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思ったことを書いてみた  作者: よぎそーと


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15/28

本当にそれで成長があるのか疑問である

 前回の続きっぽい内容になってる。

 これの前に書いた『考証や検証は建前で、そこが目的ではないのでは』で、山岳ベース事件とそこで行われた総括を持ち出した。

 これらはいったいなんぞや、と思ったらインターネットで検索をすると良い。

 参照出来る記事が色々出てくる。

 俺があれこれ説明するより、それらを閲覧したほうが為になるとも思う。

 上手く説明する自信がない。

 それで、これらを読んでいてである。

 常々思うのだが、いったいどうしてこれで成長が促せると考えたのか疑問を抱いてしまう。

 同時に、これと同様な事を再現したとしてどんな効果が得られるのだろうと考えてしまう。



 互いに批判しあって、時に制裁を加えて、それでより強力になっていく……というのが総括の目的らしい。

 俺も世間やネットでひろえる話を見聞きしただけだから、もしかしたら実態は違ってるのかもしれない。

 ただ、ここではその精査は出来ないので、実態の調査は省く事にする。

 今は、総括とはこういったものであったとして話をしていく。

 それで、この総括でで何がどうなったのかというと、出来上がったのはより強力な自分ではなく、怪我人と死体だったようで。

 なんというか、目的とは正反対の方向に進んでるように思えるのだが。

 というか、方法からして間違ってるんじゃないかと思うのは俺だけだろうか。



 批判というか、ようはお互いに悪い所を言い合ってたって事なのだろう。

 それって悪口の言い合いなんじゃないのか?



 それで悪さを指摘されたら殴るというらしいのだが。

 殴れば痛いし、程度によれば怪我をするぞ。

 怪我をしなくても痛い思いをする理由がどこにある?

 成長というのは痛い思いをするようなもんではないと思うのだが。



 そら、成長期に急激に背丈が伸びたりすると痛みをおぼえる事もあるというが、それは成長が先にあって痛みが出てしまうのではないだろうか。

 痛めつけて成長するのではないと考えるのだが、いかがであろうか。

 順序が逆というか、因果関係(という言葉で間違いじゃないよね?)が逆、あるいは間違ってるのではないだろうか。



 そもそもとして、批判だなんだと言ってるが、その批判が適切であるとどうやって判断するつもりだったのだろ?

 誰がそれを判定するのだろう?

 判定したとして、その判定が正しいとどうやって見分けるのだろう?

 このあたりも不明確というか謎である。

 多数決で決めるのか?

 多数決の結果が正解であるとどうやって確かめるのか疑問であるが。



 そんなこんなと考えてると、反対や否定、批判というのがどれだけ効果があるのか疑問になってくる。

 疑問というか、効果は無いと考えてしまう。

 少なくとも成長という結果をもたらす、促すのかというと、そうでもないようではある。

 というか、むしろ害でしかないと思うのだが。

 だって、結局人を殺してしまってるんだし。

 これでどうやって成長が見込めるのかさっぱり分からない。

 死なずに生き残った者達が大きく成長したというなら、もしかしたら意味があったのかもとは思うのだが、犠牲が大きすぎてとても採用したいとは思えない。

 また、この事件の後に当事者達がどうなったかを考えると、とても成長があったとは思えない。



 これらが批判というか、相手の悪い所の指摘から始まったのも見逃せない。

 そこからエスカレートして、というのがこの結果になってるのだろう。

 では、こうならないよう注意していけば、となるかもしれない。

 けど、それにも疑問を抱く。

 スタンフォード監獄実験というものから、これらがどんどんと悪化していくのは避けられないのではないかと思う。

 これも詳しくはネットで検索してもらった方が良いだろう。

 俺が説明するよりよっぽど有意義な情報が得られるはずだ。



 なんていうか、負の連鎖だよ、これって。



 こんな事から、批判というのに懐疑的になっている。

 それに意味があるのか、と疑問を抱いている。

 また、反対や否定などについても、どうにも疑念を抱く。

 これらで成長するというのがどうにも信じられない。

 むしろ、山岳ベースの再現が起こるだけではないかと思っている。

 その可能性の方が高いとも。



 個人的な経験や体験からも、反対や否定、批判が役立ったと思える事は無い。

 だいたいにして、これらがどれほど適切なものなのかも分からない。

 既に述べたが、それらの正当性というか正確性というか、適切であるかどうかはどうやって判断しろというのか?

 まずはそこから疑問を抱かざるえない。



 そして、批判そのものも批判されるべきであろう。

 反対や否定も、同じように反対・否定されなければならないのではなかろうか。

 それとも、これらは一方的に、それこそ批判も反対も否定もせずに受け入れろと言うのだろうか?

 それは、あまりにも一方的に過ぎると思うのだが。

 まあ、これはどうでも良い事なのかもしれんけど。



「とどのつまり、あんたは何がしたいんだ?」

 なんだかんだ言いつつも、全てはここに集束していく。

 単に反対して否定したいだけなのか?

 それとももっと別の何かがあるのか?

 そこが分からない。

 分からないし、理由を分析するのも面倒である。

 それだけの手間と時間をかけて何が得られるのかも分からない。

 何も得られないかもしれない。

 だったら時間と労力を割く意味がない。

 というより無駄である。

 時間と労力の損失とすら言える。

 ……何でそんな事をしなくちゃならないのか?



 それでも批判や反対や否定について多少なりとも擁護らしき事を言うとすると。

 これは俺だけでなく、一人だけであるが身近な人物から聞いた事である。

 批判についてだ。

 そいつもネットで多少は発表をする立場だった。

 どの程度活動してたのか分からないが、まあ、ほんの少しは何かしらやってたという。

 で、当然批判などがやってくる。

 それらの中には、本当に鋭いところを突いてるものもあったという。

 確かにそういったものもある。

 事実としてこれはゆるがせようがない。



 だが、「それらの中には」だ。

 大半は、「なんでそんな所を気にしてるの?」と思えるものだったという。

 そいつがどの程度発表をして、どのくらいの反響があったのかは分からない。

 批判というか反対というか否定もどれだけやってきてたか分からない。

 だが、やはり鋭いものは全体からすれば少数であったという。

 その少数を探すために時間と労力を割かねばならないのだろうか?

 勘弁してもらいたい。

 それだけの時間と労力を費やすならば、話の続きや新しい話を考えていた方がよっぽど有意義に思える。

 何より俺は、山岳ベースの犠牲者のようにはなりたくない。



 何より批判とかってメチャクチャ難しいと思われる。

 それって、相当な力量がないと難しいんじゃないのか?

 ただの感想とかなら、まだ少しは楽かもしれんが(それでも結構頭を使うのだが、相手に送るとなると)。

 何がどう良いのか悪いのかを把握し、何をどうすれば改善出来るのかを提示するのが批判ではなかろうか。

 どうやればそれが出来るのかと思ってしまう。

 俺には無理だ。

 少なくとも今の段階では、とても出来るとは思えない。



 何よりこちらが思った事や考えた事を伝えたとして、それが相手にとってプラスになるかどうか分からない。

 また、こっちが何をどう思ったり考えたりしようと、それを相手がどうするかは相手の自由であろう。

 送った側がどうこう言うべきことではないだろうし



 とまあ、そんな事をつらつらと考えたりもする。

 長々と書いてるが、話が全くまとまらないので、ここで無理矢理話を終わらせる。

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