ぼくの かんがえた すごい せってい
思い出したくも無い恥ずかしい過去というやつです。
様々な空想と妄想が書き込まれた廃棄物は、歴史や人生の闇に葬るだけではなく、燃やして消滅させたいものです。
すくなくともシュレッダーで分解しておかねば、この先の平穏が得られるとは思えません。
なのですが。
でも、そういう恥ずかしい妄想こそがネタではなかろうか。
そう思ってしまったのが運のつきです。
荒唐無稽な内容であっても、荒唐無稽なものがお話というものではなかろうか。
SFもフィクションが入ってるし、ファンタジーなんて幻想ですよ、幻想。
なら、空想妄想を可能な限り利用しまくってもいいじゃないか……と開き直れたのが良いことなのか悪いことなのか。
でも、様々な超能力などは空想妄想の限りをつくさないと出てきやしませんし。
ご都合主義な展開なんて、それこそお約束。
定番中の定番ではないですか。
悪の秘密結社や組織なんて、陰謀論そのものですよ。
そう思うと、世の中様々なネタに満ちてるもんです。
ならば妄想です。
素面じゃとても考えられないような、考えても表に出せないようなネタをどんどん出していくしかありません。
これ、絶対使えないよな、というような理性のブレーカーも、今は休んでもらいましょう。
必要なのは常識ではなく、ご都合主義の混合体。
科学考証をはじめとしたリアリティ/現実味なんていりません。
欲しいのはネタです。
面白ければ、まずは良いのです。
あとはそれを話としてまとめるだけですが、まあ、そこは少し苦労しましょう。
整合性のない妄想をまとめるのは、それはそれは大変なものです。
支離滅裂な内容を形にするのは、理性の限界に挑戦するようなものです。
何よりも、自分が思いついた恥ずかしい諸々と向かい合うという苦行が待ってます。
顔面が真っ赤になるくらいの羞恥心をおぼえ、床の上でもだえて転がりそうな自分を叱咤激励して事に取り組まなくちゃなりません。
その果てに理性を最大限に動員し、
「これをもう少し見れる形に」
と整形していく……わけがない。
せっかく作ったとっても恥ずかしいネタを、どうしてその程度でおさめねばならんのですか。
より激しく、より荒唐無稽に、科学考証なんてどこ吹く風。
恥ずかしさを更にパワーアップでクラスチェンジしなくちゃなりません。
妄想を煮詰めてしみこませ、これ以上ないくらい凝縮させねばなりません。
そうやってどこに出すのもはばかられるような恥ずかしい代物を作り上げるのです。
……でうまくいけば世話ないですわな。
妄想ではないかと思える空想などを大事にしなくちゃならないのは確かではないかと。
でも、それらをうまく使うには、少しでも面白いものを作るには、と考えるとやはり悩みます。
何をどうすりゃいいのか、と毎度毎度考える日々です。
というわけで、がんばって続きを書いていきます。




