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私と『私』  作者: タンタン
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一話 『私』は私の過去を知る

ゆう、まだ寝てるの? いい加減起きなさい。何時だと思ってるの?」


 ドアをノックする音と、母のやや不機嫌そうな声に重たい瞼を開けて目を覚ます。どうやらかなり寝坊してしまっているようだが、それでもベッドから起き上がる気にはなれなかった。


「ほらほら、早く起きないと学校に遅れちゃうよ?」


 私が起きる気になれない理由ーー、勉強机の椅子に座りクスクスと笑う『私』は、寝癖のついた髪から着ているパジャマまで私と全く変わらない姿をして、ベッドから未だに起き上がらないでいる私を面白そうに見てくる。


「……うるさい」


 そう言って私は『私』に背を向けるように寝返りをうった。


 部屋で『私』に出会った後の事はあまり覚えていない。ただ覚えているのは、夕食を食べている時も、お風呂に入っている時も、出会ってからずっと『私』が目に写っていたことだ。そして、『私』の存在に両親が気付かなかったことを考えるとどうやら『私』は、私以外には見えない存在のようだ。


「冷たいなぁ、僕も君も同じ梼原ゆすはら優じゃないか。もっと仲良くしようよー」


 この非現実的な存在の『私』に、教えても無い私の名前を知っていることに対して、いちいち驚く気も失せていた。


「……本当にあなたは私なの?」


「君もくどいなぁ、何度も言ってるじゃないか。ーー僕は君だよ。それ以上でもそれ以下でもない、正真正銘の君だよ」


 このやり取りも昨日から何度か繰り返している。どうやら認めるしかないようだ。そう決めると私は、勢いよく起き上がってベッドから降りた。


「おっ、やっと起きる気になったんだね。えらいえらい!」


 ただ起き上がっただけの私に対し、大袈裟な褒め言葉を掛けてくる『私』を無視して部屋の扉を開けると、両親がいるであろう一階へと階段を降りていった。




――――――――――――――――――――――――




「ーーねぇ、なんで学校に行かないの?」


 ベッドの上で明らかに不満そうな表情をしてこちらを見てくる『私』を見て、少しだけ昨日からのストレスが解消されたような気がした。


「ねぇ聞いてる? 今からでもいいから学校にいこうよ〜」


「行かないよ。今日は体調が悪くて休むってことにしたから。親にもそう言っちゃったし」


 私は椅子に座りながら、母が出かける前に置いていった温かいココアを飲み、学校へ行きたいと文句を言い続ける『私』を見ていた。


 私が学校を休んだ理由は二つある。一つは今の状態で学校へ行けば、おかしなことが起きてしまいそうだから。そしてもう一つは、この『私』のことを知るためだ。


「なんでそんなに学校へ行きたいの?」


 とりあえずは簡単な質問から始めることにした。


「? そんなの面白そうだからに決まってるじゃん」


 返ってきた答えが思った以上に単純で、あやうく持っていたカップを落とすところだった。それと同時に、やっぱり学校に行かなくて正解だったと心の中でホッとため息をついた。


「えっと……、もう少し詳しく聞かせてくれないかな?」


「詳しくも何も、面白いからだって言ってるじゃないか。ーーじゃあ逆に僕の方から聞くけど、どうして君は学校へ行きたがらないの?」


 不意に返された『私』からの質問に私は、少しの後ろめたさを感じて口を閉ざしてしまう。そんな私の反応を見て『私』はさらに質問を続ける。


「僕がいるから仕方なく休んだ、って感じだけどさ、君本当は僕がついて行くことにそんなに不安じゃないでしょ? ただ僕を、学校を休む正当な理由に使っただけだよね?」


 ーー『私』の言っていることは正しかった。実を言えば私は、この『私』がいることで学校での生活にそれほど支障が出るとは思っていない。自分以外には見えないわけだから、学校にいる間ずっと無視していれば済む話だ。


 じゃあなぜ私は学校へ行かなかったのか。簡単なことだ。ーーそもそも私は学校が嫌いだからである。理由は色々あるが、一番の理由はーー


「あ、そうだ。それよりももっと君に聞きたいことがあるんだけどさ」


 『私』の声で自分の意識の中から我に返った私は、焦り気味に『私』の方を見た。その顔は不敵な笑みを浮かべていて、まるで今から起きることを楽しみにしているように見えて、なんとも不気味な感じがした。


「君が寝ている間に色々と見たんだけど、ーーなんで君の部屋には男物の服装しかないの?」


 その言葉に私は今度こそカップを床に落としてしまった。カップは割れたが、残っていたココアが足にかからなかったのが不幸中の幸いだろう。そんな私の反応に気分を良くしたのか、『私』はさらに話し続ける。


「それに、この部屋もちょっとおかしいよね。年頃の女の子の部屋にしては随分とシンプルな感じで。……どちらかというと男の子みたいな部屋だよね」


 そう言われた時の私の顔は多分、ひどく悲痛な表情をしていただろう。そのことには触れて欲しくない。しかしそれを言葉にしようにも、すでに私の体は堪え難いほどの恐怖に震えてしまい、まともに返事も返せないような状態になっていた。


「もしかしたら君はそういう子なのかと思ってたけど、ーーどうやらそうじゃないみたいだね。もしかして、僕が自分のことを『僕』って言うたびに嫌な顔してるのも関係してるのかな?」


 ベッドから降り、震えて動かない私の代わりに割れたカップを片付け始めた『私』。こぼしたココアをティッシュで拭き取り、破片を全て集めて机の上置くと、俯いていた私の顔を覗き込んできた。ーー全部喋ってもらうよ、とでも言いたげな表情で。


「大丈夫、ーー僕は君。自分に自分のことを話すだけじゃないか。あ、それもおかしなことだね。でも、怖がる必要はないんだよ?」


 優しげな声に乗せられた私は、少しずつ『私』に話し始めた。


「私は女の子だ」


「うん、そうだね」


 私の言葉に『私』は、当たり前だといった風に相槌を打つ。


「でも、両親は男の子が欲しかったんだ。だから産まれてきた私のことをーー」


「産まれてきた君のことを?」


 そこまで言ってグッと喉に言葉が詰まったような感覚に襲われた。『私』がそれを察したようで、私の頬に手を添えてきた。


「大丈夫、僕は君だ。君のつらいことは全部僕が引き受けてあげるよ。だから、ーー君の全部を僕に教えて欲しいんだ」


 『私』の甘く優しいその言葉に、私の口から堰を切ったように言葉が溢れ出した。


「私のことを、ーー男として育てると言った」


「うん、それで?」


「始めのうちはまだ良かった。小学校の頃はそこまで私も気にしてなかった」


 そこで一度言葉を止める。嫌な記憶を少しずつ呼び起こしていくのは、かなり精神的につらい。でも、私が続きを話し出すのを待ち続ける『私』の視線に、なぜか話すのをやめるという選択肢は浮かんでこなかった。


「ーーでも中学に上がった時、両親は私に男子の制服を渡してきた。私が反対すると、父に思い切り怒鳴りつけられて、そのまま部屋から出してもらえなくなった。ーー私が男子の制服でいいと言うまで」


「ーーあぁ、可哀想に。きっと学校でも目立っちゃっただろ?」


 やや大袈裟な反応を見せる『私』だが、私が話を続けるのには、それぐらいの方がちょうど良かった。


「……学校では、私が女なのに男の格好をしている変な奴だって、三年間ずっといじめられた」


「ーー先生は助けてくれなかったのかい?」


 『私』のもっともな質問に、私は首をゆっくりと横に振った。


「先生には両親が、私が自分のことを男だと思っているから、学校でも男子として見てくれって言っていて」


 「でも」と私はさらに言葉を続ける。


「……あまりにもひどかったから、いじめられていることを一度先生に相談したことがあった。そしたらそれが親に伝わって、『お前が堂々としてないからいけないんだ!』って言われて、また部屋に閉じ込められた。ーーそれから、私は先生にも相談できなかった」


「そんなひどいこと言われたんだね……。きっとつらかっただろうに」


 『私』に頭を撫でられながら、私は話を続ける。


「そして中学を卒業したら両親は、私を男子校に入れると言った。ーーその時の私には、両親の言葉に抵抗する気力は残ってなかった」


「学校側は女の子の君をよく受け入れてくれたね。それも君の親が頼んだのかい?」


「ーーそう。中学の時と同じように、私を男として扱ってくれって言った。……幸いなことに、その男子校には知り合いが一人も来なかったから、私が女だということが誰にも気付かれていない。今はそれだけが唯一の救い」


「ーーでも、それだけなら今の学校に行きたくない理由が分からないね。ーー今の君の心の中にあるもの、全部僕に教えてくれるかな?」


 『私』の手が頭の後ろに添えられ、不意に抱き寄せられた。優しく包まれるような感覚に、私の心の中でつっかえていたものがストンと落ちた。


「……だからと言って、クラスの子と仲良くなれるわけでも、クラスに馴染めるわけでもなかった。始めのうちは何度か声をかけてきてくれた」


 自分でも気づかないうちに、言葉に力が入っていく。


「ーーでも、でも私の体は無意識のうちに人を避けるようになってた! そのせいで私は誰ともまともに話せなかった! ……気付いた時には一人になってた。誰とも話すことなく、ほとんどいないのと一緒な毎日」


 そして私は、心の一番深いところにあったものを言葉にした。


「ーーこんなことなら、いじめられてでも誰かの目に写っていられる方がマシだった……」


 その言葉を言い終わると同時に、私の目からは大粒の涙がこぼれた。抱きしめてくれている『私』の服を濡らしていることなどおかまいなしに。でも、『私』はそんな私から離れるどころか、さらに私をきつく抱きしめてくれた。


「……君はよく頑張ってきた。これだけのつらいことを、誰にも助けを求めることもできなくて、一人で乗り切るしかなくて」


 抱きしめられたまま優しく頭を撫でられる。その感覚がとても心地よく、私の心を落ち着かせてくれた。


「ーーでも安心して、僕が君の全てを受け止めてあげる。君を孤独から救ってあげる。僕は君の唯一の味方だ。だから、ーーもう苦しまなくていいんだよ」


 その日私は、部屋の中でこれまでにないほどに声をあげて泣き続けた。ーー私の苦悩を受け止め、そして味方になってくれると言った『私』の胸の中で。










 ーーただ、私はその時に気づいておくべきだったのだ。















 『私』が泣き続ける私を見て、薄い笑みを浮かべいたことにーー。

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