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5話

 世界が、俺を取り残して変化する。


 巻き戻り、遡り、遡行し――現在が過去へと向かっていく。

 まるで、テープの巻き戻しだ。きゅるきゅる、きゅるきゅると――自分の中にある何かが擦れる音が聞こえてくる。外にある世界の時間と、内にある自分の時間がせめぎ合っているのだろうか。そんな思考すらも、時間の荒波にさらわれ、崩れ落ちていくように思えた。

 その音は止めどなく続き――体感で二日ほど経った後に、ようやく止まった。


 同時に、消失していた視界が復活した。目に太陽の光が入ってくる。聴覚に未だ残留する音を押しのけて、人々の刻む雑踏が耳に入ってきた。感覚が麻痺しかけていた全身に、うだるような夏の暑さが絡みついてくる。

 そして、目の前に……カナエが立っていた。


「――――っ!?」

「先輩? どうしたんです?」


 カナエが首を傾げているのが視界に入ったが、それは無視した。周囲の風景を、やけに見覚えのあるそれを見る。よくよく、観察する。記憶の奥底に眠っていた断片を拾い上げて、現在のものと重ね合わせ――符合。

 なんとなく、確信があった。

 《《まだ何も知らないであろう》》カナエに、食ってかかる。


「おい、カナエ! 今時計持ってないか!?」

「え、も、持ってますけど……」

「貸せ!」

「うひゃっ!? 手ぇ、冷たッ! 冷蔵庫にでも入ってたんですか!?」


 カナエの発する戯れ言を無視し、俺が誕生日だからとねだられ、渋々こいつに買ってやった時計を食い入るようにして見つめる。衝動的にそれを見ようと思ったのは、時刻だけでなく日付も見ることが出来るものだったからだ。

 時刻は、朝の遅い段階。大体、夜更かしをした奴が起きるくらいの時刻。


そして、日付は――《《二日前のものだった》》。


「…………う、うそだろ?」

「せ、先輩……どうしました? ぽんぽん壊しましたか?」

「――――っ」


 心配したように、声をかけてくるカナエが、怖くて怖くて仕方がなかった。今更ながら、全身から冷や汗が噴き出してきた。

 なんとか平静を保とうとするが、死の恐怖が、目の前にまで迫ってくる銃弾が、俺を縛り付けてやまなかった。石を心臓に混ぜ込んだかのように、胸の中心に重いものがあった。のどがからからに乾く。舌が引きつって、言葉が出なくなった。


「え、ええっと。ね、熱中症? とりあえず日陰……あのカフェ行きましょう! コーヒー一杯くらいは奢りますから!」

「…………あ、ああ」


 普段の俺なら、感涙しそうなまでに心優しい、想像も出来なかった言葉だ。


 だけど、今の俺は違う。

 知っている。知ってしまった。それ故に、何もかもが想像出来ない。


 こいつは味方なのか、敵なのか。

俺の幼馴染みなのか、それとも冷徹な裏切り者なのか。

ひょうきんな悪戯者なのか、残酷な殺人者なのか。


俺とセイラを見て「美しすぎて、見苦しい」と言い切った時の、こいつの顔が脳裏から離れない。だけれども、今俺が見ているのは、純粋に俺を心配しているこいつの顔で――もう、何がどうなっているのか、わからなかった。


「……の、……前は」

「どうかしましたか?」

「…………いや、なんでもない」


 ――本当のお前はどっちなんだ。

 その言葉は、陽炎のように不完全な形で口から出て――そして、確かな形を取ることはなく、幻のように消えていった。





「――というわけなんだ、すまん」

「…………」


 沈黙が痛かった。


 エアコンが効き過ぎている店内で、俺はアイスコーヒーの置いてあるテーブルを挟んで、カナエに頭を下げた。少し顔をあげて、カナエの顔色をうかがってみると……頬をぴくぴくと引きつらせている。

 周囲からは痛いくらいに野次馬の視線が突き刺さってきており、ひそひそと俺たちの関係についてを邪推する声も聞こえてきていた。この店内にはシャーロック・ホームズがどうやら大量にいるようだ、とくだらないことを思ったが、本家本元に失礼だし言う雰囲気でもなかったので口をつぐむ。


 カナエが口を開いた。


「つまり……先輩は夜遅くまで調べごとをしていて、半分寝たまま歩いていた、と?」

「あ、ああ」

「……後でアイスコーヒー代返してくださいね」

「わかった」


 はあ……まったくもう先輩は、とか言っているカナエに、少し罪悪感を抱く。

 俺と、カナエは幼馴染みだ。長いつきあいで、お互いの考えも少しはわかる。


 だから、カナエが俺の嘘を看破した上で、それに乗ってくれていることもわかった。


 俺はアイスコーヒーを飲んで、一つ吐息を吐いた。少し冷静になり、そのタイミングを見計らったように、ポケットにしまっていたスマホが震える。

 スマホの画面を見ようとすると、ニヤニヤしながらカナエがこっちを見ていた。


「…………」

「…………どうしたんですかあ? 見ないんですかあ?」


 いつもの調子でそういうカナエに、少し安堵しながら俺はスマホの画面を見て――



『“逆行”しましたね? 先輩』



「…………っ」

「…………」


『その反応は図星ですって言っているようなものですよ。相変わらず嘘が下手ですねえ。あと、ここで逆行の話をするのは都合が悪いので、LAINで返信してください』

『わかった』

『何があって、逆行するはめになったんです?』


「…………」


 俺はその質問に答えようとして――返答を変えた。


『お前、俺の指を攣らせる気か』

「チッ」


 舌打ちが聞こえた。どうやら図星だったようだ。

 カナエは心底つまらなそうにしながら安堵した表情――としか形容出来ない顔を、巧みに表情筋を操って作る。そして嘆息をつき、言った。


「ま、その様子なら大丈夫そうですね。もうワタシに怯えているわけでもなさそうですし」

「……やっぱり、気づいていたのか」

「はっはっは、どんだけ長いつきあいしてると思ってるんですかあ? ……とりあえず、先輩の家にでも場所を移して、詳しい話をしましょうか。ここには下世話なシャーロック・ホームズさんたちが多いようですし……ね?」


 そっちも、気づいていたのか。

周囲の野次馬を原始的な笑顔で威嚇しながら、カナエは立ち上がった。


「ほら、さっさと立ってください。行きますよ」

「そんなに急かすなって……おいズボンのベルトは本当にやめろ」


 俺は妥協してカナエに服の袖を引っ張られながら、店を後にした。





「……というわけだ」

「ああ、なるほど。それはワタシに怯えちゃってもおかしくはないですねえ」


 店内と違い、エアコンが程々に効いた室内。俺のベッドに腰掛けたカナエは、手慰みに俺の使っている枕をべしべしと叩きながらそう言った。ニヤニヤと笑う余裕すら見せている。

 それがまた、俺にカナエの底知れなさを感じさせていた。


「――なあ、カナエ」

「どうしました? 急に畏まって」


 俺は正座してカナエに向き直った。


「正直言って、よくわからない。今の状況が」

「そうですね。ワタシもわかりませんでしたし」

「……お前も、逆行したことあるのか?」

「ええ、ありますねえ」


 それは、一体どうして……と、そんな質問は無駄だとわかった。

 今重要なのはこいつがどんな目にあったのか、ではない。こいつがこれから何を為そうとしていて、そのために何を犠牲にするのか、だ。

 俺は、それを素直に問いかけた。


「説明してほしい」


 それを聞いて、カナエは微笑んだ。いつものような、明朗快活で、馬鹿みたいな笑顔ではない。まるで悲しみを無理矢理抑え込んでいるような、儚げな笑みだ。

 しかし、一瞬でそれは消え失せる。瞬き一つの間に、いつものカナエに戻った。


「そうですね……まず、逆行の話からにしましょうか」

「都市伝説のか?」

「ええ、まあ。あれって、実は誰にでも起こる事象なんですよ」

「……は?」


 ちょっと理解出来なかった。

 逆行が誰にでも起こる? なんだそれは。

 俺の動揺は見てとれるものだったようで、カナエはしてやったりとにやつきながら、説明を続ける。


「人間の脳は常日頃から100%の稼働をしていますが、それでも休み休み使っている箇所があるのはご存じですか?」

「ああ、それくらいは知ってる。役割を分担して、必要な時だけ必要な脳の器官を100%使ってるんだよな」

「ええ、普段は休み休み、イルカほど極端ではありませんが、個々での100%はあっても、脳という統率器官そのものが全力を出す、ということはほとんどありません。それが、一瞬だけ統率がとれる瞬間があります。すべての脳の器官が100%の稼働を果たし、そうでなければ対処出来ない問題が」

「……死の危険か」

「そうです」


 カナエはカフェから持ってきたコーヒーを一口飲んだ。唇を湿らすためだろう。のどが渇いていたのかも知れない。

 後でコーヒーの代えを入れてやろう、そう思いながら、再び説明に意識を集中させる。


「その死の危険への対処方法、正真正銘一度っきりの切り札が……逆行です。記憶は時間の流れとともに巻き戻りますが、本能で危険を回避することにすべてをゆだねた解決方法。まあ、大半は間に合わず今度こそ死んじゃうんですけどね。脳も疲弊しているらしくて、二度目のフル稼働は無理なようで」

「それで……俺はなんでその記憶を鮮明に覚えているんだ?」

「一度、電脳化したからです。実は電脳化は従来のネットワークとは若干違った場所にアクセスしていて、それは何故なのかはわかっていません。しかし……若干違うだけで、根本的にはとても似ているんです」

「つまり……アクセスログか」

「ご名答」


 褒める気なんて微塵も感じさせずに褒め言葉を述べるカナエだが、そんなことは気にならなかった。なるほど、と納得すると同時によくそこまでわかったな、という驚嘆の気持ちが先行したからだ。


「逆行した後、無意識に電脳化の能力を使い、アクセスログから“未来の自分”の情報を引き出し、逆行した事実とそこに至った原因を認識する……それが都市伝説“逆行”の正体か」


 言いながら、俺はかつて見たトゥイートを思い出していた。


『若く特殊な者達により、「逆行」は成される』


 なるほど、確かに電脳化の能力は限りなくネットワークの世界に適応した最近の若者にしか使えないし、間違っても「普通」ではない。成される、というのは間違いなようにもとれるが、「その事実を正確に認識する」ことも含めて成されるという言葉を使っているのなら、その限りではない。


「……逆行の謎はわかった。だが、説明されていないことがもう一つある」

「はい。先輩の愛しの妹さんと、ワタシたちが敵対している理由ですね?」

「ああ、そうだ」

「…………」


 不意に、カナエが黙り込む。おかしい、いつもならシスコンめとかなんとかいって罵倒してくるはずなのだが。

 沈黙が、不吉に感じられた。


「……妹さんのお部屋はどこにありますか?」

「は? 何で今更そんなことを……」

「いいから、記憶を探ってみてください」

「探る必要もないだろ、俺の部屋の隣だ」

「じゃあ、見に行きましょうか」





「あ、れ……?」

「…………」


 そこは、物置だった。おかしい、そんなはずはないのに。


「いや、ちょっと待てよ。昨日は、セイラがこの部屋で寝泊まりして……」

「部屋の中は見ましたか?」


 その質問に、慎重に考えながら、記憶を遡りながら、混乱しながら答える。


「……見て、ない。え、おい、ちょっと待て、待ってくれ。なにが、どうなって……?」

「…………。部屋に、戻りましょうか」


 今度は手を、カナエに引っ張られて連れて行かれる。迷子の子供を誘導するような扱いだったが、それに文句を言ったり、おどけることは出来なかった。

 何も間違っていなかったからだ。


 俺は、とっくのとうに迷子になっていて、今の質問でそれを認識しただけだ。

 俺は記憶の迷路を、そうとは知らずにさまよい続けていたのだと、そう気づいた。





 再び、自室に戻った。

 セイラが、実は存在しないのではないか? そんな不安に囚われて、ふと机の上を見た。

 そこには写真立てがあり、セイラが高校に入学した時に撮った写真が……が、が、が。


「……あ?」


《《高校に入学したセイラの写真》》? 《《再会した時セイラは中学三年生だと俺は認識したのに》》?


 思考が始まる。


 待て、待て、待て、待ってくれ。

 やめろ。考えないでくれ。


 思考が進む。


 なんで、たった一日離れた程度でセイラの夢を見た?

 なんで、セイラと出会った時あんな感動的な再会をした?


 《《まるで、セイラが死んでいたみたいに》》。


 平穏の皮を被った日常。

ハリボテのそれが矛盾によって壊れていく。


 冷や汗なんて出なかった。出る隙だとか、余裕なんてなかった。ただがらがらと崩れていく地面に足を取られ、絶望によって蹴落とされ、奈落の底へと落ちていく。

 どこまでも、どこまでも、落ちていく。



「あ、」


 記憶があった。目の前が真っ暗になった記憶が。


「あ、ああっ」


 なんでだろう。ちゃんと覚えていたはずなのに。目に焼き付けたはずなのに。


「あああああっ」


 ある日、帰宅して最初に、俺が見つけた――


「ああああああああああああああああああああああっっ!??!!?」



 ――――セイラの死体を。



「――――――――――」


 目の前が見えなくなった。

 意識が。

暗転する。


 最期の思考は、疑問だった。


 セイラが死んでいるのがわかった。

 だが、セイラと再会した記憶がある。


『――じゃあ、俺の出会ったセイラはなんなんだ?』

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