13、凶矢とリベンジ
休憩を終えた俺たちは、迂回するように入り口付近まで繫がっている側道に入った。
本道とは違って狭い道で、基本的には二人並んで歩くことも容易だが足場はかなり悪い。場所によっては手を使わないと登れない所や、腹這いで進まないと通れない所もある。
要するに、普通の洞窟。
洞窟の普通って何なのかわからないけどさ。
とにかく、死角も多いのでかなりの集中力が必要だったから、進行速度も遅くなる。
どれくらい時間が経ったかは確認してないけど、緊張したままの時間はすこぶる長く感じていた。
そして、ようやく赤い影を見つけたのだ。
「……今、向こうの脇道に餓鬼が入っていかなかったか?」
声を潜めてそう聞くと。
「見た。……ように思いました」
確証はなさそうだったけど、俺も似たようなものだった。
「罠って可能性もあるよな?」
「はい。向こうは知能もありますし、こちらはランタンで丸裸ですから」
たくさんある人間の不利な点の一つだ。
ランタンを灯せばモンスターに自分たちの居場所を知らせているようなものだし、点けなければ歩くこともままならない。
暗視ゴーグルでもあれば別だが、地上で使われる精密機器や火器類、ついでにスマホなどはダンジョン内では誤作動を起こしてしまう。
魔力が影響しているらしいから、ダンジョン用にチューンされたものがあれば別なのだろうけど。
ちなみにあるかどうかは知らない。
とにかく現状をどう乗り切るか。
「……確認するか、引き返すかになりますよね?」
アオイの言うとおりだろう。
このまま進むのであれば、脇道の確認をしないと進むわけに行かないし、そうでなければ本道まで引き返す以外に余地はない。
「……進もうか」
「……ですね」
このやり取りは本当ならば必要ない。
わざわざ確認した本当のところは、『戦う準備はいいか?』ということ。
それぞれバックパックをおろし、ランタンの一つを適当な場所に配置した。
鉄パイプの先端にもう一つのランタンを引っ掛けた俺は、脇道の手前に陣取った。
そして、アオイは脇道の反対側の壁に待機。
俺はランタンをそっと道に下ろし、アオイが距離を取ってそれを確認する手筈だ。
アオイに目で『始めるぞ』と合図を送ると、彼女は小さく頷いた。
俺が鉄パイプの先に引っ掛けたランタンを脇道に差し入れると、アオイの顔が驚愕に染まった。
間を置かず、脇道の中からガチン!と聞こえたかと思うと同時に小さな物体がアオイに向かって線を描いた。
ビュン!
「んぐっ!」
アオイの胸に突き立ったものは矢だった。
「アオイ!」
「……だっ、……罪と罰」
苦痛に顔を歪ませ、指で脇道を指し示しながらよくわからないことを口走る。
しかし、脇道から赤黒い怪物がアオイにとどめを刺そうと飛び出してきたのだ。
そんなこと、ヤラせるかよ。
「うらぁ!」
鉄パイプをフルスイング。
ベキッ!
「agyaaa!」
相手の死角からの鉄パイプは餓鬼の右腕にめり込んで、そのまま壁まで吹っ飛ばした。
「gaaaaa!」
餓鬼の右腕はブラリとぶら下がり使い物にならなくなったようだが、闘志は全く消えていない。
「だぁくそ!!……すぐに終わらすから。……なんとか」
今すぐにでもアオイに駆け寄りたい気持ちを必死に押さえつける。
横目で見えたアオイ。
胸をやられたとはいえ、まだ息があるのは見えていた。
目の前にいる怪物を殺らないことには、手当することも連れて帰ることも出来ないのだ。
それならやることは一つ。
「……ぶっ殺す」
取り落としたナイフを拾おうとする餓鬼の頭目掛けて鉄パイプを振り下ろす。
餓鬼はナイフを諦めて素早く飛び退くが、振り下ろしを止めて鋭く尖った鉄パイプを突き出す。
餓鬼はさらに後ろ飛びして遠ざかろうとするが、俺はその突きの勢いのまま片手を離してリーチを伸ばした。
「higi!」
斜めに切り落とした鉄パイプの先端が餓鬼の脇腹を掠めて肉を裂いた。
よし。
小さな達成感を感じながらも攻める手は止めない。止められるわけがない。
距離を詰めて鉄パイプを振るう。
縦に、横に、斜めに、そして突いて。
確実に押している。相手に反撃の機会を与えていない。
このままじっくり追い詰めていけば確実に殺れる。
だけど俺は焦っていた。一刻も早く目の前の化物をブチ殺して、後ろで苦しんでいるだろうアオイに駆け寄りたかった。
だけど、軽業師のごとき餓鬼は間一髪で攻撃をいなして、なかなか致命には至らない。
「うおおぉぉ!」
焦り。
餓鬼のスキとも言えないスキを見つけて飛びかかる。
「はよ死ねやぁぁ!」
しかし、俺には周りが見えていなかったのだ。
全力全身でフルスイングした鉄パイプの先端が、狭い洞内で一部だけ隆起した岩にカン!とぶつかった。
「……あ」
カランカンカン!
鉄パイプは音を立てて転がった。
そして、その決定的なスキを見逃す餓鬼ではない。
「kishaaaa!」
武器を失った俺が皿に並べられた食事にでも見えたのか、恍惚とした目をこれでもかと広げながら飛びかかってきた。
爛々とした餓鬼はヨダレを撒き散らしながら大顎を開けて眼前に迫る。そして……。
「イナホさん!左へ!」
後方から聞き馴染みのある声に、頭ではなく体が咄嗟に反応した。
倒れ込みながら見た景色。
跳躍したセーラー服姿の文学少女が流麗な弧を描き、体全体をしならせて、握りしめた釘バットごと空中で鋭く回転した。
ブチャッッッ!!!
釘バットは頭にめり込んで、餓鬼はその爆発的な威力に成すすべもなく回転して頭から地面に打ち付けられた。
その会心の一撃の主はもちろんアオイ。
釘バットを振り切った形のまま片膝で立ち、スカートだけがフワリと風をはらんで膨らみ、そしてスッとそれも収まる。
「……アオイ」
俺はまさかの状況に頭が追いつかなかった。
「その顔はこないだも見ましたね。ゴム人形のところで」
クスッと笑ってから餓鬼に近寄る。
倒れ伏した餓鬼はピクリとも動かなかったが、アオイはスカートの内側からサバイバルナイフをカチリと外し、ゴクリと息を呑んでから赤黒い首を切り裂いて確実に息の根を止めた。
「……うん」
命を取るという行為にためらいがあるのだろう。
ある意味でいつも通りなアオイに思わず声をかけた。
「……無事、なのか?」
するとアオイ。セーラー服の胸ポケットから一冊の文庫本を取り出した。
「ドストエフスキー罪と罰の上巻です。図書室で迷ってたんですが、白夜にしなくて正解でした」
ドストエフスキー本人が描かれた青い表紙の中心には穴が空いていた。
「確かに白夜は薄いし、罪と罰は文庫版でも結構な分厚さだけども。……何その恋人の形見の懐中時計が銃弾防いだみたいなやつ」
「へへへ。……でも、イナホさんがドストファンって聞いたからですよ?」
「……なんだよそれ。……なんだよ」
安堵で力が抜けてへたり込んだ。
だって、本当に死んでしまうんじゃないかって思ったから。
「あ、それにイライザさんに言われて中に革のやつ着けてましたから」
セーラー服の裾をペロリとまくりあげると、前には着てなかったはずの厚みのある革のインナーが覗く。
「……そうか。……あの大女」
忌々しくも何処か信頼できる厳つい顔に感謝しながら立ち上がり、アオイの方へ歩く。
「ちょっ、ちょっとイナホさん?」
抱きしめた身体は華奢でか弱く、どこにあの一撃を放つパワーを秘めているのかわからないくらいだ。
「……ホントに良かった」
彼女を死なせてしまうことの恐ろしさを痛感したのだ。
俺は彼女の保護者のつもりだったし、唯一似た境遇の同士だと思っていたが、だけど、それと同時に俺にとっても拠り所なのだと痛感したのだ。
それは彼女を通して元の世界を見ているだけかもしれないけど、湧き上がる安堵感は正真正銘アオイに対するもの。
「……は、はい。その、良かった……です」
慌てている彼女のいつも通りな様子を、とても得難いもののように感じたのだった。
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