度胸とかいうかっこいいもんじゃなくて、自惚れとか傲慢さとか、そういうのの方が近いかもしれぬ
嘘でもいいから自信をもってやってないと続けてなんかいけません。
根性が無い俺なんかは特にそうです。
書いててつくづく思います。
根拠の無い自信は大事です。
見栄(虚栄心)を張らなきゃやてられません。
俺は出来るんだ、俺はすごいんだ、すごい俺が書いた話はすごいんだ……という調子です。
あとで自分の書いたものの出来栄えを読み返して、
「ぎゃああああああああああああ!!」
と絶叫するほど後悔と失望と絶望を抱き、羞恥心で心がはじけそうになりますが。
なぜ自らを公開処刑するのだろうという疑問を抱いて夜も眠れず、昼に転寝して怒鳴られそうになりますが。
でも、そんな度胸がなければやってられない。
あるいは開き直りですな。
拙作を公開するにあたり、出てくるのは恐怖です。
「これでいいのかな」
「大丈夫かな」
「うけるかな」
などなどといった気持ちがどうしても出てきます。
どうしても他人の評価というのが気になります。
そこまで見栄っ張りであるつもりはないのだけど、やはり人の目にさらすというのは色々考えるもんです。
そこを乗り切るために必要なのが、根拠のない自信になってきます。
あるいは開き直り。
「いや、大丈夫。
俺の書いた話はすごい名作なんだ!」
と迷作を意気揚々と掲げていかねばなりません。
そして公開に踏み切り、延々と続く後悔にさいなまされるのです。
執筆だけならともかく、それを公開するとなると多大な精神的苦労があります。
まこと、小説を書くとは冥府魔道でありますな。
そう思ってるのは俺だけかもしれませんが。
「まあ、何とかなるでしょう。
駄目だといわれるのは当たり前、見向きもされなくて当然。
ブックマークが一つももらえればめっけもん(儲けもの)」
とう開き直りも実に大事です。
こうやって自らに予防線をはることで、全く評価されない日々を耐え抜くことが出来ます。
無名の人間が公表するのだから気づいてもらえないのも当たり前ですし。
そんな中で誰かが見つけて目を通すなんてのは奇跡に等しいでしょう。
なので、それを当たり前と思って開き直っておくのも有効な手段でした。
その後、やはり評価がもらえないことに泣きそうになっていたのはいうまでもありません。
なお、「開き直りじゃなくて、あきらめじゃねえのか?」という正解は、皆様の心にとどめておいてもらいたい。
そんなわけで、こうして何かを書いていくのに必要なのは、見栄と虚栄心とハッタリとデタラメと尊大な気持ちだったりするかもしれません。
あるいは羞恥心を放り投げてしまう事かもしれません。
人間としてどうなのかと思うので、決してお勧めはしません。
度胸という言葉で化粧した「俺はすごいんだ」という妄想は、投稿のときだけ用いておけばよろしいかと。
羞恥心は、いったん外になげうったとしても、あとで回収して自分に装着しなおしておいてください。
その上で、公開してしまった拙作・駄作については、いろいろとあきらめて眺めておきましょう。
とりあえず二週間くらいはブックマークとか評価点とか見ないように努力しておいたほうがよいでしょう。
KASASAGI提供のアクセス解析も、出来るだけ見ないでおいたほうが心臓への負担を軽減できるかもしません。
非常に便利なものなのですが、それを見るだけの覚悟と決意がなければ厳しいものがあります。
あるいは、やはり開き直りで臨むしかないかもしれません。
そして目にする現実に打ちひしがれていくのです。
そんなこんなでタイトルに戻ります。
そうでも思ってなければやってられません。
というわけで。
小心者がどうにかして駄作・駄文を公開するまでに軌跡でした。
これが公開をためらってる方々のお役に立つなら幸いです。




