロスボウの引き金を何度も引くが矢は装填されておらず、虚しくカチカチと音を立てるだけだった。
俺の脳内でアーカイブで見たサノの映像がフラッシュバックし、誰かの叫び声が鼓膜を震わせる。
そして凶刃は振り下ろされた。
ヒナさんの喉元から下腹部にかけてクロスボウごと切り裂き、辺りは噴き出した血で染まっていく。
「ひ、ヒナ!」
駆けつけるカイの叫びに応える声は無く、代わりに振り向いたのは長兵衛だった。
未だダメージが残るカイは長剣を振り上げ、飛び込んできた長兵衛目掛けて振り下ろす。
「リバースエッジィ!!」
長兵衛の鼻先を素通りする剣閃。俺たちの希望である最大武力。
そして、剣筋が巻き戻されるような光の束が足を止めた長兵衛の膝先を切り、前足の爪をカチン!と跳ね上げた。
「……避けた、のか?」
長兵衛はニタリと笑う。
野生のカンて見抜いたのか、長兵衛はカイのスキルを寸前で躱したのだ。
そして、圧倒的なスキを晒したカイ。
長兵衛の振るう爪を咄嗟に腕で受けたが、どうにもならない。
血を撒き散らしながらキリモミにふっとばされるカイに追いつき喰らいついた長兵衛は、その出刃包丁をまとめたような牙でカイの剣ごとボキリと噛み砕いた。
「っがぁ!」
苦悶の表情を浮かべ、口と腹から血を流したカイを放り投げる長兵衛。
ドサリッ!
俺たちは目の前の光景に言葉をなくしていた。
――地獄。
地獄とは遠いどこかではなく、この世にしっかりと備わっているものだったのだ。
長兵衛は背中を向けたまますっくと立ち上がり、歓喜に満ちた咆哮を上げた。
その轟音は洞内で凄まじく反響し、視界が揺れ動いて、金属音のような耳鳴りだけが残った。
そして、暴虐の化身は振り返りアオイを視界に収めると、真っ赤な口を裂いて獰猛な笑みを見せ、その圧倒的な暴力と共にアオイへと飛びかかった。




